第9話 積年

 アアルフンの意識は久方ぶりに覚醒をはじめた。かつての巨人としての肉体を捨て去ってから、既に百年以上の時間が経過しただろうか。 


 長年の魔法研究による成果を生かした、精神体と肉体の分離魔法の成果だった。このおかげで、彼は長命種としての巨人族以上の時間を使える存在となった。まったく代償の無い魔法、という訳ではない。


 彼我の感覚や時間の感覚が鈍り、一年も百年も同じ時間に感じられるようになっている。また、数十年を休眠に当てなくてはならず、正常な活動を行えるのはごく僅かな時間だった。


――それでも、復讐を遂げるための僅かな犠牲に過ぎない。


 彼はそう独りごちると、『異空間』の風景を眺めた。

 ここは、精神体の彼を存続させるために彼が魔法で作り出した空間だった。時間の影響をほとんど受けず、現実空間では存続させられない精神体の自我を明確に保つことが出来る。


上下の感覚も、時が流れる感覚も存在しない牢獄のような空間。

 そんな空間にアアルフンの意識は存在していた。


 彼の肉体――だったものも、現実世界には残されている。不可視の魔法により隠され、腐り落ちるはずが緑色茸の胞子がもたらす不可思議な効果によって変わらず維持されている。


 既に肉体から切り離されて久しいアアルフンの精神体は、肉体に戻ることは叶わない。長い期間の影響で肉体と精神の型が合わないのだ。大人の身体が、子どもの頃の服を着られないように。

 戻ったところで、起き上がることすら叶わないだろうが。


 それを悲しいこととは感じなかった。今も燃えさかる復讐の昏い憎悪が、今の彼を動かしている。

 目覚めた時の習慣として、彼は地上に溢れる『代行者』の様子を確認する。人間達がそれらを蟲――ザールカとそれを呼んでいることを彼は知らない。


 代行者たちは順調に数を増やし、人間――小人どもをを喰らいつつあった。地上を覆い尽くす勢いは、決して鈍っている訳ではない。


「だが……」


 彼は思考の端に引っかかるノイズのようなモヤモヤを認識し、表情を曇らせた。……もはや彼の姿を認識するものは、同じく精神体となった彼の娘くらいのものであったが。


「やはり違和感があるな……」


 はるか高みから魔法によって増幅された視覚で地表を眺めながら、アアルフンは独りごちた。人間族個人や彼らの形作る国家など、彼には認識できなかった。

 ただ、彼らが『代行者』によって滅ぼされる様子ならばようやく認識出来る。それはまさしく、幼児が蟻の巣を潰す様に似ていた。


「やはりそうだ。我らが父祖の地が地表から消え去っている」


 長い時を経ることで山脈がなだらかな山々へと変化し、大河が流れを大きく変えることはアアルフンも知っていた。長命種たる巨人族が長年の観察で得た知識だ。

 しかし、たかだか百年やそこらで巨大な島が姿を消し、あるいは海中へ没することなどあり得るだろうか。それを可能にし得るのは、魔法でしかあり得ない。


 アアルフンは慎重に巨人族の島があったであろう付近を魔法で捜索する。ある程度の年月が経っていたとしても、大魔法であれば痕跡はわずかなりとも存在するはずだ。


 彼の推測は正しかった。

 島そのものを消し去るような大魔法であれば当然の結果であったが。


「転移魔法……まさか。そんなことがあり得るのか」


 アアルフンは信じられない思いで、父祖の地があったはずの海面を見つめていた。

 だが、どう考えてもあれだけの規模の島が海底に沈む理由は思いつかなかった。

 消去法で考えれば、島そのものを根こそぎ転移させる大魔法を行使したに違いないという結論に到るほかない。


 それはまさしく、アアルフン自信が長年の魔法研究で辿り通いた大魔法のうちの一つだ。族長としての仕事では無く、一魔法研究者として趣味的に続けていた研究だった。


 なにしろ、巨人族は数百年にわたる寿命を持つから、なにかしら趣味を持つ必要がある。そうでもなければ長すぎる寿命、それがもたらす長い時間を持て余してしまうからだ。


 一生を細工物や学問、作詩や文芸に費やす巨人はことのほか多いが、アアルフンは魔法研究を選んだ。長い試行錯誤の果てに、あまり重要視されていなかった転移系魔法を大いに発達させた。


「その研究でも、島そのものを消すには到らなかった。よほどの知恵者が小人族にいたと見える。いや、そうか。私の魔法研究でも盗み見られたか」


 アアルフンはまたしても、小人族を侮っていたことを認めざるを得なかった。

 彼の研究メモは自宅の書庫に適当に放り込まれたままになっていた。それを取り返すのは骨が折れるし、おおよその研究成果は彼の脳に刻まれていたから問題は生じなかったからだ。

 彼ら小人族がそれを読解し、研究する力を有していることなど考えもしなかった。


「認めよう。たしかに、お前達は見事に私の裏をかいた。よくぞ『代行者』による抹殺の運命から逃れた」


 アアルフンは何か楽しくなってくるのを感じた。

 久しく感じていなかった、好敵手と見えた時のようにひりつくような緊張感と、必殺の魔法を放つ興奮。


「いかに時間がかかろうと、お前達を見つけ出す。そして、滅びの運命を届けよう」


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