第16話 孤立


 「崩落」が発生したとき、ヒルデリアを含む近衛魔法士団の『人形』もそれに巻き込まれる位置にいた。彼女が状況を把握したときには既に機体の足下から『地面』が消失しており、彼女はとっさに機体の神経接続を通じて魔法の結印を開始していた。


 落下速度制御フォル・トローリア。元々は理力石鉱山での事故を契機に開発された近代魔法である。


 元々の魔法は飛行艦にも用いられている飛行魔法レビタール・マギカだ。とはいえ、飛行魔法は制御が非常に難しいうえに魔力消費量が莫大という欠点があった。


 古くは生身で空を飛ぶ者がいたとする伝説はあるが、現代においては生身の飛行は自殺行為とされている。飛行艦のような大型理力石と蓄積された魔力、そして観測装置による制御が行われてはじめて常用するに足るものとなるのが実情だった。


 一方落下速度制御魔法は移動方向を重力に逆らわない下方に限定し、さらに落下による肉体や装備の損傷を防ぐという目的に限定することで、その扱いを容易なものとしている(あくまで飛行魔法に比べれば、という話ではあるが)。


 無論、誰もがこの魔法を使えるということではない。

 部下に完璧主義を要求するところがあるヒルデリアは、ネスト戦の準備としてこの魔法の習得を各部隊へ命じていた。


 BUGの領域であるネスト戦で足下の『地面』が崩落したケースがあったことを、彼女は国際連盟軍のデータベースで確認していたからだ。

 そのかいあってか、彼女は人形の脚部で処理可能な衝撃で着地することに成功した。


 増幅された視覚で周囲の状況を見渡すが、この落ちてきた階層は上の階層のように光源不明の光に照らされてはいない。

 そのため、わずかな光でも周囲を視認出来る人形が増幅した視覚であっても、状況の把握は困難だった。


蛍火コン・ラータ


 結印とつぶやきのような短い呪文で生み出された数個の魔法光は、その名前に反して照明弾のような明るさで周囲を照らし出す。この魔法光は、少なくとも二時間程度は術者の周囲で発光して追随するようになっている。


 明かりが敵を招き寄せるという懸念もあるが、今は状況把握の方を優先するべきだと判断した。

 惨状は明らかだった。

 彼女はとっさに落下速度制御によって、自らの人形だけはなく対抗手段を持たないであろう帝国軍の装甲歩兵をも救った。しかし、さすがの彼女もその範囲に置くことが出来たのは目立つ色の指揮官機だけだった。


 自分の機体の重量だけでも数トンはあるうえに、他の機体までその魔法影響下に置くというのは、彼女の並外れた魔法容量がもたらす『奇蹟』というほかない。


 その恩恵にあずかれなかった帝國軍の装甲歩兵は、脚部や腕部などを大きく損傷しているものがほとんどだった。


 武隆改は耐衝撃性能に優れた機体ではあるから、乗員が即死しているようには見えないが。とはいえ重要部品の損壊は明らかで、戦闘はもとより移動も難しいだろう。


 擱座した機体はいくつか視界内に点在していたが、その全てが帝國軍の装甲歩兵だった。

 なお、対照的に護衛の三機は予想通り無事に着地を果たしており、行動に支障が出るほどの機体損傷がないことはすぐに分かった。


「こちら帝國軍、鳴神中尉だ。貴公の魔法による助力に感謝する」

 素っ気ない口調で国際連盟軍のチャンネルに無線で連絡が入る。女性にしては高音部の少ない、聞き取りやすいハスキーボイスだ。


「王国軍、ヒルデリア・ヴァルドゥ掌百長。借りを返しただけだ。礼は不要に願いたい」


――帝國人である彼女に、魔法力の影響など見て取ることは出来ないはずだが。


 内心そう思いながらも、さすがに口には出さない。

 魔力を視ることは出来なくても、落下の衝撃を受けなければ原因は簡単に推測出来るだろうと思い直す。


「そうか。では簡潔に状況を。こちらは見ての通り戦力としては壊滅している。通信が通じないのは一機だけだが、もう二機はコクピットが変形して脱出もままならない。残念ながら、こちらで無傷なのは私ともう一機のみのようだ」


 その返答に、ヒルデリアはため息をつきたくなる衝動に襲われる。

 こうして孤立無援に等しい状況に追い込まれることは想定していたが、こうまで精神的に追い込まれるとは。一歩踏み出すだけで足下が崩れていくような心細さが、判断を鈍らせるのを感じている。


――今までの自分がいかに恵まれた状況で戦ってきたか、ということだな。

 内心で自嘲の笑みを浮かべつつも、彼女は気丈に自分を奮い立たせる。


「ユルスラ、周辺偵察へ迎え。そのほかの者は周辺警戒を厳とせよ」


「はっ、姫様!」


 通信で答えるユルスラの小気味よい返事で、ヒルデリアはいくらか平常心を取り戻せた気がした。


――まだすべてが終わった訳ではない。今は、とにかく他の部隊との合流することを最優先とすべきだ。この戦力では防戦だけで精一杯だし、負傷兵をそのままにはできない。


「どうやら、偵察の必要は無さそうだぞ。陣形を整える時間はない。各個に攻撃するほかないと愚考する」


 階級が自分より上の相手であるから、気を遣った表現で鳴神中尉が進言する。

 彼女の声で光が届く範囲の限界外から、多数のBUGが接近しつつあるのが見て取れた。迷わず魔法光を使用して正解だと思った。


 魔力節約のために外周警戒魔法を張っていなかったため、光源が無ければBUGの接近を察知出来なかったかもしれない。


「まだツキがある、そう考えるほかないな。元より部隊の分離は検討していた事でもある」


 自分自身に言い聞かせるように小声で呟くと、部下への命令を変更する。


「ユルスラおよび各位へ。命令変更。接近しつつあるBUGを迎撃せよ。損傷機体の搭乗員保護を最優先とする」


 ヒルデリアはこちらへカチカチという威嚇音を立てながら接近するBUGを、よく観察する。基本的にはこのネスト内で何度か戦闘したことのある「働きアリ型」が多いが、何体かはよくよく見れば背中に大きな透明の羽がついている。


「『羽根つき』に注意しろ。飛行能力があるかどうかは不明だが、油断するな」

 彼女の命令に応えるかのように、BUG群は自らの領域に落ちてきた間抜けな獲物を屠るべく距離を詰めてくる。

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