第10話 過去
「ねぇ、今月の生活費…もうほとんど無くなっちゃったよ…」
「バカ言うなよ、こないだ給料出たばっかじゃないか」
「今月はアタシの…ほら、前に言ってたお世話になってた親戚の姉さんの結婚式で御祝儀とレンタル衣装一式やらで飛んじゃったよ…」
「ああ…そんな事言ってたっけ…じゃあ、どうすんだよ?まーたモヤシ炒めの毎日かよ」
「軍曹に相談したらご飯くらいは食べさせてくれるだろうけど…家賃やら光熱費やらどうしようかね…また先月みたいに電気止まるのだけは勘弁だよ…」
会話をしているカップルは———若き日の桜田アヤメと田所耕造である———
ボロアパートの角部屋で同棲をしている2人は、アヤメは水商売、構造は早朝の新聞配達や単発のアルバイトなどで生活していた。
と、いうのも2人は劇団【夏の雪】の看板役者であり、昼間は劇団の稽古で忙しく、まともな仕事はできないのであった。
鬼軍曹と呼ばれる監督は稽古には厳しく、明らかに他の劇団よりも練習量が多く、厳しいので有名であったが、それでも団員達がついていくのは鬼塚の面倒見の良さと人柄、芸の実力を知っているからであった。
「なんかいい儲け話はないもんかねぇ…」
「バカ言え、そんなのあったらみーんなやってるよ」
「アンタも夢がないねぇ…」
「夢だけじゃ食ってけねぇよ」
そんなやり取りもここ最近、息を吐くように当たり前になっていた。
「悪い事やって儲けてるヤツもたくさんいるってのに…俺たちは真面目にやっててこんなに貧乏なんだから神様も不公平だよな…」
「ほーんと…悪いヤツはいっぱいいるのにね…」
アヤメはタバコに火を付けた。
「アヤメ、タバコはやめろよ。タバコ代だってバカにならねえんだから」
「わかってるよ!この一箱吸ったらやめるから」
「何度目だよ、それ…」
耕造は呆れたように呟いた。
最初にそれを思いついたのは耕造であった。
「バカ…そんな事、やっていいわけないだろ!?いくら金がなくてもアタシはやだよ。やるならアンタ1人でやんなよ!」
「違うんだ、聞いてくれアヤメ。元々そこにある金は、アイツらが盗んだ金なんだよ。あとは、盗品を売ったりして稼いでる汚い金なんだ」
「だから…なんだっての?それを盗んだらアタシたちだって泥棒になるじゃないか!」
「アヤメ。悪いヤツから盗んだりするのは泥棒じゃなくて、義賊って言うらしいぜ?」
「義賊…?」
「そう。悪いヤツや金持ちから金をいただいて、貧しい人に分けてやったりするのさ。ま、この貧しい人ってのは俺たちの事だけど」
そう言って耕造はへへへ、とおどけて見せた。
「ねぇ…それって、本当にバレないの?」
「バレないバレない!俺が配達行ってる時間はそこはモヌケのからだよ。毎日行ってるから絶対大丈夫だ。抜け道だって知ってる。まぁもし、仮にバレたとしても絶対そいつらも警察には言えないよ。盗んだ金なんだから」
「…そう、ね」
「そうと決まれば、さっそく実行あるのみだ。ま、色々準備があるからちょっと作戦たてようか」
アヤメは乗り気では無かったが、耕造の自信満々な作戦と目先の金に、しぶしぶ応じる事になった。
作戦はあっさりと成功した。
元々、若い不良達のたまり場に、盗んだ金や盗品を売った金が無造作に置いてあるのを構造は知っていた。
金額にして数万円程度であったが、もちろん出所の怪しい金であったため騒ぎにもならず、簡単に現金を手にする事ができた。
一瞬で数万円を手にして興奮気味のアヤメに構造は
「まだ浮かれるなよ、本当に悪いヤツはこの世の中にまだいっぱいいるんだ」
と言った。
「そうだね、私達は悪いヤツからしか盗ってないし、大丈夫だよね?」
