第34話 夢見る乙女

デンバーの郊外に着陸した飛行艦『黒鯨マハ・エールカ』は、長大な船体を荒野に横たえていた。


艦体後部の乗降ハッチからはすでに赤銅師団所属の人形――ファラトゥーガの搭載作業が始まっている。


「姫殿下、御搭乗をお急ぎください」


ユルスラに急かされて、ヒルデリアはあからさまに不機嫌そうな表情を隠さない。


 感情をあらわにした主人の様子に、ユルスラは内心で嘆息する。


 この姫君は近衛魔法士団という、政治から遠い組織で育ち、貴族将校として過ごしてきた。だからこそ、どこかに甘えを残している。

 

 無論、それが悪いわけではない。

 彼女の年齢としては、むしろ早熟とも言える。

 

 もちろん、今この北米での困難を通じて成長しつつある形跡は見える。

 だが、まだそれが成熟という境地には達していないのだ。


「気に食わぬ」


「何が気に食わぬのです」


「私の部隊だけ、逃げる時も特別扱いということだよ」


「その程度のことですか」


「……その程度だと?」


 怒気をはらんだ言葉にも、ユルスラは微塵も動じる様子はなかった。


「何を今さら。どの国の軍隊でも将校と兵では役割が違う。ましてやあなたは貴族、それも王を出す家柄なのですよ。生き残るのは貴女の義務です」


 ユルスラの言っていることが正論であることは、彼女にもわかっていた。

 だが、正論だけで感情が納得する訳もない。


――私はだだをこねている子どもだな……


 そう悟ったヒルデリアは、何も言い返せずに黙り込んだ。

「ではお急ぎなさいませ。何も我らは本土まで逃げ帰る訳ではありません」


「当然だ。今はただ損傷した人形を修理し、兵を休息させるだけだ」


 その言葉に、ユルスラは内心で驚きを覚えていた。

 これまで彼女の言葉に兵の休息などといった単語を発することがなかったからだ。


 あのツルギとかいう帝國人が痛罵した言葉を、彼女はしっかりと脳裏に刻み込んでいるらしい。


 まあ、良くも悪くも姫様の周囲にはいなかったタイプの人間であることは違いない。


 不意にユルスラは悪寒を感じ、思わず背筋を震わせる。


 脳裏に何か良からぬ予感を感じた彼女は、しかし主人に話しかけられてその思考を中断せざるを得なかった。


後にユルスラはそのことを後悔することになるのだが。


「それで、どこまで逃げるのだ、我々は」


「逃げるのではありません、一時撤退して態勢を整えるだけです」


 ユルスラは呆れた顔でそう言い直すと、主人に厳しい視線を向ける。


「いいですか、姫殿下。兵が見ています。姫の言動次第で兵の士気は奮い立ち、あるいは瓦解します。演習ではないのですよ」


「……わかっている。わかってはいるのだがな」


 ヒルデリアは足を止め、傷ついた人形の群れに視線を向ける。


 積み込みを待っているその人形たちは、装甲が脱落しているもの、四肢のどこかが欠損しているものなど、どれも痛々しい。完全に無傷な人形を探す方が難しいくらいだった。


 本格的な修理は後方の工学魔法士工房でなければ行えないため、辛うじて移動可能なレベルの応急修理がせいぜいなのだ。


「努力なさいませ、それが貴女の義務ですから。地球で言うところの高貴たる義務ノブレス・オブリージユというものです」


「ああ、努力しよう」


「我らの移動先はソルトレークシティーです。その地で我々は反攻のための準備を整えます」


「わかった。今は移動のことだけを考えよう」


 ヒルデリアは長い息を吐いたあと、ようやく足を踏み出した。

 かつて作戦開始時には、足取りも軽かったように記憶している。


 だが、あまりに苦い記憶となった初陣の後では、いかにも重苦しいものに思えた。


 そして、得てしてそういう気分の時に会いたくない人物に出会うものなのだ。


「これはこれはヴァルドゥの姫殿下、お久しゅうございます」


 そう言って慇懃に挨拶をして見せたのは、戦場には似合わない華やかな笑いを浮かべた男だった。


「ロルム家御当主殿。戦場に姿を現すなど、どういう用向きかな?」


 険のある態度でヒルデリアは応じた。


 以前に見かけたのはたしかザルツハイム家の園遊会だっただろうか。


 女系相続が基本の王国貴族社会において、男性の地位は総じて低い。


 しかし、ロルム家は代々女子が生まれにくい家系であるらしく、歴代の当主のほとんどが男性であった。リヒャルト・レダ・ロルムも、ほかに女子がいなかったことから当主となっている。


 正確には先代の側女が一番最後に生んだ女子が末娘としているらしいが、まだ十才にも満たない年だ。後継の座に就くのはかなり先の事なのだろう。


「私とて、近衛魔法士の端くれですからな。飛行艦の運用は我ら兵站部の領分でもあります」


 穏やかにそう言うリヒャルトの笑顔は、どこまでも涼やかだった。

 

 やはりこの男の居場所は戦場よりも園遊会だな、とヒルデリアは思う。

 

 この男が当主であるにも関わらず軍を離れないのは、いかにも不思議に思えた。


――ロルム家は財政難と聞くが、さすがに当主自らが軍の俸給で稼がねばならない程ではあるまいに。


「軍務で赴いてみれば、ヴァルドゥ家の姫殿下が居られるとは。なればご挨拶をせぬ訳にもいかないでしょう」


――どうしてまあ、言うこと為すことこの男は嘘くさいのだろう。


 ヒルデリアは内心辟易としながら乾いた笑みを返す。


 当主という立場上、社交術に長けているのは褒められこそすれ悪い訳ではない。


 だが、その仕草や表情にみじんも本当の事が垣間見えないというのは、いささかほかの政治家や貴族とも趣きが異なる。


「御丁寧なご挨拶、痛み入る。私は軍務がある故、これにて失礼させていただく」


 何か耐えきれぬものを感じて、ヒルデリアは足早にその場を立ち去ろうとした。


「そうそう、一つよろしいですかな。ヴァルドゥ家の姫殿下。此度の戦で蟲塞ネストを見られましたかな?あるいは新型のBUGは」


「新型のBUGなら。長距離砲型のBUGだ。詳しいことは我が師団から報告書が上がっているはずだが」


「なるほど、調べてみましょう。いや、お時間をとらせてしまい失礼いたしました」


 丁寧に頭を下げたリヒャルトは、笑みを貼り付けたまま頷いた。


「役に立てたなら幸いだ。では」


 そう言ってヒルデリアは駆け足に近いスピードで飛行艦の搭乗ハッチへと急いだ。


「相変わらずうさんくさい男だ。あの者に黄色い声をあげる女どもが多いのが解せぬ」


「あの顔立ちに、選王家の当主という地位に魅力を感じるものは多いのでしょう。それが世間というものです」


「……まったく夢のない。そんなものが真の愛であるものかよ」


――真の愛ときたか。


 ユルスラは内心で苦笑しながら、ヒルデリアにどう言葉を返したらいいか迷った。


 外見ばかり真面目に整えてはいるが、この姫君の中身はまるで夢見る乙女なのだ。


――まったく、どこかで免疫をつける方策でも考えた方がいいかしら。

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