第13話 遭遇戦
「さすがはネスト戦というところか……厳しいな」
すでに三つ目の部屋を『クリーニング』したところで、剣は部隊に大休止を命じていた。通信回線は閉じているため、そのつぶやきを聞くのは操縦士である来栖軍曹のみである。
たとえ相手が付き合いの長い来栖相手で滅多に弱音を吐かない人物であるだけに、状況の深刻さが透けて見える。
回廊での戦闘は深刻な損害が発生しないかわりに、劇的な戦果が発生しない戦闘の連続だった。死者こそ滅多に出ないものの、確実に無傷の装甲歩兵が減少していく。
それはまさに削られていくという表現こそ相応しい戦闘であった。
元々装甲歩兵の数に余裕のない空挺降下による部隊投入であるから、損害自体は覚悟の上の作戦であった。だが机上の計算と実際に戦力がすり潰されていく現状に直面するのとは、やはり受ける精神的なダメージが違う。
「集計が終わりました。現在の稼働機数は30両です。なお、稼働機に数えられている機体も大なり小なり装甲が損傷した機体が多いですね」
無線で報告してきたのは坂本中尉だった。液晶画面のカメラ映像には彼の機体も映っているが、彼の機体にも引っかき傷が無数につけられている。
「働きアリ型の蟻酸が特に面倒です。あれは装甲のコート剤も剥げますし、装甲そのものが脆くなる。面倒ですね」
坂本中尉は抑揚をつけずに淡々と話す。状況を冷静に見極める能力に関してはこの部隊の中で一番信頼が置ける人物、と剣は評価している。
「元々大隊というにはおこがましい規模だったが、いよいよ中隊に毛が生えた程度になったな」
「そういうことです。まだ撤退を検討する段階ではありませんがね」
何が愉快なのか、この男の物言いには状況を楽しんでいる色があった。危機的状況にも楽しみを見いだすタイプであるらしい。
「損傷機に関しては、貴様が判断して地上に送るものを選別しろ。ただし、あまり時間はやれない。この休止時間が終わるまでだ」
「人使いの荒いことで……了解しました。損傷機の選別にかかります」
「頼む。それから鳴神には周囲の警戒を厳にせよと伝えろ。センサーは設置してあるが、油断はするな、とな」
そう言い終えたとき、その鳴神中尉からの無線が入る。
あえて前に攻略した部屋で休息を取るようにさせていた、王国軍部隊が到着したことを知らせる通信だった。
「もう少し休憩していてくれてもいいんだがな。あのお姫様もせっかちなことだ」
「少佐、よほどあのお姫様がお気に入りなんですね。たしかに、からかうのが面白い御仁ではありましたが」
「そうか?普段とさほど変わらないと思うが」
来栖はあえてそれ以上言わなかったが、たしかにやたらと縁があるあのお姫様を気に入っているように見えた。とかく人物に対する評価が厳しいこの男が、まだ未熟な指揮官を気にかけることなどそうはないのだから。
「さて、同盟国の指揮官殿を出迎えてやるか。いくらネスト内だからといって、顔も見せぬという訳にもいくまい」
――そういうところが特別扱いなんですよ、と来栖は内心で言いつつも、顔には出さなかった。
「確認しておきたい。そちらの部隊の稼働機についてだ」
駐機姿勢を取らせた武隆改のコクピットに座ったまま、剣は問いただす。
最初はヒルデリアが機体から降りての会談を提案したが、剣は頑なに断った。
ここは戦地、すぐ戦闘が可能な状態でなければ話し合いなど出来ない、それが剣の言い分だった。
ヒルデリアは異議を唱えるのも面倒なので反論しなかったが、だったら通信回線を通じて話せば良かろうにとも思っている。
「現在こちらの動かせる人形は27体だな。貴公の部隊とそれほど変わらない数だ。こちらへ連絡のために来たのは7体。残りはさきほどの『部屋』に残してきてある」
「賢明な判断だ。さて、問題はここからだ。この部屋には複数の回廊が存在している。これまできた回廊に加え、分岐する回廊もある」
「判断を誤れば挟撃されることになる、という訳か。貴公の言いたいことは」
ヒルデリアの回答に満足したのか、剣は学生の口頭試問に臨む教授のような態度で頷く。
