第19話 マザールーム
「ずいぶんと
最後まで抵抗を示していた羽根つきの働きアリ型の頭を握りつぶしながら、リヒャルトはそう呟いた。数えきれぬほどのBUGを灼き尽くしてきたが、リヒャルトは未だ魔力容量の過半以上を残している。
リヒャルトは潰した働きアリ型の頭部を放り投げると、自らの人形の歩みを進める。
これまでの狭い回廊が終わり、急に広い部屋に出た。光源が何かは判然としなかったが、天井自体が柔らかい光を放っている。
「ほう、これがネストのマザーか。流石に見るのは初めてだな」
魔法によって再現された映像越しではあるが、リヒャルトはそのBUGの巨体に感嘆の声を漏らす。
マザーの姿形は異様であった。
一言で言えば女王アリに似ている。ただ、その体表にはびっしりと黒い毛で覆われており、昆虫というよりは獣に近い印象を受ける。
そして、なにより印象的なのがその大きさだった。ざっと見て身長は数十メートル余りはありそうに見えた。
この『部屋』はマザーが暴れても問題にならないほどの大きさではあったが、そうであっても圧倒されるほどの大きさだった。
単純な質量の大きさというものほど、戦闘において面倒なものはない。
この『マザー』が少し身体を動かしただけで、巨大な質量に押し潰される可能性があるからだ。ことに対BUG戦闘においては、ゴーレム型など巨大な質量の壁が人類側に多大な犠牲を強いてきた歴史がある。
だが、リヒャルトはそのような巨体を目にしてなお、口元には余裕の笑みがあった。
「確かに人類の脅威たるBUG、その女王というだけはある」
その笑いに反応したかのように、マザーは大きな頭をもたげて威嚇するように啼いた。
その啼き声は人の死を予告すると言われるアイルランドの妖精『
人の生理的嫌悪をかき立てる、不愉快極まりない音とも表現出来るだろう。これにはさすがのロルムも、歪んだ表情をこわばらせる。
「なるほど、それが貴様の憎悪という訳か。いいだろう、それに付き合ってやる」
リヒャルトは人形と同調した結印で、自らの魔法を増幅させ始める。
「冥界で罪を裁く黒蛇の炎杖よ、血を這う灼熱の溶岩、空を飛ぶ火炎弾となりて……」
そう詠唱しているリヒャルトに向かって、マザーは身体から無数の触手を出現させると蛇が鎌首をもたげさせるような準備動作の後に一斉に振り下ろす。
同時に『床』が波打ち、『床』を突き破って漆黒の何本もの触手が飛び出してくる。
上下左右から突き出す触手の攻撃に、ロルムは迷わず飛行魔法で飛び上がると僅かな隙間を縫うように移動、その脅威から逃れる。
並の装甲歩兵や人形であったなら、機体を触手に捕まえられただろう。
しかし、ロルムの黒曜石は触手の動きをあざ笑うかのように飛び去って見せた。
「さすがに躱すのも骨が折れる。灼くほかないな。炎熱よ全てを融かし、始原の漆黒炉心と為せ、
瞬間、機体の周囲に漆黒の円球状の光が複数現れたかと思うと急速に収縮し、次いで一気に爆ぜた。
機体めがけて伸ばされた触手は溶鉱炉の中で溶け崩れていく鉄塊のように崩れ去り、次々に灰も残さずに蒸発していく。
マザーは自らの一部である触手のほとんどを灼き尽くされ、先ほどにも増して苦痛と憎悪に満ちた啼き声を上げる。
彼の魔法は触手を灼き尽くしただけでなく、彼女(と表現してよいものかは微妙だが)の胴体部分を覆う黒い獣毛が焼け焦げており、一部に真っ赤な肉片が垣間見えていた。
「
リヒャルトは装甲に護られた人形の中で、今にも歌い出しそうに愉快げな表情で問う。マザーは自らの身体をのたうちながらも、背中部分をロルムの黒曜石に向ける。
「なるほど、生体砲弾か。確かにやっかいだよ、それは。並の人形ならばの話ではあるがね」
そのつぶやきに答えるように、マザーは背中に背びれのように突き出した生体砲弾を次々と発射していく。帝國陸軍の砲兵一個大隊に達するかのような数の砲弾が、ロルムの黒曜石に向けて降り注ぐ。
「だが、私には効かない。
ただ一言に短縮された呪文で、リヒャルトは防御魔法を発動する。彼の機体の円周を覆うように、白色に近い炎が壁を形作っていく。
人形で増幅されたリヒャルトの視覚をもってしても、炎熱で形作られた乳白色の魔法防壁の外側は見ることが出来ない。
だが、仮に防壁の外側から見ている視点がマザー以外に存在したとすれば。
多くの装甲歩兵や人形にとっては悪夢そのものである生体砲弾が、溶け崩れるように消えていく様をみることが出来ただろう。
防壁に到達する前に高音で爆発する砲弾もあった。しかし爆風や衝撃波も圧倒的な魔法防御に物理法則をねじ曲げられ、防壁の中では風がそよぐことすらない。
だがしかし、勝ち誇るリヒャルトの顔が驚愕に歪む。
「馬鹿な、この防壁に体当たりだと?」
乳白色の防壁が巨大な質量にたたき割られ、マザーの高温で爛れた顔が醜悪に嗤う。 生体砲弾のただ中をも構わず、マザーはその巨体でもって突撃を敢行したのだろう。
これまでの遠距離攻撃手段主体の戦い方が通用しないとみるや、即座に自らの身体を武器に使う大胆さに、リヒャルトは狂ったように微笑む。
反射的に距離を取ろうとしたリヒャルトの意図を読み切っていたかのように、マザーはその巨大な上顎でロルムの黒曜石の右腕に食らいつく。
強固な魔法装甲に鎧われているはずの右上腕部を、マザーの上顎はやすやすと切り裂いた。ロルムの黒曜石は魔法攻撃には優れているものの、もとより格闘戦向きではない。
強引に飛行魔法で上空に飛び上がり、すぐに『壁』へと到達すると、遠心力をつけてマザーをたたきつける。いかに強固な防御力を備えているといえど、その衝撃を完全に殺しきることは出来なかった。
マザーはたまらず右腕から振り放されたが、その衝撃で限界に達していたロルムの黒曜石の右腕は床へ落下していく。
「ロルム家の宝具とはいえ、所詮は人形か。まあ仕方ない。だが、この代償は高くつくぞ」
リヒャルトは淡々とそう言い捨てると、次なる魔法の詠唱を始めた。
同時にもの悲しい金属音の悲鳴を叫びながら、傷ついたマザーが立ち上がりその細長い肢体をうねらせ始めた。
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