第10話 大隊司令部
十月二十八日八時十五分(米国太平洋時間)
ネブラスカ州 オマハ 旧エプリー・エアフィールド
生体砲弾の炸裂する音が響き、エ号陣地内に少なからぬ被害が発生する。
ミズーリ川の向こうに迫るBUGの大群は、幾度も砲撃を受けつつ渡河を試み続けていたが、エ号陣地は火砲を効果的に組み合わせた火力と野戦築城による強固な防御を発揮し、何度もBUGの渡河をはねのけている。
おかげでエ号陣地を大坂冬の陣で徳川方を大いに苦しめたと言われる出城『真田丸』になぞらえ、『オマハ丸』と呼ぶ将兵もいた。
樫村少佐は土嚢を積み上げて作られた半地下式の大隊本部で地図をにらみつつ、各部隊からの報告に耳を傾けていた。地図は簡易的ではあるが高低差を再現した模型図となっていた。
その上に、部隊を模したチェスの駒が配置されており、各陣地に配置されている部隊の状況が把握出来るようになっている。
この時代においてはアナログ過ぎる装置だが、わかりやすいことは確かだった。
「出来ることなら、ロッキー山脈まで後退して守りたいところだが。そういう訳にもいかないのが辛いところだな」
そうぼやきながらも、樫村はそれが出来ないことも理解していた。そこまで後退すれば山脈という地形障害に依拠した作戦が可能にはなる。
しかし、そこが抜かれた場合、一度で何もかもが
ならば、山脈の前に防御陣地を重ねておき、そこでいくらかでも敵の数を削り取る必要がある。
北米派遣総軍司令部の指揮に面白みはないが、理にはかなっている。
「第一中隊、H一ブロックを渡河したBUGと交戦中。損害は三両が中破、一両が小破。パイロットの損失はありません」
自分の端末を見ながら、そう報告した大隊参謀の古橋大尉に、樫村は渋い顔でうなずく。
無視できない損害だった。
戦闘初日にして、第一中隊が四分の一近い数の装甲歩兵を損傷したことになるからだった。損害は今後、まだまだ増えることは明白だった。
「整備中隊に機体の損傷修理を急がせろ」
「了解です。」
復唱を聞きつつも、脳内で計算を働かせている。
古橋が無線機で交信している間も、樫村の視線は地図の上を行ったり来たりしていた。
「つくづく、だだっ広い平原というのは装甲歩兵には向いてないな」
「平地での装甲歩兵は、BUGの大群には分が悪いですからね」
古橋大尉の追従に、樫村はぞんざいにうなずく。
「
現状、『オマハ丸』という名称はやや過剰に過ぎる、というのが樫村の偽らざる思いだった。
オマハ市街地の「川向こう」にはそれなりの要塞地帯が広がっていたようで、帝國軍が到着するまで合衆国軍はそこに依拠して抵抗を続けていたらしい。
しかし、ずるずると後退を続けてミズーリ側の西側まで押し込まれた今、川沿いの防御線の陣地は貧弱なものが多かった。本来の防御線の内側であり、予備陣地だったからだろう。
エ号陣地はその貧弱な防御陣地の一つであり、未完成エリアが多い。未完成エリアのほとんどは元々が飛行場であるから、だだっ広い平坦な土地であった。
おかげで、陣地の造成には地面を掘ったり、構造物を積み上げる必要がある。
陣地造成に必要な重機は不足しがちであり、あまり土木作業には向かない装甲歩兵まで動員してまでいた。
そんな窮余の策を講じてまで、陣地の補修と増築を続けてはいる。
しかし、満足に足る陣地構築には少なくとも三日、応急陣地として使えるようにするだけでもあと二○時間はかかるのではないかと思えた。
無論、そこまで暢気に待ってくれるほど、
そうでなければ人類の生存領域がここまで減ることなど無かっただろう。
BUGの強みは疲労や恐怖などと無縁という生物個体としての強さと、仲間の死体を平然と越えていく群体としての強さだ。
「手すきの装甲歩兵をすべて動員し、陣地構築を急げ。各陣地間を相互に火力連携出来るように構築するのを最重視せよ。障害物の設置は後回しで良い」
「了解しました。余力のある第三中隊を作業に向かわせます」
「火力による相互支援が出来なければ、この程度の陣地すぐに突破されるからな。……そういえば、要請していた航空支援はどうなった」
「先日の第二艦隊の『御嶽』がやられた件が響いているみたいです。不足する護衛戦闘機を本土から増派するようですが、いつになることやら」
「
舌打ちをしつつ、樫村はちらりと地図の脇にある軍用
