第4話 灰露家の妹

 バイトも終わり、築数十年だとかいう木造アパートの我が家へと帰宅すると、食卓を彩るもやし炒めの香りが鼻をくすぐった。


「おかえりー、にぃに」


 次いで、出迎えてくれたのはエプロン姿の少女。

 灰露紫音はいろしおん

 俺の一つ下の、とても良くできた妹だ。


「今日もお疲れー。ちょーど、ごはんが出来たとこなんだー。灰露家特製もやし炒め。美味しーよー?」


「知ってるよ。……労ってもらえるほど働いてないけどな。ほとんど人も来ないし。相変わらず暇なもんだよ」


「あー。あの喫茶店、閑古鳥がぴーちくぱーちく鳴ってるもんねー」


「ぴーちくぱーちくとは鳴ってねぇよ?」


 どこで覚えてきたんだそんな言葉。お兄ちゃん心配しちゃうぞ。


「それにしても良かったねー。暇なのに破格の時給の仕事にありつけて。コスパ最強だもん。マスターに感謝しなきゃ」


「言い方はアレだが、まあそうだよなぁ」


 マスター曰く、「お前んとこの母親には世話になったからな」らしいが、それにしたって高校生が貰っていい時給じゃない気がする。おかげでこっちは助かってるんだけど。


「わたしも天上院に受かったら、にぃにと同じトコでバイトしよっかな」


「看板娘が爆誕したら、店が忙しくなってマスターが嘆きそうだな」


「にぃに、恥ずかしいから外でそういうこと言うのやめてね?」


 お兄ちゃんに向かってなんだそのドン引きですとでも言いたげな眼は。


「……マスターはともかくとして、バイトをするにしても母さんからは一つに絞れって言われるだろうけどな」


「『青春を満喫しなさい』でしょ? もう耳タコだよー。……というか、やっぱさ。そこらへんはおかーさんも作家さんなんだなぁって感じするよねー。バイトに縛られず学生ならではの経験を積んどけって言ってくる辺りさ」


「まあな」


 うちの母親の職業は作家だ。

 大きなヒット作があるわけでもなく、本人曰く『微妙』らしい。少なくとも俺たちを(ギリギリ)養えているぐらいには稼いでいるが。


「……で、その母さんは?」


「外で書いてて、もうちょい粘るってさ。なんか行き詰ってるみたい」


「そっか。あんま無理してなきゃいいけど」


 本当なら俺もたくさんバイトを入れて、家計を少しでも助けたいという思いがある。

 だけど、当の母さん本人から『バイトの掛け持ちは禁止』とされてしまったのだ。

 『青春を満喫しなさい』。それは本音であるのだろうが、気遣いでもあるのだろう。


 離婚の原因を作り、家族を壊してしまった……俺に対しての。


 そうだ。母さんが父さんと離婚することになった原因は俺にある。

 だからこそ俺はバイトをたくさん入れて家計を助けたかったし、高校を卒業したらすぐにでも働きたかった。


 でも、そんな俺の気持ちを母さんは知っていた。


 バイトの掛け持ちを禁止したことも、大学には絶対に進学するようにと言いつけているのも、そのためだろう。


 天上院大学の特別推薦がとれなかったら、無理やりにでも就職して独り立ちしようかと思ってたけど。


(まさかチャンスが降って湧いてくるなんてなぁ……)


 食卓に置かれたもやし炒めを頬張りつつ、視線を送ってしまうのは古びた畳の上に置いた格安スマホ。この中には学園中の男子が渇望してやまない真白桜月の連絡先が入っている。京介じゃあないが、売れば幾らになるだろうな。売らないけど。


 ――――帰ったら、明日からの行動計画表を作成して送りますね。


 というのが、今日の別れ際に伝えられたこと。

 その行動計画とやらがいつ送られてくるのかまでは分からないが故に、どうしても頻繁にスマホに意識を向けてしまう。


「……にぃに、さっきからソワソワしてない?」


「し、してないぞ? お前のお兄ちゃんはいつだって平静かつ冷静のハードボイルドガイさ」


「めっちゃしてるじゃん。動揺しまくりじゃん」


 流石は我が妹。俺のハードボイルドポーカーフェイスを見破ってくるとは。


「…………もしかして、彼女でも出来た?」


 鋭い! ピンポイント! クリティカル!

 正解ではないが、正解に限りなく近いところを初手で突いてくるとは!


 くそっ。焦るな、落ち着け。ここは平静かつ冷静に対処するんだ……!


