第15話 ブリーフィング
十月二十八日十二時五分(米国太平洋時間)
「中隊長、起きてください」
剣の意識はその声で、瞬時に覚醒していた。
脳裏にまだ残っている満洲の風景を振り払うように目を開ける。彼は夢の中のように学生ではなく、年相応の経験を経た軍人であった。
八木中尉の仏頂面が見下ろしているのを見ると、自分がおかれている環境をすぐに思い出す。
彼は十三年前の満洲ではなく、滅亡を間近に控えた合衆国――北米の大地にいるのだった。
剣はすぐに起き上がると、野戦用寝台で固くなった身体をほぐすべく屈伸運動を始める。
所定の陣地に到着してから剣は、すぐに仮眠に入っていた。四時間にも満たない時間ではあるが、珍しく寝台で眠れたので移動の疲れは多少マシになっている。
休める時には徹底的に休む主義の剣らしい行動ではあった。
「何かあったか」
上半身を伸ばす運動をしている剣を呆れた顔で見ながら、八木は報告をはじめる。
「大隊司令部より出撃命令です」
「陣地のどこかでも破られたか」
「いえ、王国軍からの増援要請という話ですが。詳細は端末の命令書を確認してください」
剣は寝台脇においてあった端末を手に取ると、指紋認証して命令書を確認する。
そこには、命令の詳細が簡潔に記載されていた。王国軍が孤立しつつあるC空港まで進出し、その撤退を支援する。
簡単にまとめてしまえばそういう事だった。
「増援は六○式か……まあいい。整備には装甲歩兵や車両はすぐに出られるようにしておけと伝えろ。それから各小隊指揮官を召集。簡単な打ち合わせを行う」
「すでに整備隊には最終点検を命じてあります」
如才ないことだな、という言葉を剣は枕元に置いてあった水筒の水とともに飲み込む。この男が軍事官僚として優れていることだけは確かに思えた。
「それでは、一度失礼します」
逃げるようにその場を後にする八木を見送る。
まったく、満洲の夢など見るのは久しぶりだった。
――やはり、この戦場はろくでもないことになるのだろうな。
それは確信に近い予感であった。
◆
狭い天幕に集められた指揮官は、よくも揃えたりと感心するような、ひと癖ありそうな者たちだった。
彼らは端末に送られている作戦資料を読んだり、堂々と仮眠を決め込んだり思い思いに待ち時間を過ごしていた。
数分後に遅れて現れた剣は、挨拶もそこそこに一人の男に自己紹介を促す。
「第三戦車小隊長、森里少尉であります。今回の臨時編成では、中隊長の指揮下に入ります」
カマキリを思わせる顔つきの、戦車乗りらしい
敬礼と挨拶もそこそこに、板状情報端末に表示されている作戦資料を読み込んでいる。
この中隊に馴染もうとする意志は最初から無い、そんな風に無言で語っているように思えた。
剣にもその態度をどうこうする意志はないらしい。
そういう気遣いめいたものを示すような男では無いことを知っている指揮官たちは、特段の反応を示さなかった。
森里少尉の自己紹介がおわったあと、剣は吊り下げられている簡易白板に作戦図を貼り付け、作戦内容の説明をはじめる。
その説明は余計な部分がほとんどない、簡潔に過ぎるものだった。
「何か質問はあるか」
剣が問うと、すぐにほっそりとした手が上がる。
第一小隊の小隊長を務める、
「つまり、この作戦は王国の尻拭いという事ですか」
切れ長の瞳を細めながら、剣に問いただす。
美人と言ってよい顔立ちではあるのだが、抜き身の刀身を思わせる眼光ばかりが目立つ印象を与える女性だった。その瞳が翡翠のようなエメラルドグリーンであることも、彼女の強烈な印象の原因だった。
尖った耳をしているのは彼女の母親が王国人、しかもタムタム族であることを示していた。瞳の色もそれに由来する。
軍服の上からでも分かる女性らしい身体つきだが、他の軍人たちより身長は頭一つ低い。彼女に言い寄る人間がほとんどいないのは、その身長のせいではない。
苛烈に過ぎるその戦ぶりからだった。果敢に過ぎる戦闘指揮に「新兵殺し」と口さがなく渾名するものもいた。
「それは違うな、鳴神少尉。作戦全体の指揮権は国連軍司令部にある。王国軍もその指揮を受けて動いている……まあ建前ではな。王国軍のお嬢様方に戦争のなんたるかを教育してやれ」
剣は露悪的に笑う。
その声に、数人から失笑が漏れる。
「さすがに言葉が過ぎるかと。いやまあ、そういう言い方は好みではありますがね」
そう言っている男の口元にはその言葉を楽しんでいる表情が浮かんでいる。野卑な印象を与える悪相と呼ぶべき面構えの男は、表情に反したきれい事を言う。
装甲歩兵乗りとしては規定身長の限界に近い長身であり、鳴神と立って並ぶと親子ほどの違いがあった。鳴神もそれを気にしてこの男の近くに立ちたがらない。
坂本少尉、第二小隊を任されている若い士官だった。剣と同じく、満洲において装甲歩兵での戦闘指揮を幾度となく経験している。
「それで作戦の要点は、つまりは救出任務ですか」
やりとりを元に戻したのは第三小隊を任されている
野戦用の折り畳みイスが窮屈そうに見える、熊のような体格の男だった。小隊長の中では一番年かさだが、糸目と人の良さそうな顔で威厳と呼べるものは見当たらない。
あれこれ面倒を抱え込むクセがあり出世が遅い、というのが兵たちの評価だった。
剣の評価は「無能ではないが、組織の中で利口に立ち回るのには向いていないタイプ」というものだった。
むろん、剣の場合も似たようなものだ。が、分かっていて好き勝手に振る舞っているぶん、よりタチが悪いと言える。
「救出と言えば聞こえは良いがな。事実上の撤退作戦だ。敵に主導権を握られている以上、損害はゼロとはいかない。損な役回りだな、森里少尉」
言葉に反して実に楽しそうな顔で剣は魔王のような笑みを浮かべる。
「任務に否応はありません。命令が下れば行くだけです」
特段の抑揚のない言葉で答える森里少尉をつまらなさそうな顔で見た剣は、すぐに視線を簡易白板へ戻す。
「他に質問はないか……無いようだな。75分後に作戦を開始する。それでは解散、かかれ!」
剣はそれだけを言うと、ぞんざいに敬礼をして見せた。訓令は一分もなく、ただ作戦の要点だけを説明する打ち合わせで終わった。
もとよりこの部隊に馴染む気もない森里少尉だが、これには少々驚いていた。
――これが剣京輔大尉という男か。まあ、くだらない美辞麗句を弄されるよりはマシだがね。
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