第17話 裏切り


「すさまじいな。アレが人形という奴か」


 深谷少佐はリヒャルトとかいう王国軍の貴族将校が乗る機体の動きを、半ば呆然と見ている。彼はあれほどやっかいに思えた『働きアリ型』の蟻酸をものともせずに、単機で迎撃して見せた。


それも、今彼が見せているのは遠距離攻撃魔法を使わない接近格闘戦だった。

 装甲歩兵の中では機動力に優れている部類の武隆改を上回る移動速度で接近すると、人形の手が触れるだけで面白いようにBUGが寸断されていく。

 最後の『働きアリ型』の頭を握りつぶして見せた姿は、味方ながら悪鬼じみていて深谷少佐は戦慄を感じざるを得なかった。


「これ、俺たち必要なかったんじゃないですかね……」


 部下の呆れた声に内心で頷きつつ、部下を叱咤する。


「莫迦が。そんなことを言っている暇があったら周辺警戒を続けろ」


 すでに部屋にいたBUGで動くものがなくなりつつあるとはいえ、どんな罠があるか分からない以上警戒は必要だった。

 熱源探査で周囲を探索しつつも、周囲はリヒャルト機が潰したBUGの残骸だらけだ。


 次第に最深部に近づきつつある証拠に、『部屋』そのものの規模が大きくなっている。最初は奥行きが簡単に見通せたものが多かったが、今やサッカー場を軽く超える規模だ。


 当然そこを防衛するBUG自体も数が多くなっており、深谷少佐の部隊の弾薬残数も心許なくなっている。それに加えて、輸送経路が長大化しつつあるために補給物資も届かなくなっている。


――できれば弾薬に余裕があるうちにマザールームに突入と行きたかったが、待っている余裕はなさそうだな。


 深谷少佐はため息が出そうな現実に辟易しつつも、マザー対策に思考を巡らせている。


「こちらリヒャルト。BUGの討滅、終了した。ここまで戦闘が連続している。一度短時間でも休止を行うべきと考えるが」


「了解した。たしかにその通りだと思います。すぐに周辺警戒の態勢を取りつつ、可能な者には休ませます。あなたも休むべきだと思うが」


「私が?いや、攻撃魔法を温存しているからさほどの疲労はないのだがね」


「それでもですよ。休止というのは疲労感の有無で決めるものではありませんからね」


 深谷少佐は半ば呆れつつも、この男と彼の操る『人形』の規格外さを感じずにはいられなかった。彼がいなければ、おそらくあの数のBUGの前では今頃弾薬を使い果たして難儀していただろう。


 未だ日本人にとって戦力を評価しかねるところがある王国軍にあっても、リヒャルトの乗機のような人形はそういないのではないか。それが今、深谷少佐とともに行動していることに、やはりどこかしら疑念を感じざるをえない。


 とはいえ、今どう考えたところで結論が出ないことはわかりきっている。だからこそ深谷少佐の胸中には言い知れぬモヤモヤした不快感が残るのだった。


 機体を駐機姿勢にし終えると、コクピットの中で深谷少佐は防護戦闘帽ヘルメツトを脱ぐ。


 連続した戦闘のせいで汗まみれになった短い髪の毛が、やけに不快だ。彼のような装甲歩兵乗りにとって、毛根を痛めつけるヘルメットはある意味敵であった。


 退役するまで戦死する気はないが、それまで頭髪の後退を気にする日々から逃れられそうにないのは確かであった。


「こればかりは職業病だな……」


 そうつぶやきつつ、深谷少佐は年々奥の方へ後退していく額の生え際を撫でながら嘆息する。しかし、ある意味そんな暢気な感慨を抱いていられたのもそこまでだった。


「少佐、異常事態です。その……なんと言えばいいのか」


「莫迦が、報告は明瞭かつ簡潔にしろと何度言えば……」


「傾斜してます、『地面』が」


 その報告に慌てて外部カメラを操作するが、やがてまだるっこしくなって深谷少佐は武隆改弐のハッチを開く。


 酒の席で部下に糸目と揶揄される細い目を必死にこらすと、たしかに地面がいつの間にか傾斜をはじめている。思えば、この『部屋』に足を踏み入れた時には、言語化しづらい違和感があった。


 BUGの大群への対処で詳細に思考を巡らせる余裕はなかったから、意識の外に追いやっていたが今やその『違和感』は牙を剥きつつある。


 その違和感とは、これまでのコンクリートめいた黒い『地面』ではなく、南洋の海岸を思わせる『白砂』で覆われた地面だったことだ。今や、その砂はすり鉢状になりつつある『部屋』の中央部に、さらさらと音を立てながら流れ落ちていく。


 その『すり鉢』の底から白砂を派手に撒き散らしながら、セイウチの牙を思わせる長大な大顎を突き出したBUGが姿を現わす。


 深谷少佐は、その時点で自分たちが罠にかけられたことを悟った。見たことのない新型BUGだが、その生態は外見からおおよそ察することが出来た。


 仮に名付けるとすれば『アリジゴク型』といったところだろうか。BUGの生態がどうして地球上の昆虫に酷似しているのかは分からないが、おおよその能力が類推出来るのは有り難いことではあった。


