第3話 契約成立
「ちょっと待て。ごめん。恋人のフリって……状況が呑み込めないんだけど。何事?」
「そ、そうですよね。すみません。この場合、先にお話しするべきでした」
慣れないお願いをするので緊張してたのかもしれません、と真白は照れるように笑って。
「灰露くんは『融和委員会』というものをご存知ですか?」
俺たちが通う天上院学園高等部には大まかに分けて二種類の生徒が在籍している。
一つは中等部からエスカレーター式に進学した『内部生』。
そしてもう一つは、受験を勝ち抜き外から高等部の学生として入学してきた『外部生』。
内部生は比較的上流階級の生徒が多く、更には中等部からの付き合いのあるメンバーで固まっているので仲間意識が強い。ついでにプライドもお高い。
対して外部生は、内部生から『余所者』として扱われることも多く、至って平凡な家庭出身の学生が大半。……なので、外部生もまた同じ外部生同士でつるむことが多い。
この『内部生』と『外部生』の関係性は友好的とは言い難く、その対立の歴史は古くから続いているそうだ。
だがそんな『内部生・外部生対立問題』を解決すべく立ち上げられたのが『天上院学園融和委員会』という組織である。
これは文字通り、『内部生』と『外部生』の学内融和を推進するための委員会だ。
設立されてまだ若い組織だということもあってか、その実績は芳しくは無いようだが……これでも学園長肝煎りの委員会。学園内における権力は相当なもの。
ちなみに俺と京介は二人とも『外部生』であり、真白桜月は『内部生』だ。
今は六月。高等部に入学して二ヶ月ともなるとこの辺の事情は頭には入ってくるし、そうでなくとも情報屋を自称する京介がいるわけだしな。
「勿論知ってる。出来るだけ関わるのは避けたい委員会、ってのも含めてな」
「うーん。どんな風評が流れているのかは分かりませんが、そんなに怖い組織ではないですよ?」
「俺らみたいなか弱い外部生にとって『権力』ってのは、それだけ脅威なんだよ」
中等部から学園にいる内部生と比べて外部生の地盤は脆い。大半が一般家庭出身ということもある。下手をすれば父親が勤務している会社の社長が、どこかの内部生の親ということもある。
「それで? その『融和委員会』がどうしたんだよ」
「実は私、『融和委員会』のメンバーなんです」
「それも知ってる。有名だからな…………」
真白桜月。融和委員会。そして、恋人のフリ。
提示されたキーワードが頭の中で一本の線を結んだ。
「…………いや。まさか。本気か?」
「やっぱり灰露くんは察しが良いですね」
俺の突拍子もない推測を肯定するかのように、真白は表情を綻ばせた。
「『内部生』の私と『外部生』の灰露くんとで恋人のフリをして、学内融和を推進したいんです」
「……すまん。俺のココアはお前の正気を飛ばすほどに不味かったか」
「ココアは美味しかったです。あと、残念ながら私は至って正気です」
「だとしたらお前は相当イカレてるぞ」
「言わないでください。私だって無茶だとは思ってますよ……」
ようは俺と真白が恋人のフリをして、『外部生』と『内部生』の隔たりを失くすためのアピールをしていくということになる。
「ちなみに作戦名は『内部生と外部生の隔たりを失くそう。ラブラブカップル大作戦』です」
「んなこたぁ聞いてねぇよ!?」
それになんだこの頭の悪い作戦名は。京介が聞いたら腹を抱えて笑いそうだが。
「『融和委員会』も相当焦ってるらしいな……」
「それは否定しません。設立されてから今日までの成果は、あまり芳しくないですから」
「正攻法に限界を感じて、突拍子もない奇策で結果を出しにきたって感じか」
「そう思っていただいて構いません。この委員長考案の作戦に、灰露くんも協力していただけないかと」
「断る」
ここまで説明されれば、俺にとって至極当然の選択だった。
「俺にメリットがなさすぎる。『真白桜月』と恋人のフリだぞ? 全男子生徒からの恨みを買ってまで学内融和とやらに協力する気はない」
「もしかして……褒めてくれてますか?」
「……そう聞こえるならそうなんだろう」
しまった。反射的にとはいえちょっと恥ずかしいことを口走ってしまった気がする。
「……えっと。ありがとうございます」
照れを誤魔化すようにココアに口をつける真白。
「こほん。……それでは、灰露くんにとってのメリットがあれば受けて頂けるということですね?」
「まあ……そうなる、のか……?」
実際は受けたくないというのが本音だが。
「では、委員長からの伝言をお伝えします」
「委員長?」
「『協力してもらえるのであれば、天上院大学の特別推薦枠を約束しよう』」
天上院大学とは天上院学園の系列校にあたる。
中等部から高等部は内部進学で上がれるのに対し、天上院大学は無試験進学では上がれない。内部生であろうと受験する必要がある。
しかし特別推薦枠ならば、ほぼ無試験で進学が出来るだけでなく学費も全額免除という破格の待遇を受けられる。
「……家庭事情も調査済みってわけか」
うちには父親が居ない。俺が小学生の頃に離婚して、今は母さんと妹の三人で暮らしている。金銭事情は豊かとは言い難く、だからこそ俺はここでバイトをしている。
幸いというべきか、マスターにとってうちの母さんは恩人だとかいう縁で、時給は破格の額を貰っているが。
そういった事情を抱えているからこそ、家計を圧迫しない特別推薦というものは喉から手が出るほど欲しい代物だった。取れなければ進学は諦めて就職しようと思ってたけど。
「すみません……決して褒められた手段ではないと、分かってはいます」
「別にいいよ。それが本当に出来るなら、むしろありがたいぐらいだ」
「特別推薦の件は、必ず果たすと約束します」
「融和委員会の権力については知ってるからいいけどさ……なんで俺なんだ?」
感じた疑問はそこだ。
「フリとはいえ、『真白桜月の彼氏役』に相応しい男なら幾らでも居ただろ」
たとえば京介なんかがその筆頭だ。『外部生』で、頭も良くて、勉強も運動もそつなくこなしてみせる。あいつほど胸を張ってオススメ出来る男は、俺は知らない。
「…………たとえ仕事だとしても。私だって、恋人役が誰でも良いというわけではありません」
「じゃあ、なおさらどうして俺なんだ」
「そうですね。強いて言うなら…………」
真白は悪戯っ子のように、口元を綻ばせて。
「ココアが温かかったから、です」
――――正直なところ。
真白が何を言っているのか。真白の言葉が何を意味しているのか。
それは全く分からないけれど。確かなことだけは一つだけある。
……浮かべた彼女の表情に、俺は見惚れていた。
悔しいことに、それだけは否定しようもない事実として俺の心に根差してしまったのだ。
「…………サービスなんて、迂闊にするもんじゃなかったなぁ」
デメリットはあるが、メリットも提示された。
あとは選ぶだけ。どちらを選ぶかは、もう決めた。
「……俺に完璧な彼氏役は期待するなよ」
「大丈夫です。私が完璧な彼女になりますから」
差し出した手に彼女は応え、握手を交わす。
その動作はとても『恋人』には見えず、どちらかというと『共犯者』のように見えて。
……けれど握った手は華奢で柔らかく、心臓の鼓動を甘く高鳴らせた。
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