その中で緑色のアラート表示が点滅している。
緑の通知は、味方部隊の増援を示す色だった。
「予備中隊が到着したようですね」
古橋の顔に一瞬嫌そうな表情が浮かぶ。
滅多に感情を出さない彼にしては、珍しい光景ではあった。
――あの男は嫌われているな。まあ自業自得ではあるし、俺もその筆頭ではあるが。その点においてだけは同情するよ。
「配置を急がせろ。今日はなるべく投入しないで済ませたいが、それも向こうの様子次第だからな」
「了解しました。急がせます」
「それから、例の民間人被害者の件について、司令部に出頭するように伝えろ。なにしろ政治の機微に触れる、面倒な問題だからな」
「了解です。しかと伝えましょう」
古橋は敬礼すると、野戦用無線機が置いてある机へと歩いて行き、無線手へと話かける。
その様子を眺めながらも、樫村は少佐は仏頂面を崩さない。
◆
「剣大尉、出頭しました」
「おウ、まずは座れ」
いかにも野戦司令部といった傷だらけの折り畳み椅子に、剣は遠慮無く腰を下ろす。
「で、どうなった、例の件は」
「報告書はお読みになったのでは?」
「そんなもの、この戦場でのんきに読んでおられるかよ。それに貴様から対面で聞いた方が生の情報が得られる。報告書の死んだ情報なんぞ見てもしょうがない」
「了解しました。それでは手短かに。幹線道路を移動中、合衆国市民による通報を受けて急行。現場では薬物使用の疑いがある合衆国陸軍兵士および州兵による、合衆国市民の婦女暴行事件が発生。我々は国際条約に基づいて、介入の必要に迫られ……」
「つまるところ、ヤク中のアメ公どもが、婦女子においたをしていたのをしょっぴいたと、まあそういうことだな」
「ま、平たく言えばそういうことになります。逮捕拘束者と死体については、顔写真と特徴を報告書に記してあります」
「まあ連中の素性に関しては、おいおい上の連中が調べるだろうよ。まあ今や合衆国政府がハワイへ高飛びしようとしている最中だからな。まともな捜査が行われるとは思えんが」
樫村は何かに耐えられなくなったのか、胸ポケットから煙草を取り出してオイルライターで火を付ける。
火が点くまでのわずかな時間すらもどかしげに紫煙を吸い込むと、ゆっくりと口から吐き出す。
剣はその様子を無表情で見つめながら、報告を続ける。
「なお、暴行を受けた合衆国市民のうち一人が死亡。もう一人は全治一ヶ月のケガだけでなく、専門家による精神医療が必要な状態です」
「信頼していた友軍からの暴行だからな、無理もあるまい」
その後、いくつかの事情を聴取したあと、樫村少佐は紫煙を深く吸い込みながら瞑目した。
「まったく面倒だ。今俺たちはBUGとやりあっているというのに。政治という奴は借金の取り立て人と同じだな。どこまでもついて回る」
煙の輪を吐き出しながら、樫村は天幕の天井を見上げる。
「この件については他言無用だ。
「隠蔽ですか」
「いいか、俺がやりたい訳じゃあないぞ。だが、こんなことが表沙汰になってみろ。士気が上がるわけがない。未来永劫隠す訳にもいかないだろうが、真相の究明なんぞ歴史学者の飯の種としてとっておけばいい」
「難儀な話ですな。」
「貴様は気楽でいいな。とにかく、この件はけして漏らすな。無論、
「友軍の名誉は守られねばならない。ただし期限付きで、という訳ですな」
「政治なのだ、大尉」
世の悪徳のすべてを理解した顔で、樫村は厳かに言った。預言を伝える賢者のような態度でもあった。
「まさに政治ですな。了解であります、大隊長」
剣の顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
「フン……貴様の中隊、しばらくは待機だ。だが、おそらくすぐ出番は来る。休息を取っておけ。下がってよし」
剣は笑みを浮かべたまま、敬礼を返す。
すぐに
煙草盆に煙草を押しつけて火を消した樫村は、もう一本煙草を取り出そうとしてさっきの一本が最後だったことを思い出す。
誰か取りに行かせようかとも考えたが、さすがに戦闘指揮中に煙草程度で使いを走らせるわけにもいかないと思い直す。
――面倒ばかりが増えやがる。あいつはやはり疫病神だな。満洲の死神め。やっぱり貴様は英雄がお似合いだ。
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