第10話 祖罪問答
見渡す限り、白で埋め尽くされた空間だった。地平線に相当するものがないため、平衡感覚が怪しくなることこの上ない。
意識を取り戻したヒルデリアは首を動かして周囲を見渡してみたが、およそBUGのネスト内とは思えない空間だった。
先ほどまで感じていたはずの魔力消耗による頭痛はかき消え、今は身体に力がみなぎっている感覚がある。すぐに広範囲魔法を使えそうな気もしたが、現状において魔法に意味は無さそうだった。
視覚増幅魔法を試してみるが、何故か魔法が発動することは無かった。魔力を消耗しているというより、魔法という現象そのものが拒否されているような感覚だった。
つい先ほどまで、ヒルデリアは長い夢を見ていた。いや、それは夢というにはあまりに臨場感のある『記憶』だった。その場にいて血の匂いをかぎ、
盟友に裏切られたあげく英雄に祭りあげられた建国の父ルフト。巨人たちへの不信感から絶滅戦争を決意し、やりとげた初代ザルツハイムたち。
そのルフトと思いを通わせながら悲劇に見舞われたナイアルラ、巨人族の長として人間達への復讐を誓ったアアルフン。 そして、その渦中で苦しみぬきながら武人としての立場に縛られ続けた初代ヴァルドゥ。
これまで真実だと教えられてきたルフト・バーン国史で語られてきた物語とはあまりにかけ離れていた。 しかし、この『記憶』は白昼夢と片付けてしまうには、鮮烈に過ぎた。
「ふむ、建国の歴史というのはどこの国でも神話化しやすく、現実とはかけ離れがちだが。さてもさても、面白いな」
不意に思わぬ方向――先ほどまで誰も居なかったはずの後方から、あの憎たらしい帝國人が姿を現わす。珍しく
「まさか……貴様も『見た』のか?」
「ああ、そういうことになるのかな。他人の『記憶』を垣間見ることが出来る魔法など、さすがにその存在を訝しむところだが。体験してしまえば、納得するほかないがね」
剣は不可思議な回転を見せる巨大な歯車を見上げながら答える。
「可能なら、今すぐ貴様を一息に口封じしたいところだ。残念ながら、今の私は寸鉄も帯びていない上に、魔法も何故か使えないが」
「それは有り難い。さすがに同盟国の軍人と本気でやり合うのはぞっとしないからな」
そんな事はおくびにも考えていないことが分かる表情で、臆面もなく言ってのける剣の厚顔ぶりにヒルデリアは呆れるほかない。何を食べればこの場で泰然自若としていられる神経が身に着くのだろうか。
「何、育ちが悪いだけだよ。すべては相対的なものでしかない、生まれ故郷の満洲はそう悟ることの出来る土地だったのでね」
ヒルデリアの考えを見透かしたように剣は、今度は眼前に急に現れた無数の扉をいじりながら答える。残念ながら、扉を開けても向こう側に部屋があるわけではない。ただ、先ほどまでの白い空間が続くだけだ。
ただ、この男が現れてから奇妙な物体が現れては消えるようになっている。物理法則が通じない場所であることは確かだった。
「いいかね、ヒルデリア掌百長。建国の歴史などどこも似たようなものだ。我々がつい先ほどまでいた合衆国もな。元はと言えば現地住民から土地を奪った連中が建国した国だが。一応、今は自由と民主主義の国という事になっている」
「合衆国と我が国の成り立ちは、あまりに違う。それに……」
「いや、似たようなものだね。君も国家安全保障の基本くらいは覚えているだろう。意図と能力というやつさ」
「それぐらいは、私も知っている。あまり莫迦にしないでもらいたい。貴公には同盟国を愚弄する趣味でもあるのか」
ヒルデリアは胡乱なものを見る視線で、剣の整っているとは言いがたい悪相を眺める。
相変わらず表情は悪童めいているが、講義をする教師のようにも見える。
「いや、単に知識をひけらかしたい浅はかな自尊心の発露だな。幼稚と罵ってくれてかまわんよ」
