第8話 ヒルデリア・ヴァルドゥ

 息をつく暇もなく部屋の扉が叩かれる。

 少しばかり休憩したいのが本音だったが、今日はどうやら来客が多い日らしい。


「ヒルデリア・ヴァルドゥ掌百長大尉、入ります」


「いいわ、入りなさい」


 マサリアは内心辟易へきえきとしながら、彼女を部屋に招き入れた。

 優雅な物腰でゆっくりと部屋に入ってきたヒルデリアは、右の拳を左上腕に当てる見事な近衛魔法士式の敬礼をして見せた。

 艶やかな銀色の髪に褐色の肌、意志の強そうな紅い瞳と、一流の職人が作り上げた工芸品のような整った風貌。

 年は若い。貴族制の軍隊であることから抜擢人事の多い近衛においても、彼女のような年の掌百長を見ることは希だった。

 近衛魔法士の装飾過多な軍服を着こなすにはこれ以上無いという人材であることは確かだった。まさに「私のかわいいお人形さん」というところかしら。


「ごきげんよう、バルドゥ家選王家のお姫様」


 ヒルデリアは不機嫌さを隠そうともせずに、直立不動の姿勢を取る。「お姫様はやめてください、閣下。私は近衛においては一介の掌百長に過ぎません」

 にこりともせずに言ったヒルデリアに、マサリアは面白くなさそうに鼻を鳴らす。


「貴女って不器用なのねえ。よくもまあ、そこまで昇進できたもんだわ。掌百長殿?」


からかうような口調にも、ヒルデリアは動じない。「性分ですから。それより、着任の挨拶をさせていただきたいのですが?」


「ふう……挨拶、ね。そういえば、蒼の戦翼はレルウが病気療養に入ったのだったわね」


「はっ!その後任として翼隊長に任ぜられました、ヒルデリア・ヴァルドゥ掌百長大尉であります。以降、お見知り置きください」


「貴女のことは知っているわ、有名人だもの。英雄の娘にして、選王家の次姫リルビカ


 底意地の悪い笑顔を浮かべているのは、先ほどの来訪者がよほど気に食わなかったせいだろうかとヒルデリアは思った。


「着任したばかりだから、まずは訓練と言いたいところだけれど。残念ながらそういうわけにはいかなくなったわ」


「……先ほどすれ違った、ニホン人がもってきた話ですか」


「察しがいいわね。そういうことよ」


「……帝國は同盟国ですが、私はどうもニホン人というのは好きになれません」


 率直な物言いに好意を覚えると同時に、よくぞここまで出世できたものだと感心する。彼女が選王家の一つ、バルドゥ家の娘であることを考慮に入れても、だ。

 無能という評価は聞いていないが。

 正直は王国においても時に美徳とされないことを学習するべきだな、とマサリアは内心で思う。

「我々はニホン人と深く関わり過ぎたわ。かの国なしではこの国は成り立たない。諦めなさい」

 敬愛すべき日本人も数多くいることは確かだけれど、面倒な人間もそれと同様に存在する。マサリアにとって、日本人はどうにも評価しづらい人種だった。

「『大転移』当時の状況とすれば止むを得なかったとは思いますが」

「まあね。前の世界からこの地球にやってきた当時、我が国と同盟国になってくれそうな国ときたら、あの国しかなかったんだから」

『大転移』当時、すぐ近くに領土を持つアメリカは好意的態度ではなかった。人種差別感情もあっただろうが、それ以上に未知の異世界人に対する拒否感が大きかったのだろう。

 残念ながら王国の使節は、サンフランシスコに到着した直後に追い返される事になったと王国の歴史の教科書に記載されている。

 一方、帝國では異世界人の友好使節団はおおいに歓迎された。未知に対する好奇心が強い国柄という事もあるだろうが、帝國が置かれた国情がおおいに影響していた。

 ドイツ、イタリアとの三国同盟が根強い海軍の反対によって頓挫し、国際的孤立の道を歩んでいた帝國にとって同盟国は喉から手が出るほど欲しい存在であった。

 特に仮想敵国であるアメリカとの対抗するためには、地理的に近く連絡が可能な同盟国が何より必要であった。ドイツやイタリアとの同盟が未成立に終わったのも、あまりに地理的に遠すぎて連絡が困難というのが要因の一つだったからだ。

 その点、未知の魔法技術とハワイへ圧力プレッシャーをかけられる位置にあるという地政学的要衝チョークポイント、この二つを備えているルフト・バーン王国は願ってもない相手だった。

 ドイツやイタリアとの同盟に未練たらたらだった陸軍上層部も、王国との友好に流れた世論を無視出来なかった。

「……利害の一致は、時に何よりも優先されますから」

「貴女はもう少し面白い話を出来るように努力する必要があるわね」

 マサリアはにこりともせずに彼女の秀麗ないでたちを眺める。

ここまで頑なな態度はいけないわね、とも思った。

 柔軟な思考こそ生き残るための秘訣、彼女は経験でそう理解してるからだった。

「はあ…」

「まあ、恋の一つでもすることね。恋愛と戦争にはあらゆる戦術が許容される。地球の言葉だけど、いい言葉だわ」


「いえ、選王家の人間に恋など許されません」


 ヒルデリアは困惑を隠そうともせず、曖昧な返事を返す。


「今はそんな時代じゃないと思うけどね。そうそう、相手が日本人ならむしろ同盟関係強化に役立つと歓迎されるかもね」


「…からかうのはそこまでにしていただきたい、団長閣下」


 顔を真っ赤にして怒っている彼女に、マサリアはやり過ぎたかしらと内心舌を出す。どうもこの娘、乙女に過ぎるわ。


「いじめるのはこれくらいにしておこうかしら。呼んだのは他でもない。貴女の部隊に国際連盟軍への参加を命じます。具体的な指示はいずれ司令部より通達されると思うけど、準備だけはしておいて頂戴な」


「国際連盟軍……ですか?」


 そう答えるヒルデリアの顔にはもう困惑はなく、戦いを前にした武人の顔になっていた。


「そういうことね。戦地は北米、だそうよ」


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