「その通りだ。かといって、BUGもここから先は必死に抵抗してくるだろう。今のところは暢気に相談もしていられるだろうが、この先はそうはいかないはずだ」
「つまり、何が言いたいのだ」
論理的思考力を試されているような気分になり、ヒルデリアは明らかに不機嫌そうに答える。
「危険を承知で、部隊を分ける。元より、ネスト戦に戦力の集中運用は向かないことはわかりきっている。具体的にはそうだな……王国、帝國双方で部隊を二分するというところかな。」
「たしかに、ネストにおける戦闘正面は限られるが……戦力を分離しては各個撃破される可能性が……」
ヒルデリアの言葉には、どこか歯切れが悪かった。視線も剣を見据えることなく、『床』の当たりをさまよっているように見えた。
「それでも、だ。時間は向こうの味方だ。時間をかけ過ぎれば、反応兵器に灼かれなかったBUGがこのネストまで到達する。おまけに、今は停止状態にあるこのネスト自身の移動が始まれば目もあてられぬ事態になる」
「それよりは、分散した部隊が壊滅しようとも、マザーまで到達する部隊がいればいいということか」
「そういうことになる。元々、そういう分の悪い作戦だからな、ネスト戦というのは」
「……ある程度の犠牲が出ることは前提、か」
ヒルデリアの瞳にはわずかな迷いが見て取れた。覚悟や決意は立派でも、実際に部下を大量に失うことになったときこのお姫様は耐えられるだろうかと剣は思った。
自尊心の高い彼女の前でそれを口にする愚は犯さない。こういうことは直面してみなければ分かることではない。他人にどう助言を受けようが、結局はただ一人で現実に対峙し、責任を取るというのが指揮官の孤独というものだ。
「そういうことになる。ここから先は文字通りの死地になる。我々の部隊が一兵残らず全滅しても何の不思議もない」
「分かった、覚悟はしておこう。だが、マザーは必ず私の部隊が破壊する。必ずだ」
ヒルデリアは自分自身に言い聞かせるようにそう宣言する。剣はその言葉に対して、否定も肯定もせずにかすかな笑みを浮かべている。
その態度が舐められいるように感じて気に食わなかったが、彼女にもこの場で言い争いをする気はなかった。
返事の代わりに人形のハッチを閉じ、それ以上の会話を打ち切った。
それを面白そうに笑って見送った剣は、来栖に操縦席のハッチを閉鎖するように命じる。外周に設置された警戒監視センサーが反応したのは、その瞬間だった。
「センサーが多数の移動目標を感知。方向は、我々がやってきた回廊です」
坂本中尉からの報告は落ち着いていたが、すでに戦闘を覚悟しているように聞こえた。
「どこから出現したのだ、BUGは。我々が移動してきたときには、何も異常はなかったぞ」
通信回線でそう問い質してきたヒルデリアに、剣は侮蔑を含む声で応じた。
「ここはすでに死地だと言っただろう。敵がどこに通路を開削してきたところで、驚くには値しない。そういうことだ」
「くっ……分かった。迎撃戦闘に……」
「不要だ。貴公らには背後の警戒を頼みたい。後ろから魔法をぶっ放されるのはぞっとしないのでね」
「了解した。そうさせてもらうとしよう。部隊の分離については、この敵を撃退してから再度話し合う、それでいいな」
言葉だけは素直だが、明らかに不満の持って行き場がないのがありありと分かる口調で、ヒルデリアは応じた。
「了解した。後方警戒、宜しく頼みます」
剣の言葉に対する返答は無かった。なにやら、考えるところがあるらしいと剣は思った。
「あのお姫様、たしかにからかいがいがありますね。大隊長殿がご執心なのも分かります」
来栖が忍び笑いをこらえきれずに、そんなことを言い出す。
どうやら、二人のやりとりが妙にツボに入ったらしい。
「阿呆なことを言うな。ここから先はのんきに休む先もないかもしれんのだぞ」
上官がそう言いつつも、微妙に口角が上がっているのを来栖は見逃さなかった。
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