第36話 英雄の戦争
ソルトレークシティーに到着するなり、剣は第二旅団の臨時司令部に呼び出された。
通されたのは臨時司令部として接収されている民間会社のオフィスビル、その社長室として使われていた部屋であった。
旅団長自身はまだ会議が長引いているとかで、「先に部屋に入って待っていろ」という話であった。
剣は待たされている間、部屋の応接セットのソファに腰掛けてふんぞり返っていた。特段やることもないので、マホガニー製の机に置かれた銀製のシガレットケースを手に取る。
おそらくはそれなりに羽振りのよかった会社なのだろう。
未使用かつキューバ産の高級そうなハバナ葉巻がぎっしりと詰められている。
そのうちの一本を手に取ると、手慣れた手つきでケースの脇に置かれていたシガーカッターで吸い口を切る。これまた机にあったオイルライターの火であぶり、ある程度炭化させてから火をつける。
口の中に香り高い煙を吸い込むと、ゆっくりと吐き出す。
剣には喫煙習慣はほとんどなかったが、葉巻だけはごくたまに嗜むことがあった。
小規模ながら貿易商社を営んでいた養父の影響であった。
彼には事業の才はなかったが、曲がりなりにも剣の学業を支えるくらいはしてくれた。その養父の数少ない趣味が、葉巻と海外の艶本の収集であった。
どちらも養母には毛嫌いされていた。
事業に失敗したときに手放した艶本が、好事家に意外な高値で売れた時には微妙な顔をしていた事を思い出す。
「遅れたな」
高嶋少将は見る者にほほえましい印象を与える丸顔に、微笑を浮かべていた。
育ちの良い人なのだろう、疲労で目の下にはくまができているが陰鬱なものはない。
「先にやらせてもらってますよ」
「かまわんさ、ここの元住人が慌てて逃げる時に置いていったものだからな。そもそも、俺に喫煙習慣はない。貴様に進呈しよう」
「ありがたく。まあ私もたまにやる程度ですから、残りは部下にくれてやります」
「そうするといい。命のやりとりをしている時は、そういう悪徳も必要だ」
高嶋少将はどこまでも嫌みのない顔で、机に向かうと引き出しから携帯コンロを取り出す。
褐色の粉末と水筒の水をホーロー製のカップに注ぎ、火を付けたコンロへ載せる。
程なくして、贅沢な珈琲の香りが立ち上る。
「コーヒーは好きかね。残念ながら
「ええ、好きですね。前線では欠乏しがちな贅沢品ですがね。特に満洲では」
「そういえば君は『大陸浪人』だったな。満洲育ちとも聞くが」
試すような言葉に、剣は淡々と答える。
「ま、軍歴の大半は大陸ですな。対BUG戦闘の実戦経験に不足はありません」
剣は不敵な笑みを浮かべながら答える。
「気分を悪くしないのだな。揶揄するような言葉だろう」
「どうですかね。私にとっては褒め言葉ですよ。少なくとも、間抜けが生き残れる場所ではない」
高嶋少将はその答えににんまりと笑うと、コーヒーカップを二つ応接机に置きソファに腰掛ける。
「
高嶋少将は、そう言いながらコーヒーカップに口をつける。
「BUG相手の戦争なのです。想定外など気にしていたらもちませんよ」
剣は頭を軽く下げてコーヒーカップを手に取る。
底意地の悪い笑みを浮かべている。
「まあな、だがどこもメンツというものがある。多国籍軍の面倒なところだ」
高嶋は机を指でたたきながら、考える顔になる。
「サンフランシスコ、サンディエゴ、ともに合衆国人の避難民が殺到している。すで
に避難民を満載した貨物船が、既に何隻もハワイへと向かっているがな」
「まだ時間を稼がねばならない、そういうことですな」
「そうだ。事前に策定した避難計画の進捗率はまだ30パーセントにも満たない。ロッキー山脈の要塞地帯が抜かれた場合、考えたくない事態が起きる」
「避難民がBUGの餌食になる絵は、国際連盟としても避けたいところでしょうな」