「ああ、大丈夫だ」
「しかしこんなに簡単に成功するなんて…アタシ達、才能あるんじゃない?」
「バカ言え。次はもっとデカい山を当てるんだ」
こうして、2人の罪はエスカレートしていった。
アヤメの水商売の先はそういった情報の宝庫であった。
あまり治安のいい場所ではなかったのと、アヤメの勤め先が高級店では無かった事で客の層がその手の話に詳しい者が多く、目ぼしい情報があればすぐに耕造に報告し、耕造が新聞配達がてらに下見に行き、作戦を立てる———それが盗みをする時の決まりになっていった。
盗みに入る場所も、最初は不良のたまり場やチンピラのねぐらのような所から、悪徳商法をしている怪しい店、詐欺まがいのボッタクリ店など、段々と大きくなっていき、額もそれだけ増えていった———
テレビや新聞などには大きく取り上げられないものの、二流、三流雑誌のゴシップの見出しが『正義の味方』だの『昭和の義賊』だのと面白おかしく書き立て、それが2人をますます有頂天にさせた。
だが、2人は決定的なミスを犯してしまう———
ある日、盗みに入った場所で、アヤメが舞台衣装のボタンを落としてしまったのだ。
劇団の稽古の途中、アヤメは衣装の赤いワンピースの飾りボタンを引っ掛けてしまい、ボタンが取れてしまった。
「おいおい、これは高いボタンだぞ」と、監督にからかわれ「すみません!家で縫って持ってきます!」と、ボタンをジャンパーのポケットにしまった。
そのまま、ボタンの事を忘れたまま盗みに入ったのだが、ひと仕事終えてボタンを付けようとジャンパーの中を探したのだが———どこにもなかったのだ。
一気に血の気が引いたアヤメは、慌てて耕造に相談した。
「でもまだそのボタンをあそこで落としたとは限らないだろ?行き帰りの道中で落としたのかもしれないし、もしかしたらひょんなところから出てくるかもしれないし」
耕造は深く気にしてはいないようだが、アヤメはもうこれを機に盗みはやめたいと耕造に申し出た。
「そっか。俺もぼちぼちヤバいかなと思ってたんだ。金もだいぶ貯まったし、しばらくは劇団に集中するか」
だがアヤメは一気に罪悪感と恐怖が襲ってきた。
「あ、アタシはもう辞めるよ。劇団も。ねぇ、今から少しづつでも…このお金、返すわけにはいかないかな?」
「バカ言え!そんな事したら捕まっちまうぞ!せっかくここまでやったのに…いいか?これは俺たち2人だけの秘密だ。墓場まで持っていくんだ。俺たちしか知らないんだから、言わなきゃ絶対バレないんだからな!」
「う、うん…そうかな。でもアタシ、やっぱり劇団は、今の演目が終わったら辞めるよ…ボタンの事も軍曹に謝って…」
「バカ!ボタンがあそこから出てきたらどうすんだ!?一発でバレるぞ!いいか、これはこっそり返しておくんだ。どうせどこにでもある衣装だ、似たようなのはたくさんあるし、軍曹もそんなこと気にしないよ」
「うん…わかったよ…」
アヤメは言われた通り、ボタンの取れたままの衣装を、衣装部屋の一番奥の段ボールの、さらに一番下に仕舞い込んだ。そして、今の演目を最後に劇団を辞める事を告げた。
鬼塚は先日、稽古場に残って盗みの相談をする2人の会話を偶然聞いてしまった。耕造とアヤメの2人が悪事に手を染めている事はそれから知ってはいたが誰にも黙っていた。2人の事を気にいっていたのもあったが、鬼塚自身も騙された事のある悪徳商法の店に盗みに入ったと知った時は、心なしかスカッとしたからだ。
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