第6話 飛行艦『飛鯨』

 九月十一日○七時三十分(ルフト・バーン標準時)

 

 ルフト・バーン王国の最東端に位置する三日月型のサマー・タイ湾の湾中央に出来た港湾都市、ク・フィーリア。細長いチー・タ半島とアッシ・リーア半島が突き出しているため、波の影響を極めて受けにくい天然の良港だった。


 ルフト・バーン語で『赤銅の街』を意味するこの街は、この大陸がまだ異世界にあった頃から軍港都市として栄えてきた。

 地球へとルフト・バーン島大陸が地球への『大転移レフ・ポール』を遂げてから、この街は元々の規模をさらに上回る発展を遂げた。


 同盟国日本にとってこの軍港都市は米領ミッドウェー島まで百キロ以内という絶妙な位置に存在していた。それはまた同時に米太平洋艦隊の母港、ハワイ真珠湾への前線基地となる地政学的要衝チョークポイントでもある。


 日本は同盟交渉と同時にルフト・バーン執政府と交渉を行い、この軍港都市の広大な一角(といっても当時は未開拓の荒れ地であった)を租借することに成功した。

 日本人は条約通り王国人を現地雇用して整備を進め、一次蟲戦の混乱で中断があったものの昭和24年1949年に軍港を完成させた。


 完成した軍港は新編された帝國海軍第八艦隊の母港となった。

 帝國海軍にとって計算外だったのは、仮想敵国としていた合衆国の衰退であった。

『ノバスコシアの虐殺』に代表されるBUGの侵攻によりニューヨークや五大湖工業地帯を失った合衆国に、太平洋に構っている余裕はなかった。

 少なくとも、国家情報局や統合軍令部はそう分析していた。


 それからというもの、日本海軍にとってク・フィーリア基地――通常はKF基地という略称で呼ばれる――は、ルフト・バーンとの親善友好と、外洋訓練のための母港としてのみ活動してきた。その状況が変化の兆しを見せ始めたのは、つい最近の事であった。


 史上三度目の、北米におけるBUGの大規模侵攻であった。

 予想されていたより早かったBUGの休眠期が終わり、活動期間が始まった。

まだ生態に謎の部分が多く残されているBUGだが、十数年から二十数年に渡る休眠期が存在することは確かな事実だった。この休眠期がなければ人類が滅亡の憂き目にあっていたことは想像に難くない。