 そして、このまま『すり鉢』の底へ落ちていった時に何が起きるのかも、おおよそのところは想像出来た。どう考えてもろくでもない事になりそうだ。


「全機、『回廊』へ脱出せよ、急げ!」


 深谷少佐の指示を待つまでもなく、エリート部隊である彼の部下たちは脱出を試みていた。しかし、白砂状の地面は足を踏み出すたびに崩れてくるため、まともに上方へ移動するのはかなり難しい。


「クソッ、上へはまともに移動出来ないと見るべきか……」


 深谷少佐自身も上方へ登ろうと試みてはいたが、登ろうとするたびに細かな粒子がさらさらと零れ落ちてくる。さらに、上の方から『白砂』が落ちてくるため、気づけば機体の膝まで『白砂』で埋まりかけている。


「面倒だな、この砂は」


 そうつぶやいた途端に、機体の戦術補助AIが脚部に異物混入したことを知らせる警報音を響かせる。液晶画面の機体模式図に、黄色い警告表示がいくつも表示される。

 このまま手をこまねいていれば、脱出や反撃をする前に動ける機体が居なくなりかねない。


「このまま脱出しようとしても無駄か。回廊はすぐ近くに見えるんだがな」

 さきほどまでであれば、数分もかからない距離にある元来た『回廊』が、すでに二十数度はありそうな傾斜角と、白砂で分断されている。


 そのうえ、急に脱出に難儀している彼らの装甲歩兵の頭上で爆発が発生する。

 直接砲弾が直撃することはなかったが、ただでさえ不安定な足場が崩れて姿勢を崩す機体が続出する。直撃しなくても『被害』が発生するのは面倒なことこの上なかった。


「畜生、生体砲弾か。面倒なことを!」


 このままではマズい、深谷少佐の心にひりつくような焦燥感が生まれる。

 足下が不安定なうえに、生体砲弾の雨が降ってくるとなれば冷静でいるのは難しい。それでも、冷めた部分をつとめて維持しつつ考える。


「少佐、このまま脱出は無理です。むしろ、あの新型BUGを」


「分かっている。命令を訂正する。脱出するのはもはや不可能に近い。これよりあの新型BUGを掃討する。ここを離脱するのはその後だ」


 そう命令さえ下ってしまえば、彼の部下たちの切り替えは早かった。

 まだなんとか姿勢を維持できていた機体が、底にいる『アリジゴク型』へ向けて射撃を開始する。だが、少しばかり射程ギリギリ過ぎたのか、直撃することはなかった。


 射程で勝る突撃砲ならば十分命中弾を得られる距離だったが、撃ち下ろす角度の問題もあるのか手前側にそれていく。


「危険だが、近づいて射撃するほかないか」


 そう決断した深谷少佐は機体を転倒させないように注意しながら、八八粍機関砲を構えつつすり鉢状の砂を怪しい足取りで降りていこうとする。


「可能なものは私に続け。このまま接近し、あの新型BUGを撃破する」


 明確な命令を下しつつも、深谷少佐は機体の足下のカメラ映像に集中している。

 少しでも操作を間違えれば、真っ逆さまにこの砂を滑り落ちてあの新型BUGの餌食になってしまうのではないか。それはおそらく妄想ではなく、近いうちに訪れかねない未来に思えた。


 また生体砲弾が爆発し、砂煙で視界が悪くなり、今度は電波状況が悪化していることを示す警報が液晶に表示されている。


――この砂には、そんな面倒な効能でもあるのか。単純に、砂の粒子によって機体がトラブルを起こしている可能性もあるが。


 内心の焦りをも冷静に制御して、砂上を下りつつある深谷少佐機のカメラが不意に妙なものを捉える。あの王国軍所属の、異形の人形だった。


――いくら細身であるとはいえ、あの機体の大きさでは十トン近くはあるはずだが……。魔法というのはどこまで非常識なのか。


「飛行魔法……だと?だが、なぜ。人形で使えるものではないと聞いたが」


 戸惑いが思わず口を突いて出る。

 そう、どう考えても彼の機体の軌道は帝國軍の支援をしようという動きではなかった。

 それが証拠に未知のエリアへと続く『回廊』への入り口へあと十数メートルで到達するだろう位置を飛んでいる。


 あの気障な男のにやけ顔を想起し、はらわたが煮えくり返るのを感じていた。


「一言の挨拶もなしに戦場を離脱するだと。その魔法さえあれば、こちらを支援するなど簡単だろうに。この裏切り者が」


 深谷少佐は獅子の歯噛みのごとき怒りの表情で、目の前を悠然と飛び去っていく同盟軍に所属する男の乗る機体を見送るほかなかった。


――しかし、たった一人でこの先へ何をしに行くというのだ。この先はこの男といえど苦戦するだろうBUGの群れがひしめいているだろうに。

 常識に従えば帝國軍と協力したほうが勝率は上がるだろうに。たしかにマザー討伐にタイムリミットはあるが……

 疑問符の群れは、それよりも強い怒りにかき消される。


「この裏切りは、高くつくぞ。必ず落とし前はつけてやる」


 すでに視線を新型BUGに戻し、その掃討に神経を集中しつつある深谷少佐は歯ぎしりをしつつも、八八粍機関砲の引き金をひく。


 『アリジゴク型』BUGが生体砲弾で反撃するが、動きはさほど俊敏ではない。

 それでも深谷少佐の瞳に油断はない。そして、戦いのさなかも、静かに蒼く揺らめく怒りの炎は消えていなかった。

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