第12話 赤坂御用地
――赤坂御用地 衣笠宮邸
帝都東京はここ数年暖かい冬が続いていたが、今年は例年以上に冷え込むらしい。
まだ十月の下旬だというのに、今朝は上着なしでの外出がためらわれるほどだった。赤坂御用地を警護する皇宮警察の警察官たちににとっては、今年の冬はつらい季節になりそうだった。
ヒルデリアは二階の窓から眼下を眺め、警備にあたっている警察官たちを眺めている。まだ年若い警察官が、白手袋をした手に息を吹きかけて暖めているのが遠目に見えた。
「帝都の寒さは、南洋の気候になれた貴女には少々厳しいですか?」
ほっそりとした身体つきの女性が、髪の毛の色と同じような漆黒の瞳でヒルデリアを見つめている。
――吸い込まれそうな、あるいは射貫かれるようなと表現すればいいのだろうか。睨まれている訳でもないのに、強烈な意志を感じる視線ね。
同盟国の皇統に連なる女性の強烈な視線にさらされながら、ヒルデリアはそんなことを思った。
身長はヒルデリアより十センチは高いだろうか。
艶やかな長い黒髪を髪留めでまとめており、純白の帝國海軍第二種礼装に身を包んでいる。男装の麗人めいた雰囲気をまとってはいるが、自己主張の強い身体の曲線を見れば女性であることは否が応でも分かる。
階級章は大佐の階級であることを示しているが、勲章や記章の類いはほとんど見当たらない。
彼女は未だ十三才と幼くして皇位に就いた今上陛下に代わり、皇室祭祀や大使の接遇など激務をこなしている
彼女はこうした非公式な場面においても、軍装を好む癖があった。相手が同盟国の貴族ともなれば、たとえ非公式の場であっても外交の一場面であることを意識しているのかもしれない。
「正直を言えば、この時期に来訪したことを少々後悔しております」
発音の正確な日本語で、ヒルデリアは率直に答えた。 ルフト・バーン貴族にとって、日本語会話は必修科目であるから驚くに値しない。同盟国であるばかりでなく、国際連盟の主要国として存在感を示している大国の言語である。学んでおいて損はないのだった。
意外な事に、ルフト・バーン人にとって(奇怪な表意文字――漢字を除けば)日本語はわりと習得しやすい言語であった。
「まあ、選王家の姫様は正直なのね」
日御華は口元を上品に押さえていたが、その表情は砂糖菓子を思わせる柔らかさだ。公式の場での生真面目な彼女を知る者ならば、その落差に戸惑うだろう。
「嘘を言うわけにもいきませんので」
四角四面に言い返したヒルデリアの答えがおかしかったのか、日御華はクスクスと笑う。意外と素直に笑うのだな、とヒルデリアは面食らう思いだった。
「陛下、お茶が入りました。ヒルデリア様も、リルハ様もいかがですか?」
女官服姿の女性が、背後に女官たちを従えて恭しく頭をさげる。
日御華の幼い頃から仕えている侍従であり、彼女の右腕として陰に
「いただくとしようか。月影、今日の菓子は何じゃ?」
そう日本語で言ったのは、滑らかな銀髪を古式ルフト・バーン風に結い上げた、十代前半にしか見えぬ少女だった。顔には素直な満面の笑みを浮かべている。くりくりと動くアーモンド型の瞳には、素直な好奇心と周囲への信頼がある。
彼女は西洋式にデザインされた、深紅のドレスに身を包んでいる。身体を動かすたびにフリルがひらひらと動く様が、妖精の羽を想起させてほほえましい。
ともすれば、おめかしをして両親についてきた上流階級の子どもという印象を受ける。年相応に緩んだ顔つきが、その印象を強くしていた。
とはいえ、普通の子どもが皇宮の中に居るわけがない。彼女はルフト・バーン王国の国家元首であり、第五十三代女王であるリルハ・ザルツハイムであった。
リルハとヒルデリアは同じ選王家の姫君同士ということもあり、何度か遊び相手を勤めた事のある親しい仲である。
また、日本の皇室とルフト・バーン王家は同盟締結以来、付き合いが深い。宮家の妃にルフト・バーン貴族の姫を迎えるなどの縁談も数多くあった。
外交ではなく私的な場でここまで屈託なく振る舞えるというのは、リルハと日御華の人格によるところが大きかったが。
「満洲堂の
「よい、月影の勧めるものに間違いがあったことなど無いからな」
「有難き幸せにございます。リルハ陛下」
「陛下は余計じゃ、リルハで良いと申しておる。今日は公式の訪問ではないのじゃぞ」
リルハと月影のやり取りに 思わず日御華は苦笑いを漏らす。
「あまり月影をいじめるものではありませんよ、リルハ。よほど親しくとも、彼女の立場で呼び捨ては無理というものです」
「別にいじめておるつもりは無いのじゃが……」
合点がいかない顔をしながらも、メイドたちが運んできた菓子に目を輝かせる。
「ヒルデは北米へ出征するつもりなのね」
唐突にそう切り出され、ヒルデリアはばつの悪そうな顔で応じる。
「ええ、そのつもりです。我が赤銅師団のほとんどが出征ともなれば、私が国内に残る訳にもまいりません」
ヒルデリアは穏やかながら、はっきりとした口調で言い切る。
「私もお飾りとはいえ、海軍大佐なのだけれど」
「日御華殿下は摂政宮ですから。私とは立場が違います」
「そうはいっても、貴女も王位継承順位で言えば似たようなものであるはずだけど。選王家の姫ともあろうものが、わざわざ前線に行かずとも良いのではないかしら?」
日御華の言葉に、ヒルデリアは戸惑ったような表情を見せる。
「なればこそ、選王家の者が率先垂範を示さねばなりません」
そう話す瞳には、強い意志の輝きがあった。
「そういうことなら止めはしないわ。私とて、摂政宮という立場が無ければ武人として立たねばならない立場ですものね」
「承知しております」
「貴女にとって、地球の言葉で言う
そう言うと、日御華はティーカップに口をつける。
「ご心配は有り難く受け取ります。ただ、私は姫であるよりも、一人の軍人でありたい」
「こういって聞かぬのじゃ、ヒルデ姉は。強情さは王国一じゃからの」
皮肉と心配のこめられたリルハの物言いに、ヒルデリアはただ頭を下げる。
「無事に帰還することを祈っているわ。あなたは少ない本音で話せる友達の一人だから。もちろん、リルハもね」
リルハの視線に気づいた日御華は、彼女に笑いかけてやる。
「リルハも、ヒルデ姉の御無事を祈っておるのじゃ。これから毎日、神殿に欠かさず参ることにする」
「絶対に無事に帰ってきますよ、陛下」
ヒルデは苦笑しながらも、リルハの手を握ってやる。
「きっとじゃぞ。また、日御華姉と一緒にお茶をするのじゃからな」
「ええ、約束しますとも」
ヒルデリアは苦笑しながらも、その約束が反故にならねば良いが、と他人事のように思った。
――北米の戦いは、おそらくは苛烈を極めるものとなるだろう。
そんな漠然とした予感が、彼女の胸中にはあった。
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