 ちなみに複数の地域にわたってBUGが同時期に活動期に入ることは希とされている。


唯一の例外が満洲で、休眠期が不規則かつ他の地域と時を同じくして活動するBUGも多い。

 ともあれ、補給物資の集積や兵力再配置の最中に侵攻を受けた合衆国軍は、大混乱に陥っていた。戦線が各所で突破され、民間人の避難も覚束ないありさまだった。

 そんな状況にもかかわらず、合衆国のギュンター大統領は国際連盟軍の派遣要請を渋り続けていた。

 理由は明らかにされなかったが、政治的な要因が大きいことは明らかだった。

 国際連盟軍は合衆国の正式な要請を待たず、「対BUG戦準備命令コード・B」を発令、各国軍に即時動員態勢を取るように要請を送った。

 そうした背景をもとに、KF基地は再び最前線基地として稼働しつつあった。

 元々反応動力空母や、超弩級戦艦などの十万トン超級の艦艇を収容するドックも数多く建設されていたこともあり、国際連盟軍の作戦行動を支える拠点となりつつあった。


 そのKF基地へ向かう空路上にその「フネ」はいた。


「おもーかーじ、ヨーソロー」


 海軍譲りの抑揚がついたその声とともに、操舵員が舵輪を回す。


「微速前進、目標KF基地飛行艦連絡橋」


 のバリトンが航海艦橋に響く。朝陽を反射する海面が艦橋と外界を遮る強化ガラス越しに見える。

 顎鬚を蓄えたふるゆたか艦長は、部下たちの動きに満足げな顔で頷いている。


――輸送機から転任になった時はどうなるかと思ったが、まあこのフネも悪くはないな。


 彼らが乗っているのは、帝國航空宇宙軍所属の哨戒飛行艦「飛鯨」である。

 飛行艦という「艦種」は、理力石の活用によって生まれた。

 理力石を揚力として用いることが出来ないか、という研究は王国との同盟関係が成立してからすぐに始まっていた。


 ルフト・バーン人が『人形』にしか用いていなかった『理力石』の動力化研究は、日本人たちの好奇心をくすぐるテーマであった。

 それは王国の魔法技術と帝國の工学技術を融合した新たな研究分野、『魔法工学』を生み出すきっかけともなった。


 『理力石』の出力安定性向上には技術の進展を待たなければならなかったし、艦船を動かすような大出力化には困難だと思われた。が、日本人たちは諦めなかった。

 熱核反応炉の研究に匹敵するほどの予算と人員が割かれたのは、石油の禁輸措置を経験したエネルギー自給への渇望がもたらしたものだ。

 後世の歴史家の研究は、そう分析するものが多い。


 その成果が帝國航空宇宙軍が採用に至った飛鯨級哨戒飛行艦という訳だ。

 海洋国家であり広大な海上通商路を守らなければならない帝國は、航続距離が長く長期間の哨戒任務に耐えうる航空機を必要としていた。

 ヘリウム型飛行船よりは大型化でき、物資搭載量ペイロードも優秀な飛鯨級は、たしかに帝國に必要なフネであった。

 武装も百五ミリ榴弾砲二門、四十粍機関砲二門を搭載し、空対地誘導弾や精密誘導爆弾も搭載可能と貧弱ではない。


 対空戦闘はさすがに無理だが、ガンシップとしての運用は可能であった。


「ようやく到着ですか。どうも時間がかかっていけませんなあ」

 艦長席の脇から、瀬戸大佐が顔を出す。あからさまに嫌な顔をする艦長の様子を、まるで気にした様子はない。長旅をともにした乗員達も、ほぼ例外なくこの男のことを嫌っていた。

 同じ航空宇宙軍の軍服を着ていながら、瀬戸の発する雰囲気は軍人のそれではなかった。かといって政治家や官僚のような怜悧さも感じさせない。

 まさに、ぬえのような不気味な印象だけを人に与える男であった。

「舵もどーせー!」

 航海艦橋から見渡す風景に、これまで青一色だった風景が一変し、異国情緒漂う港町の風景が見えてくる。街の名前の由来となった赤銅色のレプ・タート鉱石から作られる煉瓦の色が美しい。

 そんな街を、小型飛行艦が行き交っているのがゴマ粒のように見えている。地球のどの都市とも違う不可思議な風景であった。


電探レーダー手、民間航空機に留意せよ」

「了解。電探に感無し」

「KF基地航空管制より通信。付近を飛行中の民間航空機なし。着橋に支障なしと認む。なお、南南西の風、風速4メートル、気温摂氏24度、以上」

「了解。降下開始。降下速度、微速」

「降下速度微速、了解」

 広大な敷地を誇るKF基地のど真ん中にそびえる飛行艦連絡橋が見えてくる。

 四角形のビルから四方に橋が延びているような構造で、飛行艦を停泊させるための施設だった。

 飛行艦は大型で場所を取るため、オーバーホールなどの大規模メンテナンスの必要がない時は、この連絡橋に停泊することになっていた。

 掩体壕で防御すべきという意見もあったが、「滑走の必要もなく、機関始動も時間はかからないのだから、空襲時は空中待避する」という見解が出て沙汰止みになったのだという。

「アンカー射出準備宜し」

「連絡橋アンカー固定完了。ラダー、下ろします」

 手際よく連絡橋で待ち構えていた作業員がアンカー固定作業を滞りなく行い、乗降用ラダーが下ろされる。

「それじゃあ、僕は王国からの出迎えがありますので、よろしく。皆さんは本日から本来の任務に戻ってください」

 瀬戸は艦長にそれだけ言い残すと、艦橋を出て行く。

 艦長は「帰ってくるな!」という念をこめた視線を、その背中に向けた。

 無論、瀬戸がそれを気にする様子は微塵も見られない。

「何者なんですか、ありゃ。そもそも帝都から王国までなら、普通に輸送機に乗った方が早いでしょう」

 たまりかねたように、副長が言葉を吐き出す。

「それが何も情報がなくてな。上はとにかく文句を言わずに王国まで送り届けろとの一点張りだ」

 艦長の返答に副長が目をむいて驚く。


「通達があろうとなかろうと、さすがに人づてに噂程度は入ってくるものだがな。ずっと国際連盟軍に出向していて、それもなしだ」


「何者なんですか」


「まあ気にしないことだな。軍隊には知らないで済むなら知らない方がいい事の方が多いものだ」


 降矢艦長の言葉に、副長はなんとも納得がいかない顔でうなずいた。

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