「HAHAHA。やだなぁ、ラブリーマイシスター。そんなことより、ミーのとっておきのジョークを、そのチャーミングなお耳に入れてもいいかな?」


「えっ、うっそ! ほんとに彼女出来たの!? ねぇ、どんな人!?」


「なぜそうなる!? お兄様の言うことが信じられないのか!」


「いや、だったらもう少し隠そうとする努力はしなよ。バレバレすぎるもん」


 紫音は呆れたように肩を竦めつつ、


「……にぃには、いつもそうだよね。何でもかんでも、こうして嘘をつこうとする時だって、完璧にしようとしないもん」


 楽しいはずの食卓にほんの少し、足元から忍び込んでくるように、影が差した。


「それってさ、やっぱり…………父親あのひとのせい?」


「違うよ」


 反射的な反論だった。自分でも無意識のうちに、口を突くように飛び出してきた言葉だった。


「……今のは、アレだ。お前が鋭すぎただけだ。うん。流石は我が妹だな。まさかここまでの妹直感シスターセンスを有していたとは……」


「意味わかんないんだけど。なに、その妹直感シスターセンスって」


 紫音は苦笑しつつ、それ以上、父親の件に関して言葉を交わすつもりはないようだった。


「それで? 彼女、どんな人?」


 キラキラとした、期待のまなざしを向けてくる紫音。

 うーん……どうしたものか。ここは事情を説明した方がいいのだろうか。出来れば妹に嘘をつきたくはないが、真白からも『周りには秘密にしてください』とは言われている。それはもちろん、家族にもだ。


「情報はどこから漏れるか分かりません。この計画は、完璧に遂行しなければならないので」


 というのが、完璧を愛する麗しき人形姫、真白桜月様のお言葉だ。


「…………」


 完璧などという虚構に縋るのは嫌いだが、ここで約束を反故にして特別推薦の話を消されても困る。


 ……すまん、愛すべき我が妹よ。兄はお前に嘘をつく。


「……確かに彼女は出来た。でも、どんな子かは秘密だ」


「えー。なんでー? にぃにのけち」


「なんか恥ずかしいんだよ。……それよりお前、受験生だろ? 兄の恋人を気にするよりもすべきことがあるだろ」


「兄譲りの優秀な頭脳があるからね。天上院の特待生も楽勝だもーん」


「『油断大敵』って言葉もその優秀な頭脳に叩きこんどけ」


「はいはい。分かりましたよー。……でも、そのうち紹介してよね。絶対だよ?」


「…………機会があればな……」


 来ないことを祈る。カワイイ妹に嘘を重ねるのは兄として心苦しい。


「にぃにの彼女、どんな人なんだろーなー。真白さんみたいに素敵な人だったら言うことないんだけど」


「真白……? お前、真白のこと知ってるのか?」


「うん。真白桜月さんでしょ? うちの中学でも有名だもん。天上院学園に、すっごい綺麗で非の打ちどころのない、『人形姫』って呼ばれてる女の子がいるって」


 恐るべし真白桜月。まさか近隣の中学生にすら認知されていたとは。


「わたしも写真を見せてもらったことがあるんだけど、本当に綺麗でびっくりしちゃった。まるで絵本の中から飛び出してきた、お姫様みたいでさ。男子だけじゃなくて、女子からも大人気なんだよ? 凄いよね、憧れちゃうなぁ……」


 まるで夢見る少女のように、うっとりとした様子の紫音。

 妹はすっかり『人形姫』に焦がれているようだが、俺が置かれている状況を考えれば複雑だ。


 それにしても……女子からも大人気ときたか。確かにうちの学園でも、男女両方から好かれてるよな。


(……ん?)


 その時、スマホにメッセージアプリからの通知が入った。

 差出人は『真白桜月』。

 まだキラキラと目を輝かせている紫音に見えないようにしつつ、送られてきたメッセージを開く。


 ――――お疲れ様です。真白です。明日からの行動計画を添付させていただきます。ご査収ください。


 まるでビジネスメールのような堅苦しさの文面と共に、『ラブラブカップル大作戦行動計画表』という気の抜けそうなタイトルのフォルダが添付されている。


(真面目なんだか、天然なんだか……わかんない奴だな)


 そのファイルを開いて丁寧に作成された行動計画表を眺めていると、スケジュールの中に『写真撮影』なんて文字が躍っている。お互いの写真を持っておくようにしたいらしい。スマホにまで偽装工作を施しておくとは、まさに完璧主義者という感じだ。


「にぃに、同じクラスなんでしょ? いいなー。今度、写真撮って送ってよ」


「…………き、機会があればな……」



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