第3話 背水の陣
疲弊した合衆国軍、そして避難民が退避していった先は、おおまかに二つあった。
一つはサンディエゴやサンフランシスコといった、ハワイへの脱出を前提とした海軍やや空軍を中心とした部隊群であった。あまりに大きな損害を受けすぎ、部隊としての機能を失った陸軍部隊もそこに含まれている。
逆にある程度損害を抑えられた(あくまでほかの部隊と比較して、だが)部隊は、メキシコ方面へ避退していた。来るべき反攻作戦に備えるため、というのが一応の理由であった。
メキシコ政府は国際連盟の要請とはいえ、当初合衆国市民――その実態はもちろん難民である――と、武装した合衆国軍将兵の受け入れに否定的だった。
しかし、BUGが国境線に迫るとともに態度を軟化させた。
たとえ藁だろうとすがるものが無いよりはマシ……そういう事であった。
とはいえ、合衆国軍と比べいささか士気と装備にあやしいところのあるメキシコ軍は国境線の死守を既に放棄していた。
政府機能もすでにメキシコシティーからユカタン州の都市、メリダに移転させている。この決断は流石に果断に過ぎるように合衆国人には思えたが。
地峡地帯に構築され続けている応急陣地を眺めながら、ウィリアム・ゲイツ中尉はM2『ウェデマイヤー』戦車のハッチで火の点いていないタバコをくわえていた。
縦深陣地とはとても呼べない手掘りの壕が混じる陣地には、連絡壕の整備すら怪しいところがあった。
そもそも数に任せて平押ししてくるBUGに対して、この陣地がどれほど役に立つのかは微妙だったが。
「まあ、気休めというのはいつでも必要だからな」
そうひとりごちながら、ゲイツはオイルライターを取り出すと火を点けようとする。
だが、残念ながら長いことろくに使わなかったために手入れがされていないそのライターは、なかなか点火しなかった。
そもそもゲイツは大学時代に若気の至りで吸っていた時代から、長いこと喫煙の習慣を断っていた。本格的にコンピューターの仕事をするようになってから、精密機器を傷つけるタバコからは自然と遠ざかっていた。
軍に引っ張られ、将校の真似事をせざるを得なくなってから再び覚えた悪習だった。
「いつまでそんな年代物を使ってるんです」
呆れた顔をしている伍長が、自らの点火したライターを差し出す。ありがたく口にくわえたタバコを押しつけると、たちまち紫煙が立ち上る。
肺に吸い込んだニコチンによって血管が収縮する。
――ろくでもない習慣であることはたしかだ。が、命の危機を感じる戦場のストレスを麻痺させるには必要な麻薬だ。
麻痺した思考回路でそんなことを思いながらタバコの旨さを味わい、次いで煙を吐き出す。
「戦車への補給、並びに整備作業がすべて終わったそうです。履帯の予備がいささか心許ないようですが」
「仕方ない、負け戦だ。逃げてくる時に、装備品をそうそう抱えてこれる訳がない」
ゲイツは塹壕の掘削作業を続ける重機を眺めながら、タバコの灰を落とす。
「……メキシコ軍も必死ですね」
「ここは彼らの国だからな。そして、俺たちも彼らも後がない」
――憂鬱な現実だな。だが、やるしかない。
自らの戦車に目を落としながら、ため息をつきたくなるのを抑える。
国際連盟軍――王国軍に助けられたあの日から、さほど変わっていない時代遅れの戦車。
小型BUGでなければ一撃で装甲を貫通できない105ミリ主砲は、撃ちまくって命数を終えた砲身をようやく交換したばかりだった。
次の砲身は調達出来るか怪しい、とゲイツは思っている。
帝國製の新型徹甲弾――国際連盟規格に準拠しているため、口径が同じなら共用が可能である――が供給されたとも聞くが、どこまで実戦で使い物になるだろうか。
そんなことを考えていたとき、不意に大きな振動が戦車を襲う。
いや、戦車ばかりではない。
作業をしていた重機が作業を止め、メキシコ軍の工兵たちが慌てて何かをまくし立てている。
「地震か?」
「いえ、それにしては妙な揺れでしたが」
とはいえ、ゲイツも伍長も海外に出たのはこのメキシコが初めてで、ろくに地震など経験したことがない。
「慌てるな!今のは地震ではない!」
そう大声で言ってきたのは、ゲイツの上官になったばかりの中隊長だった。
前の上官はとうに戦死しており、つい数日前にやっつけ気味につくられた戦車中隊だった。中隊が装備する戦車はかなり怪しく、無事な戦車も部品不足が深刻で何両が稼働出来るかは怪しいところだった。
ゲイツの見るところ、半数が稼働出来れば整備兵に勲章を申請してやらなければいけないと思えた。
今のところ中隊とは名ばかり、小隊よりは大きな隊という意味でしかない。
末期戦そのものの風景だった。
「地震でないとすれば、何なのでありますか。中隊長」 。
伍長の質問に、中隊長はいささか投げやりに答えた。
「パナマ運河を爆破したんだとよ。地峡を完全に切断して、BUGを南米に渡
らせないようにするんだそうだ」
「バカな、運河を破壊するのは分かりますが、地峡の切断なんて出来るはずがない。何十万トン高性能爆薬をつぎ込んだって……」
そう言いかけて、ゲイツは言葉を止めた。
どこで読んだか忘れたが、国際連盟がパナマでBUGが北米を呑み込んだ時の対策としてあやしげな事業をやっていたのを思い出した。パナマ運河の拡張に加えて、妙な土木工事を散々行っているとかいう話だった。
それに爆薬の準備も絡んでいるのか。しかし、いくら高性能の爆薬を備蓄していたとしても、二千キロ以上離れたこのメキシコまで衝撃が届くだろうか。
「……反応兵器か。いつの間にパナマ運河まで持ち込んだんだ」
中隊長は何も答えず、無言で別の場所へ歩いて行った。
その態度に、ゲイツは確信めいたものを覚える。
「中尉、そんなことはどうでもいいでしょう。問題はですよ、俺たちにもう逃げ場がないってことですよ」
この豪胆な男にしては珍しく焦燥感に襲われている顔で、伍長はゲイツのことをにらみつけている。
「確かにそうだな。真偽ははともかく、南米まで逃げる訳にはいかなくなった……かもしれん」
もう大半が灰になった紙巻きタバコを戦車の装甲板に落として踏みつけたゲイツは、事もなげに言った。
「だが伍長、そんな事はこれまでも一緒だったろう。俺たちの任務は変わらない。この国に避難してきた合衆国市民、そしてついでにメキシコ人どもを守るのが俺たちの任務だ。そして、どうせ後退が許されることは滅多にない」
「はあ、まあ、そうですがね……将校殿はともかく兵隊の気分ってのは違います。『当面は逃げられない』ってのと、『どうあろうと逃げるところがない』ってのは、ずいぶんと要求される覚悟が異なります」
「そういうものか」
「そういうものです」
二人はそう言ったなり、再び始まった陣地構築作業を眺め始める。
当面、彼らの仕事は退屈をしのぎつつ休息を続ける事だった。
そして、いざとなればこの陣地を死守しなければならない。
戦車の仕事とはかけ離れた任務ではあったが、兵数が限られている以上無い袖は振れない。
――どのみち、我々人類が攻勢を仕掛ける事などこの戦争ではもうないだろうな。
人類がすでにこの戦争で蟲塞攻略作戦を決断した事など、彼は知る由もなかった。
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