第32話 指揮権委譲

  十一月一日十時十五分(米国太平洋時間) 

              コロラド州 デンバー郊外 


 赤銅師団残存部隊がC空港を放棄したのは、輸送機の離陸から三時間後であった。BUGの砲撃音が響く中燃料補給を済ませた『大鵬』は、無事にテキサス州方面へと飛び立った。


 国際連盟軍司令部からねじ込まれたこのあまりにも政治的な要請は、少なからぬ犠牲を赤銅師団にもたらしていた。

 この要請さえなければ赤銅師団は無理に空港の確保を続ける必要はなく、長距離砲型BUGの掃討作戦も別の部隊に任せる選択肢もあったからだ。


 もたらされた犠牲の中でも深刻なのは、師団の精神的支柱であるダッケリ師団長の負傷、それに伴う師団指揮官の交代であった。師団長代理のラカムルが大きな失点をしたわけでは無かったが、大部隊の指揮に慣れていない点は拭い難かった。

 そのことは本人も心得ていた。彼はC空港放棄を決定した後は最低限の防衛戦闘のみで前線からの撤退行動へ移っていた。


 剣京輔大尉率いる『剣中隊(この時点で既に小隊規模を上回る損害を受けていた)も、赤銅師団と行動を共にしている。


 なお、このとき国際連盟軍司令部はようやくゲルデ・カルティア作戦の失敗を公式に認めた。それにより、両国の兵士たちが報われたわけではない。

 しかし、司令部が既に敗勢が明らかな作戦に必要以上に拘泥するほど無能でも無かったのは確かであった。



「大隊長の樫村少佐は、数時間前後送中に死亡されました。戦死扱いになるそうです」


 折れた腕を包帯で吊った若い少尉から報告を受けた剣は、表情に変化を見せることはなく「そうか」と答えた。


――仮にも上官の死に対する態度としてはどうなんだろうか。


 少尉は内心で耐えきれない何かを感じたような気がしたが、それをこの悪魔のような大尉の前でさらけ出すほど子供でもなかった。

「輸血さえ出来れば助かる負傷だったようですが……なにぶん、陣地を急遽放棄した混乱の中でしたので」


 そう言って少尉は静かに目を伏せた。この年齢の若者に、大隊指揮官が死亡する戦争の洗礼はキツいだろうなと思う。

 しかも、どう考えても華々しい名誉の戦死という訳ではない。戦闘の混乱でもたらされた、いかにもありふれた死に方だ。戦場では敵弾で死ぬ事以上に、衛生状態の悪化や暑さ寒さを原因とした死があまりに多い。


 過去の戦争でも、帝國陸軍の歴史はその手の死があまりに多かった。剣はそれを実体験で知っていた。


「君は第二中隊で小隊長を務めていたな」


「ええまあ。兵隊たちの言う新品少尉と言う奴です。今回が初陣でした」


「それはまあ、ご愁傷さまという奴だな。とはいえ、生き残ったことは誇って良い。対BUG戦においてはそれが一番大事な事だ」


「はあ、……そういうことなんですかね」

 少尉はなんとも複雑な顔でうなずくと、首に紐で結わえられている情報端末を取り上げる。通知を知らせる振動と電子音が響いている。


 少尉は通知欄の短信を眺めると、呻くように言葉を吐く。


「オマハの残存友軍部隊がすべて撤退したそうです。事実上、オマハは放棄されました」

「……仕方あるまい。どのみち、この北米作戦そのものが遅滞防御のようなものなのだからな。すべてのBUGを掃討することは戦力的に不可能。さらに、時間をかければかけるほど蟲塞ネストからBUGが湧き出す。面倒なゲームだよ」

 淡々と答えつつ、剣は傷だらけの金属製折り畳みテーブルに広げられた北米中部の地図を眺めた。

 あれこれと英語や日本語が書き加えられたその地図のオマハ市街地には、黒々と×印が付けられている。


「それで、指揮は誰が代行している?」


「第一中隊の中隊長殿です。現在、野戦病院で治療中だそうですが」


 その一言だけで、オマハ防衛戦の混乱ぶりが想像出来る言葉だ。大隊長は死亡、指揮を代行するものすら野戦病院行きというのは想像を絶する惨状だった。

 相手に長距離砲撃を行う存在が出現した程度でこの混乱ぶりか、と思う。

 これまでは数を頼みにひたすら力押ししてきた相手が、新たな攻撃手段を繰り出してくるというのは確かに衝撃ではあるのだろうが。


 かつて人間同士の戦い――第一次世界大戦、そして二度目の世界大戦になりそうだった欧州戦争――なら野戦砲など、脅威ではあるが常識だった。

 対BUG戦の先例による『常識』に慣れ過ぎたことの弊害だな、と剣は思う。敵の戦術が急に変化することなど、有史以来同じ人類相手の戦争で散々経験してきた事だろうに。


「分かった。それで、このデンバーの要塞化はどの程度進行している?」

 剣が指さした場所――オマハから何本かの黒い矢印が伸びている先には、デンバーの市街地があった


「残念ながら、オマハのようにはいきません。ある程度の外殻陣地は完成しているようですが、市街地自体はほぼ手つかずです。何しろ、自由の国ですから」

 言外に揶揄するような口調で、少尉は答えた。

「仕方あるまい。民主主義国家にはつきもののコストだ。我が国とて例外ではない。いつあるか分からない対BUG戦争への備えより、医療や福祉の充実を有権者は求めるものだ」

 剣の反応に意外そうな顔をする少尉だが、すぐにその先を続ける。

「国際連盟軍司令部も、この都市での防衛戦には期待していないようです。より要塞化が進み、地形的にも防衛がしやすいソルトレークシティーに戦力を集めている模様です。」


 少尉が手元の情報端末を操作すると、剣の端末に戦力構成が開示される。師団数がせいぜいの粗々な情報だったが、一応は防衛戦闘が可能な師団数が揃っているように見える。


 しかし、その大半は実戦経験に乏しい「留守師団」めいた編成の師団や、戦闘で消耗した師団が多く含まれている。

――どこまで戦力として数えていいか怪しいものだな。おそらくデンバーを死守するつもりはなく、あくまでBUGの侵攻を遅滞させ、時間を稼ぐのが目的だろう。

「それで、我が旅団の司令部からの命令は? まさか、再編もなしにこのままデンバーで防衛戦闘を行えという訳ではあるまい」

「ひとまずはソルトレークシティーで再編成を行うとのことです。旅団司令部もそこへ移動…」

 少尉がそう言いかけたところで、天幕のシートがめくられて来栖摩耶軍曹が入室してくる。


「大尉、大隊の指揮を代行していた第一中隊の溝内大尉は、軍医殿の診断の結果、後送が決まりました。意識の混濁で、指揮は不可能とのことです」

「そうか」

 特段の感情を見せずに、剣はうなずいた。

「大尉、現時点をもってあなたが我が大隊の最上級者となりました。つまりは大隊指揮権を引き継がねなばならない。そういうことになります。なにしろ、あなた以上の将校は後送されるか、靖国へ行くかしてしまいましたから」

「……面倒な話だ。だが、僕の大隊。僕の指揮する大隊か。まあ、悪くは無い。問題は消耗によってそれが大隊と呼べるか怪しいところだがな」

 そう言うなり、剣は魔王のように嗤った。


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