第3話 天使

 パステルカラーを基調とした淡い色を店中にふんだんに使った柔らかい印象のカフェ。

置いている雑貨、インテリア、照明などもその店に絶妙にマッチしていて、店主のセンスの良さが随所に滲み出ている。

 そんなカフェの中で働く、ひときわ美しいウェイトレスがいた。

 主にこの店は女性客がほとんどなのだが、おおよそ店には似つかわしくない男性客もちらほらいるが、皆、彼女が目当てで来ている。

 可愛らしいカップに入れられたコーヒーをすすりながら、てきぱきと動く彼女を盗み見している中年男性。

 クリームやフルーツでデコレーションされたパンケーキを頬張りながら彼女に見惚れる若い男性。

 店に来ている男性客のほとんどの視線を独り占めにしているウェイトレス———東堂リカは、そんな熱い視線にお構いなしに店の業務をこなしていく。

 

「リカちゃん!休憩に入っておいで。」

 ガタイがよく、ヒゲ面ではあるが優しそうな中年男性がリカに声をかけた。

「店長、ありがとうございます。このテーブルだけ片付けたら行ってきます。」

 リカは店長に微笑みながら頭を下げ、テーブルを片付け始めた。

「全く、よく働くわねぇ、あの子は。ほんと、うちの娘にしたいくらいだわ…」

 店長の隣で、恰幅の良い女性がため息をつきながらリカを見つめている。

 店長の妻、雅美も女性でありながらリカの働きぶりと性格の良さに、惚れているのである。

「あんな子はそうそういやしないよ、あの子目当てに来るファンもたくさんいるし、見た目もそこらへんのアイドルや女優なんかよりよっぽど綺麗だし、まさに…天使だよ。」

 雅美は他のスタッフには厳しいのだが、リカだけには特別であった。

 その贔屓ぶりは店長や他のスタッフも身に染みてわかってはいたが、リカがあまりにも完璧すぎるので嫉妬する気も起こらないのだ。

「ずぅーっと、うちで働いてくれたらいいんだけどそんなワケにもいかないんだろうねぇ…」

 雅美の言葉に店長も深く頷いた。


 

 リカがカフェでの仕事を終えて駅への道を歩いていると、途中でふと、小さな劇場の入り口に貼られたポスターが目に入った。

【愛のざわめき】

 ありきたりなタイトルではあるが、なぜか気になった。

 劇団の名前も聞いた事がないし、出演している俳優たちの名前ももちろん知らない名前ばかりだ。

「劇団、夏の雪…?」

 知らない劇団の名前だったが、その矛盾した名前にリカはふふふ、と小さく笑った。

 ポスターにを食い入るように見つめていると突然、後ろから声をかけられた。

「演劇、興味ありますか?」

 長身の男性が近づいてくる。

「あ、あの…ポスター見てただけです…ごめんなさい」

 容姿とは裏腹に奥手なリカは、慌てて立ち去ろうとしたが…男はリカの前に回り込み、

「ごめん、急に話しかけてビックリさせちゃったよね。僕、怪しい者じゃなくて…この劇団【夏の雪】の劇団員やってる、筒井ユウゴって言います。一応…この舞台に出てるんだけど小さい劇団だし、聞いたことないよね」

 そう言って、白い歯を見せてはにかんだ笑顔にリカは思わずドギマギしてしまった。 「あっ、そうなんですね…。わ、私は東堂リカです。そこのカフェで働いてて…」

「へぇ!俺あそこ、めちゃくちゃ気になってたんだよ!でも、男1人じゃなかなか入りづらい雰囲気あるし…あ、そうだ!」

 そこまで言うとユウゴはジーンズの後ろポケットから折り畳まれた紙を出し、リカに差し出した。

「これ、【夏の雪】で今やってる演目のスケジュール。よかったらさ、観にきてよ!」

 リカの手に紙を無理やり握らせ、ユウゴは大きく手を振って劇場の中に入って行った。

 リカはその場にしばらく茫然と立ちすくんでいた。

 握られた手が熱くなっていく気がした。



 家に帰ったリカは、震える手でユウゴからもらった紙を開いてみた。

「次の公演予定は…1週間後…」

 急いでカバンからスケジュール帳を取り出し、カフェのシフトを確認する。

 ———休みだ…!!

 鼓動が早くなっていくのがわかる。息苦しい。

 あの短時間で、赤の他人だった筒井ユウゴという男にこんなに心を掴まれ、また会うためにシフトを確認している自分がいる事を、リカは———————許せなかった。

 

 【夏の雪】の演目スケジュールとシフトを手に、宙を見つめながら何分くらい経っただろうか。彷徨う心を引き戻すかのようにリカの携帯電話が鳴り始めた。

「もしもし…。ええ、大丈夫よ、変わりないわ。…帰国?…ええ、わかったわ。1週間後ね、気をつけて帰ってきてね、…あなた。」

 


  海外出張で出かけていた夫が1年ぶりに帰ってくる日が、奇しくもユウゴの劇団の公演日と同じ日だった事に、リカは激しい胸騒ぎを覚えながら同時に、甘い予感に身悶えていくのだった。

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