第4話 軌道降下作戦

 人類が「雷神の槌」作戦へ投じた最大の戦力、それが帝國航空宇宙軍が保有する試作宇宙輸送機「X1―BT2」であった。スクラムジェットエンジンによって地上から衛星軌道上に駆け上がり、また地上へと降りることの出来る宇宙往還機であった。


 直前までスクラムジェットエンジンの開発が難航していたため、北米戦勃発当時はまだ実用化試験の真っ最中であった。国際連盟からの要請でこの宇宙往還機を軌道降下用として改造する事となったのは、北米作戦開始直前の事であった。


 確かに「X1―BT2」は降下作戦用ポッド投射システムを装備する事で、軌道降下母艦としての運用も可能ではあるが、それに伴う改造は一朝一夕で出来ることではない。

 軌道降下システム自体は以前より研究されており、迅速にBUG支配地域に戦力を投射して奪回する切り札として期待されていた。


 しかし、まずもって「X1―BT2」はあくまで衛星軌道上(いずれは月面にも)物資を持ち上げる宇宙輸送機であった。 それを軌道上からの降下作戦に用いるには、搭載量の増大と精度の高い投射システムの開発が急務であった。

 そんな困難を抱える軌道降下システムだが、BUGの背後を突くという構想自体は魅力的なものがあり、帝國航空宇宙軍を中心とした国際共同開発は莫大な予算を消費しながら進行し、北米戦開始直前にはある程度の目処がつきつつあった。

実戦までのテストはまだいくつかの段階を残していたが、国際連盟軍の横やりでいくつかのテストをすっ飛ばしての実戦投入という無茶が行われている。

 今回投入されるのがテスト用の三号機であり、量産前の機体というのがその突貫ぶりを現わしている。


 そのような泥縄の状況の背景には、政治的な理由で反応兵器の全面使用が不可能という事情があった。投入される反応兵器はあくまで戦術級に限られ、将来的な土地利用に支障が無いよう配慮が求められている。

 もっとも全面使用が肯定されるケースそのものが人類の敗勢を示しているから、この辺りはおおいに矛盾をはらんでいるとも言える。

 ともあれ、国際連盟軍のドクトリンでは蟲塞の破壊には準戦略級以上の反応兵器使用が前提とされているから、困った事態ではある。


 以上のような経緯から、北米戦開始直後の実戦投入決定から軌道降下システムの開発は急ピッチで進められた。地上でのシミュレーション、何度かの実地試験など開発は惜しみない予算をつぎ込まれてもなお難航した。

 ようやくの事で曲がりなりにも実戦運用が可能になったのは、奇しくもこの「雷神の槌」作戦の直前であった。

 

 

 かつては海軍土浦飛行場であり、航空宇宙軍発足に伴い航空宇宙軍の研究・教育機関として整備された土浦航空宇宙軍基地。


 その巨大な格納庫から引き出されてきた「X1ーBT2」試製三号機、いや直前になって慌ててつけられた制式名称によれば「試製六十五式軌道輸送機『鳳凰』」は、その巨大な翼を滑走路上に現わした。


 かつて試験機としての性格から白一色に塗装されていた姿から一変し、航空宇宙軍の標準塗装である青灰色に変わっている。


 煌々と発光ダイオードLED照明に照らされている機体は翼と胴体が一体となっており、空気抵抗の低減と表面積の抑制に配慮した設計が見て取れる。


 機体後部には真田重工が開発した円筒形の六十四式極超音速発動機スクラムジェツトエンジンが四基搭載されており、その巨大な推力が衛星軌道上への弾道飛行を可能としている。


