第10話 柏木真道

 九月十八日十三時三十分(日本時間)


 柏木真道はこれまでに三度の挫折を経験していた。

 最初の挫折は中学生になったばかりの健康診断においてであった。読書のし過ぎで、彼の視力は急速に低下していた。それは彼が目指していた宇宙飛行士への道が、永遠に断たれたことを意味していた。


 次の挫折は帝國大学航空宇宙学科において、後に日本のロケット技術の第一人者となる古瀬重治と出会ったことだった。当時はまだ無名の学生に過ぎなかった彼は、友である柏木に画期的な宇宙往還機のアイデアを語って見せた。

 技術者にありがちな無邪気さの発露であったそのアイデアのレベルの高さに、柏木は自分の才能の限界を自覚させたのだった。


 柏木は単に技術者として見るなら、明らかに水準以上であった。しかし、既存の技術を改良することは出来ても、新しい物を生み出すことの才能は彼にはなかった。


 三度目の挫折は、名前を貸す程度の所属意識しか持っていなかった天文部で知り合った後輩と結婚する羽目になったことであった。


 これは彼を気難しい技術屋としてしか見ていなかった周囲を驚愕させたが、「気づいたら結婚していた」という彼の台詞は周囲の独身者に殺意を抱かせた。彼の妻となった女性は大学のマドンナと目されていた、才色兼備の高嶺の花だったからだ。

 とはいえ家庭を愛していないという訳でもなく、現在の彼は幼い娘の写真を持ち歩いては自慢する類の愛すべき父親でもあった。

 柏木とはそういう男だった。


 挫折が彼にもたらした経験は、彼を確実に成長させていた。

 彼は今年三十台最後の年を迎え、航空宇宙軍大佐、航空宇宙軍技術開発局局長という肩書きを持っていいた。

 外見は、技術屋というものに世間が持つイメージそのままに、油汚れでその名に偽りありの白衣を着込んでいる。顎鬚は伸び放題になっており、彼の体型とあいまって「熊さん」という渾名そのものの姿になりつつある。

 気難しいことで知られた性格は、家庭をもった影響かいくらか丸みを帯びていた。

 既に設計の現場を離れた彼は、役職が要求する管理者としての仕事に専念していた。


 より才能のある技術者達を囲い込み、ありとあらゆる手段を用いて予算を分捕る。今はそれが柏木の仕事だった。

 現場に戻りたいという欲求が無い訳ではない。

 が、柏木は現実主義をつらぬくために、誰よりも理想主義者でもあった。

 自分に才能が無いのならば、その席にはより才能を持った若い技術者が座るべきだと思っていた。


 奇妙なことに、柏木には人の能力を見抜き育てる能力があった。彼のもとで若手の技術者は、柏木の薫陶――実質的には洗脳に近いものだった――を受けて順調に育ちつつある。


 今の仕事に満足している訳ではないが、さりとて不満を覚える訳でもない。

 宇宙へ行くという究極の目的の前では、日々の業務は些細なことでしかないからだった。

 柏木にとって、航空宇宙軍という組織は手段に過ぎなかった。そして柏木と言う男は、目的のためなら手段を選ばない。


 地味な顔立ちをした女性の中尉が来客を告げた。

 彼女は事務方としても有能だが、現在は柏木の個人秘書のような仕事をしているのだった。


 来客はいささか面倒な人物であった。

 そのとき、柏木がいたのは嘉手納基地の一角を広大に占拠している航空宇宙軍の噴進ジェット機開発工廠の一角にある応接室であった。


「久しぶりだな、去年の戦友会以来か?」


 柏木はこの男にしては珍しく、柔らかな口調で切り出した。応接セットに腰を下ろしている人物は、口元に皮肉めいた笑いを浮かべる。

 瀬戸孝蔵、それが彼の名前だった。

 軍服は帝國航空宇宙軍のそれだが、胸には国際連盟の徽章と国際連盟軍司令部所属を表す銀色の盾をかたどった徽章がある。

 それは帝國軍に所属していながら、帝國軍人ではないものたちの象徴だった。

 彼らはその鵺のような存在ゆえに、まっとうな軍人たちからはひどく嫌われている。

「そうだな。今、俺は戦争準備の真っ最中だからな」

「貴様と会う時はいつもそれだ。そもそも出会いはヨーロッパだったか?」

 柏木は普段部下には見せることのない、悪童めいた笑みを見せた。

「違うな。青銅の蛇ネフシュタン作戦だ。マダガスカルだよ。あれはひどいいくさだった」

「俺のようなパイロットのなりそこないを戦線航空統制官に引っ張り出し、貴様のような技術屋まで整備兵に駆り出す酷い戦いだった。まあ、あの当時のユーラシアはどこも似たようなものだったがな」

 瀬戸にしては珍しく困ったような顔を浮かべ、肩をすくめている。

 その様子から何かを察した柏木は、さりげなく助け舟を出してやる。

「それで、今度はどんな無茶を言いにきた。わざわざ貴様が出向いてきたからには、ろくでもない話なのだろう?」

 あの魔女の大釜のような戦場で一緒に戦った者のみに許される親しさをこめて、柏木は言った。

「貴様のところには例の新型軌道輸送機があったな。あれを貸せ」

 さきほどまでの逡巡が嘘のように、瀬戸の顔には悪魔的な笑みが浮かんでいる。

「X1のことか? あれは例の『イカロス』計画に関する実験中だ。いくら国連軍司令部のお達しとはいえ……」

「貸せ。今回の作戦にどうしても必要だ。なに、作戦が終わった後でなら、倍の予算を都合してやる。共同開発だの何だの理由をつけて、連盟加盟国から引っ張り出してやる」

「そいつはなんとも有難い話だが。相変らずの辣腕ぶりだな」

「なに、統合軍令部の石頭どもの弱みは色々と握っている。たいしたことではないさ」

 こともなげに言うと、瀬戸は唇をゆがめる。

「しかたない……計画のスケジュールが大幅に狂うな。関係各国への折衝は貴様に任せるからな」


「諒解した」

「それで、北米の方はそんなにまずいのか?」

 瀬戸はその質問に、しばらく答えずに壁に張ってあるメルカトル図法の世界地図を見つめた。

「貴様になら、構わんだろう。情報閲覧資格からいってもな」

「そりゃどうも。この時ばかりは大佐の階級に感謝したくなるな」

 柏木は演技過剰気味に肩をすくめる。

「北米はまずいな。もはや、人類側の戦力では支えきれん。『奴ら』の勢力はそれほどのものになっている」


「道理でな。あちこちで季節外れの人事異動が多いと思ったぜ」

 柏木の言葉に頷き、瀬戸の言葉を待つ。


「偵察衛星からの情報で、連中の『師団』規模のBUG群が複数確認されている。『奴ら』は本気で北米を陥落させるつもりだ」


「いよいよ来るべき時が、来るというわけか」


 手を目の前で組みながら、柏木は珍しく緊張した面持ちを浮かべる。


「だが、こちらにも策はある。まあ、見ていろ」


 瀬戸はそう言って、この話はこれまでだとばかりに手を振って見せる。


「貴様、時間はあるか?」


 柏木の問いに、瀬戸は手元の携帯情報端末トロンフォンを操作する。


「ああ、あと一時間程度なら」

「ならば、貴様に見せたいものがある。なに、時間はさほどかからん」


 柏木はそう言うと、玩具を自慢する子供のように笑った。


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