第4話 鬼軍曹
「ダメだダメだっ!そんなんじゃなーんも伝わらんっ!!もっと心の底から笑えーーーっ!!!」
激しい怒号が稽古場に響き渡る。
稽古場には団員が10名、皆、今にも倒れそうなくらい疲労している。
その中で、台本を広げ、パイプ椅子に腰掛ける初老の男———鬼塚和男は「今のところ、最初からもう一度!!」と言い、タバコに火を着けた。
団員達の目が(またか…)とでも言いたげに、それでも所定の位置に素早く戻っていく。
団員達が疲れるのも無理はない、かれこれ1時間ほど笑うだけのシーンを延々とやっているのだ。
劇団【夏の雪】は、鬼塚和男が一人で立ち上げ、最初は鬼塚の1人舞台から始まったのだが、その鬼気迫る迫力と演技、巧みな台本でファンが増えていき、弟子入り志願者が増えていき、小さな劇団にまで成長した。
しばらくすると、【夏の雪】から俳優や女優、コメディアンなどにデビューする者もいて、少しは有名になったのだが、鬼塚のポリシーから、大きな劇団にするつもりはなかった。
だいたい10人前後の団員をキープして、現状維持のまま30年近くやってきた。
ついたあだ名は「鬼軍曹」
名前の鬼塚と、鬼のように厳しいといった由来だろう。鬼塚は、そのあだ名を気に入っていた。
だが、歳のせいか最近身体が不調だ。
目も霞むし、脚も痛いし、たまに目眩もする。
もう潮時かもな…などと思うようになっていた。
団員達にはまだ言っていないが、今回の演目を最後に、この世界から引退しようかと思っているところだ。
独身だし、身寄りもないし、どこか物価の安い外国にでも行って、のんびり暮らすか、などど考えている。
だが、それにはまとまった金が必要だ。
【夏の雪】は、弱小劇団ゆえ、とにかく資金繰りが大変だ。
今までは貯金を切り崩しながら何とか持ち堪えてきたが、鬼塚の芸には厳しいが根は優しい性格のため、団員から高い月謝をもらうわけにもいかず、たまに団員達に食事を奢ったり、金に困った団員がいたら金銭を用立ててやったり、家具などを買ってやったりもしていた。
要するにお人好しなのだ。
鬼軍曹と言われながらも鬼塚を慕っている団員が多いのは、鬼塚の人柄でもあったのだ。
演劇一筋、他に趣味もないしギャンブルなどもしない、質素な生活を続けているのに貯金が底をつきそうなのは、他ならぬ劇団が原因であった。
引退を考えているのに余生を送る金が無い。
鬼塚の今、最大の悩みはそれであった。
それと平行して、鬼軍曹の最期を飾るのにふさわしい演目をここ最近、ずっと考えていた。
《裏切り者は笑う》
1組のカップルがいた。
その2人は、若く、お金もなかったので、若気の至りでちょっとした悪事に手を染めてしまう。
バレずに小金が手に入ったので、調子に乗って段々と大きな犯罪を犯すようになる。
完全犯罪な上に2人は犯罪者なのに妙なカリスマ性があったため、2人を応援する者まで出てきてしまう。
警察に追われたりもするが、逃げきった2人はその後、稼いだ金を持って誰も知らない国へ逃亡し、しばらくは何不自由なく暮らすが、次第に犯罪を犯した事への罪悪感や、捕まる恐怖などで幸せが脅かされようになる。
2人の仲が冷めてくる度に、お互いどちらかが裏切るんじゃないかという恐怖で疑心暗鬼になり別れてしまうが、女の方はバラされるのを恐れて元恋人の男を口封じに殺しに行こうとする。
男は、お前をを裏切るつもりは全く無いので、お前に殺されるのなら本望だ、だがこれ以上罪を重ねて欲しくないので、自分で死ぬと言う。
だが、死ぬ場所だけは決めさせて欲しい、せめて2人の思い出の場所で死にたい。
女はわかった、貴方の好きにしたらいいと言い残し、その場を去る。
数日後、男の死体が発見されたのは女のアパートだった。
しかも、御丁寧に男は死ぬ前に全ての罪を警察に話していたのだ。
最後に裏切ったのは男の方。女が自分を殺しに来たとき、裏切られる苦しみを死をもって女に知らしめたのだ。
罪が2人を繋いでいた。
そこに愛なんてなかったのか、と、女の笑い声。
哀しい笑い声がアパートの部屋に響く中、遠くから警察のサイレンが聞こえてくる———
よし、この台本でいこう。
鬼塚はノートに書いた台本を清書するためにパソコンに向かった。
実はこの台本…半分くらい実話なんだよな…。黙ってた俺も悪いけど、あの2人の悪事を楽しんでた自分もいたし、実際応援してた。外国に高飛びしたとこまでは事実。
その後の殺すだ死ぬだのくだりはオリジナルだ。
そういえばあの2人、元気にしてるだろうか。連絡先は一応知ってはいるが…10年近く電話してないから番号も変わってるだろうな。
台本を書いてたら気になってきた。ちょっと久しぶりに声でも聞いてみるか。何してるか気になるしな。
鬼塚は、2人のうちの女の方に電話をかけ始めた。
10コールくらい鳴ったが、相手は出ない。
「そらそーだわなぁ…」
諦めかけて電話を切ろうとした時、聞き覚えのある声が電話に出た。
「はい。桜田ですが」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます