ゲルデ・カルティア作戦篇
第1話 ヴァルドゥ家
――8年前
「
部屋へ入ってきたヒルデリアは得意げな顔で胸をそびやかし、豪奢な彫刻の施された椅子に腰掛けた。
彼女がまとっている装飾の多い純白の上衣に、赤い差し色の入ったスカートが特徴的な制服は、王国近衛幼年学校の制服だ。
近衛幼年学校とは将来、近衛魔法士団の士官学校に進む生徒を育成するための教育機関である。
元々は各貴族が独自に抱えていた軍事教育機関を統合し、一次蟲戦後に組織された機関だ。
幼年学校の一年の行事の中で大きな行事が、日本の影響で導入された体育祭と、人形戦技大会である。
近衛魔法士の花形と言えば『人形使い』になることであり、その登竜門として機能しているのが、『人形』戦技大会である。
この大会には近衛の各師団長や幹部も視察に訪れ、将来の有望株に目を付けると言われている。
優勝者ともなれば、将来の師団幹部候補と目されるのが通例であった。
ヒルデリアも将来近衛魔法士、人形使いとなって国防の任に当たることを目標に鍛錬を続けていたのだった。
「それは良かったわね」
彼女は、まるで気持ちのこもらない言葉で妹に応じる。
ヒルデリアと同じ銀髪焔眼に褐色の肌そして整った造作の顔と外見はよく似ている。
しかし、身にまとっている雰囲気はまるで反対だった。気だるさと、時折垣間見える冷徹さ。
ヒルデが炎とすれば、この女性の纏う雰囲気は周りのものを凍てつかせずにはおれない氷と言えるだろう。
ネフェルテリア・ヴァルドゥ、それが彼女の名前であった。
ヒルデリアの実姉であり、若くしてヴァルドゥ家の当主でもある。
ヴァルドゥ家と言えば選王家の筆頭であり、事実上王国貴族階級を支配する名家である。
選王家とは、ルフト・バーン王家に連なる血筋の名家であり、王が子孫を残さずに死んだ場合は、選王家の中から家格順に次代の王が選ばれることになっている。
ヴァルドゥ家、ラハト家、レベルア家、ロルム家の四家で構成され、ザルツハイム王家を補佐する存在として政治的に大きな影響力を持ち続けてきた。
民撰議会と執政府が大きな力を持ち、大日本帝國に倣った立憲君主制が確立している昨今であっても、その力は隠然たるものを持ち続けている。
余談だが、ルフト・バーン王家は帝國皇室と同じく万世一系を標榜するが、男系男子が皇嗣となる帝國とは正反対に女系女子が王となる伝統がある。
つまり、ネフェルテリアにせよ、ヒルデリアにせよ王位継承権を持っているのだ。
「私が政治に忙殺されている間に貴方は人形遊びという訳ね。まったくお気楽なことだわ」
普段はろくに顔を合わせることのない長姉に、今日こそは褒めてもらえると思っていたヒルデは、顔を
「私がどれだけ気乗りのしない政治の世界で戦っていると思っているの。もう母様たちのように、暢気に軍隊ごっこをしていればいい時代ではないのよ」
「お言葉ですが姉上、我がヴァルドゥ家は尚武の気風を持つ『剣の貴族』。母上もあの
「成人すらしていない貴方に何が分かるの。当主の座に就いたこともないくせに」
妹の言い草に我慢がならないという顔で、彼女は力まかせに羽飾りのついた扇子をへし折る。
「今は選王家といえど、貴族が貴族であれば良い時代ではないの。経済力を失っているのに、体面だけは保たなければならない。とてもではないけれど、王室からの下賜金だけではこの屋敷を維持するだけで精一杯だわ」
かつてであれば、ヴァルドゥ家には荘園から上がってくる収入だけで自分の家だけでなく、領地を持たない寄子貴族まで食わせていた。
しかし、帝國との貿易の拡大に伴う経済成長によって力をつけた豪商や平民階級の台頭が、その構図を一変させた。
民撰議会が新たな政治権力として勃興した結果、王家の持つ力は象徴権力に変わった。あくまで民撰議会と執政府に激励権と相談権を行使するだけの存在になった。
ヴァルドゥ家もその荒波から逃れることは出来なかった。
荘園からの徴税権は民撰議会によって段階的に剥ぎ取られ、今や見る影もない。貴族院議長として隠然たる政治力こそ維持してはいるが、逆に言えばそれだけの存在だ。
「そんな時代だからこそ、ヴァルドゥ家の子女が尚武の気風を示す必要があるのではありませんか。英雄の娘もまた英雄、ともなれば援助をする平民とておりましょう」
「確かに、英雄というものの『商品価値』は認めるわ。だから、貴方が軍人をやることに反対はしない。せいぜい英雄を気取ればいいわ。だけど、私は母のように貴方を褒めることはない」
ネフェルテリアは昏い眼をして、吐き捨てるように答えた。
「私はしたくもなかった結婚をさせられて、今日見事に懐妊したことを知らされたわ」
「それは…おめでとうございます」
ヒルデは何を答えたらいいのか分からず、恐る恐る祝意らしきものを述べた。
「ええ、おめでたいことなのでしょうね。私だって子を成すことは夢見ていたわ。だから、生まれたらきちんと育てあげて見せるわよ。私とて、子は愛しい」
ネフェルテリアの声は絞り出すように震えていた。
「あの日本人だって、愛していないわけではないの。この国の誰よりも有能な豪商であることは私も認めている。なにより私だけを、金儲けよりも優先してくれる。政略結婚としてはこれ以上望めないという事くらい分かる。だけれども、私にとってこれは祝福すべき事なのかしら」
泣いているのか怒っているのか、はたまた笑っているのか分からない顔で彼女はヒルデに問いかける。
ヒルデは、その問いに対する答えることが出来ず、ただその場に立ち尽くすしか無かった。
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