「私もその程度は知っている、通り一遍には。だが巨人には人間族を滅ぼす意図は無かった。あの記憶通りなら」
「さあ、それはどうかな。あれはあくまで断片的な『情報』に過ぎない。……だが良いだろう。その意図は無かったと仮定しよう。だが、近年この意図と能力に関しては前者より後者を重視すべきだ、というのが支配的になりつつあるそうだよ。政治的情勢など猫の目のように変わるからね」
「それでは……」
「ああ、そういうことだ。その気になればいつでも殲滅できる能力があるという事実こそ重要だ。この現実に耐えられるかどうかは、相手の意図を的確に把握し続けられるかどうかで決まる」
「……つまり、貴様はこう言いたいのか。我らが祖先と、巨人族が絶滅戦争に到ったのは互いの意図を読み違えたが故の事故のようなものだ、と」
ヒルデリアにとって、それは許しがたい愚弄であるように感じていた。祖先が行ったのはどう考えても非道な虐殺にしか思えなかった。であれば、それを恥じるのは当然ではないのか。
「ああ、これが個人の話であれば、許しがたい卑劣と言える。だが、国家となれば話は別だ。どんな愚劣な虐殺でさえも、それを行うに足る理由が相手にはあったのだと強弁する国家宣伝を行う。国家存続のためであれば、それは許される」
「莫迦な。そんな卑劣を働いてまで存続を願う国家とは何だ。そんな国は……」
「滅びた方がいい、というのかね?民草の血税で養われている君が」
大げさに肩をすくめる剣に対して、拳を振り上げなかった事にヒルデリアは自分自身に驚きを禁じ得ない。以前の彼女であれば、こんな議論めいたことさえ拒否しただろうし、魔法も剣も使えない状況であっても、徒手格闘でこの男の息の根を止めていたに違いない。
「そこまで言っている訳ではない。愚行は検証し反省せねば、国家とて前へ進めなくなるのではないか?」
「どうかな?政治的な混乱を招くだけだと思うがね。状況によっては、国家の存在意義を疑わせ、存続を危うくしかねない。……確かに、滅んだ方が良い国というのは無いわけではない。だがヒルデリア、君の国は違う。人類は未だ、個人の自由と権利を守る主体を国家以外に発明していない。国家の命運が尽きるとは、それを喪うということだ」
剣は模範解答を示す教師のような態度で、ヒルデリアの顔を挑戦的に見つめながら続ける。
「……国家というのはやってしまった事はどんな手段を用いてでも正当化し、その主張を国際宣伝すべきだ。もちろんやってもいない事をでっち上げて宣伝するような国には、徹底的に報復すべきだろう。軍人の私に外交など門外漢だが、一般常識としてはそういうことだ」
「分かった、分かった。私とて、国が滅べば良いなどと思っている訳ではない。この議論はこんな場所ではなく、平時に軍大学ででもやるべきだな」
ヒルデリアは自分を納得させようとしているのか、深呼吸をしながら天を仰ぐ。整った横顔が紅潮しているのは誰の目にも明らかだった。
「……ああ、済まない。あまりに君がへこんでいるのでな。少しばかり
剣はこともなげにそう言うと、楽しそうにからからと笑う。
『人間達の議論は興味深いわね』
そう声が上から降ってきて、ヒルデリアは今度は何が起きたのかと身構える。
この不可思議な異空間で何が起きても驚くには値しない事は分かっていたが、警戒心は呼び起こされる。
『安心して。あなたたちに危害を加えるつもりはない。ただ、少しばかり話をしたくなっただけ。ここは退屈だから。私はナイアルラ、と言えば分かるかしら?』
ヒルデリアが頭を巡らすと巨人族の娘、ナイアルラが数メートル先の大地に静かに座っていた。
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