剣は頷きつつ、報道関係者をこの戦争で見かけないなと思い当たる。
命知らずの国際通信社といえども、さすがにリスクが高すぎるということなのか。
さすがに西海岸の周辺には帝國放送協会や同盟通信社といった帝國の報道機関が、人員を派遣しているだろうが。
「そんな絵を撮られたら、我が国も窮地に立たされるだろうね。今後の国際連盟軍にとっても、面倒どころの話ではない」
「今や我が国も報道の自由を保障する国家ですからな。戦時とはいえ、完全な報道管制はできない。ましてや、海外の通信社は」
それは、第一次蟲戦の政治的な影響だった。蟲戦特需による経済成長と、対BUG戦における膨大な流血の代償を求めた中産階級は政治家を通じて国会にそれを求めた。
帝國憲法の改正により表現の自由に関する制限条項が削除された結果、帝國社会は光文元禄と呼ばれる文化の爛熟へと向かっていった。
第二次蟲戦の影響でいくらかそれは薄れたが、今でもその影響は色濃い。
「『自由化』の面倒なところだな。いやまあ、戦時統制の方がもっとろくでもないのだがね。……面倒なことは政治家に任せておきたいのが本音だな」
「それで、我が大隊の任務は何ですか。東海岸に逆上陸?」
「まさか、帝國海軍も頑張ってはいるが、大西洋に回すフネが足りない。それよりも問題あるシロモノだがね。仮称『
そう言って懐から取り出した軍用端末の液晶画面に、写真を取り出す。
「
「
剣はその情報に感じる違和感に引っかかりを覚えたが、答えが容易に出ることはなかった。とりあえずは高嶋少将の話を聞くことにする。
「全高約120メートル、体重は少なく見積もっても10万トン。仮に単体
のBUGとすれば、観測史上最大規模だ」
「呆れた大きさですな。従来の固定型
「ああ、動く。おそらくは毎時3~4キロが精一杯だろうがね。さすがに重すぎるのだろう。だが、動くというだけで事態は我々にとって剣呑になる。北米だけではなく、南米すら危うくなりかねない」
「北米を喪うことは辛うじて許容できても、南米の資源と北米反攻の拠点を喪うことは許容できない。そういう
滅多な事では動じない剣も、ため息に近い何かを漏らす。
それに対し、高嶋少将は否定も肯定もせずに、ただかぶりを振る。
「まだ詳細は不明な事が多い。だが仮に、
「BUGの生産補給、おまけに修理施設が想定戦場のすぐ近くにやってくる。面倒なことこの上ないですな」
蟲塞のやっかいさは、実戦部隊にいる者にとっての常識だ。
小型から大型まで多くのBUGが護衛している上に、蟲塞自身も防衛機構を備えている。
対空対地双方に威力を発揮する『砲台』を備えていることが多く、空からでも陸からでも接近すれば生体砲弾が雨あられと降り注ぐ。
まさに要塞と呼ぶに相応しい防御力と、BUGを生み出す生産工場としての脅威。
これまで破壊された蟲塞が数えるほどしかない事実が、恐ろしさと破壊の困難さを物語る。
「国際連盟軍は急遽、追加作戦を決定した。『
「我々、第二旅団も参加する、そういうことですか」
「そうだ。これには我々帝國陸軍だけではなく、航空宇宙軍や同盟国軍も参加する。詳細な作戦は端末に送っておく。目を通しておけ、忙しくなるぞ」
「兵や物資は補充していただけるのでしょうな。我々の消耗ぶりはご存じのはずですが」
「兵器や補給物資は優先的に回すが、兵の方はあまり期待するなよ。どこも充足率は心もとないのだ」
「分かりました。それでは、部隊に戻り、作戦準備にかかります」
剣は葉巻を灰皿に押しつけながら火を消しつつ、淡々と応えた。
――蟲塞攻略作戦、まさに大戦争じゃないか。英雄が生まれる類いの戦争だ。冗談じゃない。ぼくの戦争にそんな浪漫は必要ないのだ。
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