第9話 想像もしない状況
「……誘惑?」
その言葉を呟きながら、呆然と私は考える。
一体何を、その言葉を示しているのかと。
だが、そうして私が考える暇さえ、お父様は与えてくれなかった。
「信じられないか? アメリアに子供できれば、何よりの証拠になるのだがな」
もう、私は目をそらすことはできなかった。
はっきりと私は理解する。
……お父様は、カインが不貞を働いたと言いたいのだと。
「嘘をつかないで!」
お父様を睨みつけ、私は叫ぶ。
そんなこと、信じられるわけがなかった。
私の頭の中、今までカインと過ごした日々が蘇る。
カインは、伯爵家で疎まれている私に対し、優しく接してくれていた。
お父様の話が本当ならば、その裏でカインが不貞を働いていたことになるのだ。
「私は騙されませんよ。本当にそうだと言うならば、きちんと調べさせて頂きます」
故に、私はありえないという気持ちに背を押されるように、お父様にそう言い放つ。
私はもう事業に関わっていないが、その際に培った人脈全てがなくなったわけじゃない。
調べようとすれば、完璧にカインとアメリアの動向を調べることができるだろう。
「ああ、やってみろ。すぐに分かるさ。私が本当のことを言っているとな」
だが、それを知っているはずのお父様から、余裕がなくなることはなかった。
それどころか、その表情には自信が満ちている。
私は何とか、拳を握りしめてはったりだと自分に言い聞かせる。
……それでも、私は自分の心が揺れているのを感じずにはいられなかった。
私が今まで、アメリアに一方的に詰め寄っていたのは、カインは婚約破棄に不本意だと思っていたからだった。
私に婚約破棄を告げた時のカインの罪悪感に歪んだ顔。
それが何よりの証明だと思って、私は今まで必死に動いてきた。
けれどもし、その私の考えが間違っていたとしら。
──ぴしり、と心のひび割れた音が聞こえる。
「分かってくれたかしら、サーシャリア。私達は貴女のためを思って、言っているのよ」
「そうだ。お前は、何も気にせず私達の言う通り、伯爵家に戻ってくればいい」
私に、両親が何か言葉をかけているのが分かる。
しかし、その全てを無視して、私は呆然と呟く。
「確認、しなきゃ」
「……っ! サーシャリア!」
そうして私は扉を出ようとするが、寸前で腕を掴まれる。
ゆっくりその方向に顔を向けると、私の腕を掴むお父様の顔には、強い焦燥が浮かんでいた。
「どこに行くつもりだ、サーシャリア」
「侯爵家です。カインに、カインに聞かないと……」
そう呟く私の中、人をやって調査するなんて考えは残っていなかった。
あるのは一つ、事実を確認しないといけないという思い。
そんな私の様子に、何故かさらにお父様の顔に浮かぶ焦燥が強まっていく。
「こんな時間から侯爵家に行くなど、何を非常識なことを言っている!」
「そうよ。落ち着きなさい、サーシャリア!」
それでも私は止まらず強引に、両親を振り払う。
そして、御者を呼ぼうと口を開く。
「今から、侯爵家に行くわ! 誰か御者を……」
「この、馬鹿娘が!」
「……っ!」
……お父様が私を殴ったのは、その時だった。
頬に走った痛みに、少し冷静さを取り戻した私は、呆然とお父様を見る。
血走った目で私を睨むお父様からは、先程まで存在した余裕は、一欠片たりとも見つけられなかった。
お父様の背後に立つお母様の顔も、青白い。
……その態度の急変の理由が分からず、私はただ二人を見ることしかできない。
そんな私を、激しい怒りのこもった目で睨んだ後、お父様は叫ぶ。
「親のことを聞かない親不孝者が! 少し頭を冷やしてこい!」
騒ぎに反応したのか、いつの間にか部屋の側には、使用人が集まっていた。
その一人に、お父様は言い放つ。
「おい、誰かサーシャリアを屋敷の外へと引っ張りだせ! 決して、馬車など出すんじゃないぞ!」
「なっ! お父様!?」
思いもよらぬ言葉に、私は動揺するが、お父様が言葉を訂正することはなかった。
「……失礼します」
一応の断りの言葉の後、つかみかかってきた使用人に抵抗する。
しかし、その抵抗も虚しく、私は屋敷から追い出されることとなった……。
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