 鳳凰の機長を任されている須長友典大尉は、それとなく搭乗している部下たちの表情を伺う。


 といっても、この『鳳凰』の搭乗員は機長と副操縦士、航法士、レーダー手の四人だけだ。操縦の省力化によって、それだけの乗員数での運用が可能になっている。


極超音速発動機スクラムジェツトエンジン甲から丙まですべて異常なし、出力値正常範囲内」


「通信機、テレメトリー装置正常。送受信に問題なし」


「軌道降下システム、自己診断異常なし」


 副操縦士や航法士からの報告に、須長は大げさに頷いて見せる。


 これが初めての実戦となる者もいるから、それなりの演技をして安心させてやらなければならなかった。


「鳳凰1より飛鳥1一、いや第一降下兵団の兵士諸君、調子はどうかね?」


 格納庫内の降下ポッド内で射出の瞬間まで待機している兵士たちに向けて、須長は呼びかける。


「飛鳥1より鳳凰1、我ら極めて環境狭小なれど意気軒昂。敢闘精神の発揮に支障なし、といったところだな」

 第一軌道降下装甲歩兵団1stO.D.A.C――通称一降兵団。

 国際連盟軍肝いりの新部隊として航空宇宙軍内に発足してから、猛訓練を積んできた精鋭部隊であった。将来的には国際連盟加盟各国に対BUG用軌道降下部隊を整備する計画があるようだが、現時点で実戦能力を持つ部隊はこの部隊だけだった。


 元より「X1―BT2」の派生機体として降下作戦用に開発されている別の宇宙機

を母機として用いる計画であったが、その機体の就役が今回の作戦には間に合いそうもないため、試製三号機の「X1―BT2」が母機として運用されるようになった経緯がある。


「狭さだけは勘弁してくれ。宇宙に持ち上げるものはネジ一本でも書類が必要なんでね」


「BUGより恐ろしいのは主計科の連中だな」


 一降兵団の兵士たちが馬鹿笑いしている声が、マイク越しに聞こえる。

 およそ戦闘前の兵士とは思えぬ、不敵な態度だった。


――あれが本物の兵隊たち、そういう事なのだな。


 そんな事を思いながら、須長は通信機の制御盤を操作すると、管制塔への通信回線を開く。

「鳳凰1より土浦管制コントロールへ。出撃準備完了」


「土浦管制より鳳凰1。出撃前基準項目に異常ないか」


 返ってきたのは珍しく女性の声だった。

 出撃前に幸先のいいことだ、と須長は思う。

 幸運の女神が微笑む兆しと、勝手に思うことにする。


「鳳凰1、すべて異常なし。出撃許可求む」


「土浦管制、出撃を許可します。R1より地上走行、二番滑走路より離陸をお願いします。御武運を」


「感謝する」


 須長は短くそう応えると、重い機体を地上走行させて二番滑走路へと移動させる。

 地上走行を終えると、指定された二番滑走路へと出る。

 最近拡張されたばかりの、4000メートルの長さを誇る滑走路だった。


「しかし、こいつ本当に宇宙へ出るんですよね。こんな普通の滑走路からなんて」


 副操縦士はなんとも微妙な顔で、モニターに映し出される滑走路を見つめている。


「正確には衛星軌道上だな。宇宙には違いないが」


 須長はそう応えながら、再度診断プログラムを表示する液晶画面に目をやる。

 どこにも異常はないはずだが、ここから先は須長にとっても未体験の領域だ。


「鳳凰1離陸開始。六十五式発動機始動」


 液晶画面の速度表示があがっていき、最初は緩やかだったモニター上の周囲の景色が急速にその表情を変えていく。


「離陸しました」


 副操縦士の言葉に、須長は短く頷く。

 目を液晶表示に移すが、今のところ機体の異常を示す表記はない。


 身体を座席に押しつける強力な重力加速度は感じるが、そこまで強烈な振動は感じない。


 軌道上を目指しているとは思えぬほどの静けさだった。


「まもなく第一宇宙速度V1へ到達します」


「了解。投射地点まではあと何分で到達する?」


「北米上空の投射地点まであと72分で到達する予定です。ただ、相手は一応動きますからね」


「衛星軌道上から見れば、亀の歩みのようなものだがな」


 須長の言葉に、部下たちから失笑が漏れる。

 良い雰囲気だった。


 これがBUG相手の戦争ではなく、月や火星を目指す旅行だとしたらどんなに良かっただろうかと、須長は思った。


 子供の頃から宇宙に憧れて航空宇宙軍の厳しい選抜試験を突破し、搭乗員となった彼がようやく宇宙空間へ飛び出す最初の任務。


 だが、それは移動蟲塞制圧のための、衛星軌道上からの降下部隊投下であった。

 人類の生き残りのためという大義名分こそあったが、どうにも心躍る任務とは言いがたいなと、個人的には思っている。


 だが、彼は軍人だった。個人の趣味はさておいて、俸給分の仕事を所属する国家へ捧げねばならないのだった。

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