真麻の疑惑
「……お兄がおかしい」
兄が突然、おかしくなってしまった。
私がそのことを確信したのは、ゴールデンウィークがはじまって4日が経ってからだった。
私には高校生の兄がいる。
月城真砂という名前の兄を一言で言い表すと、怠惰な遊び人だろうか。
運動神経が悪いわけではないのに、部活やスポーツはやらない。
頭が悪いわけではないのに、テスト直前以外は勉強をしない。
あげく、ゲーマーを称しているくせに、プレイしているテレビゲームはほとんどエンディングまで到達することができず途中で投げ出してしまう。
夢中になれることを何一つとして持っていない、私がいないと何もできない。何もやろうとしない。
そんな情けなくも、みっともない兄――それが月城真砂という男のはずだ。
それなのに……
「ねえねえ! 真麻のお兄ちゃんって格好良くない?」
「私も思ってた! すごい剣道の才能もあるみたいだし、スポーツもできそうだよね!」
「むう……」
小学校の頃から通っている剣術道場にて、同じ中学の女子門下生が華やいだ声を上げている。
彼女達の話題に上がっているのは、まさかのダメ兄だった。
「真麻さあ、お兄さんのことを『一人じゃ目玉焼きも作れないポンコツ兄貴』とか言ってたよね? 全然、違うじゃない」
「……そんなことないもん。お兄はポンコツで、私がいないと何もできないんだもん!」
肘で小突いてくる友人に、私はムッとなって反論する。
ついつい口調が子供じみたものになってしまったが、これだけは言っておかないといけない。
「お兄は料理はもちろん、掃除も洗濯だって満足にはできないんだよ? 部屋だって私が掃除しているし、ベッドの下には変な本を隠してるし、全然かっこよくなんてないって!」
「また始まった。真麻のお兄いじり」
「真麻はお兄ちゃんの事大好きだもんねー」
からかってくる友人達。私はかあっと顔に血が上ってくるのを感じた。
「お兄ちゃんのことを取られたくないのはわかるけどさー、あの人が何もできないポンコツ兄貴っていうのは無理があるんじゃない……ほら」
「ドオオオオオオオオオッ!」
道場の中に鋭い声が響き渡る。
聞きなれた声の持ち主は私の兄だった。
道場では男子が練習試合をしていて、ちょうど兄が門下生の男子と打ち合っているところだった。
兄が放った鋭い一撃が相手の防具を叩いてパシンと高い音が鳴った。
「ほらほら、愛しのお兄ちゃんの勝利だよー」
「すごいじゃない。あの先輩、県大会への出場経験もあるんだよ?」
「むう……」
感心したように言う友人に、私は口をへの字にした。
兄は体験入学でこの道場に通うようになって3日になるが、その間に同年代の男子門下生のほとんどを破るまでに成長していた。
まだ倒されていないのは全国に出場した高校3年生の先輩と、大学生の門下生。そして、道場主の娘である沙耶香くらいのものである。
私は兄とは戦っていないが、戦えばきっと負けてしまうだろう。
小学生から剣道を習っているのに、昨日今日はじめたばかりの兄はすでに私の手の届かない領域へと到達している。
「お兄さん、本当に未経験者なの? ちょっと信じられないんだけど」
「そのはずだけど……私がいないところで、私の竹刀を素振りしていたみたい」
「ふうん、素振りだけであんなに強くなったんだ……へえ」
感心したように言いながら、友人の一人がじいっと兄のことを見つめている。
獲物を品定めするような視線になぜか落ち着かない気持ちになってしまい、私は彼女の道着を引っ張った。
「もう! お兄のことはいいでしょ! そんなことよりも場所が開いたから私達も試合しようよ!」
「ああん、ちょっと真麻……」
私は友人を引っ張って、強引に兄から視線を逸らさせた。
そんな私を他の友人がニヤニヤと愉快そうに笑って見ている。
その「わかってるぞー」という顔にムカついて、練習試合では思い切り竹刀を叩きつけてしまった。
からかってくる友人を一通り叩きのめして防具を脱ぐと、少し離れた場所で沙耶香が兄と話していた。
驚くべきことに、あの沙耶香が兄に楽しそうに笑いかけている。
「嘘……あの沙耶香先輩が……」
沙耶香は絶世の美女といっても過言ではない容姿の持ち主であり、この道場に通っている男子の半数は彼女目当てだったりする。
それだけ多くの男性を虜にしている沙耶香であったが、異性に対してはとにかく塩対応で知られている。
剣道に関する質問などには真摯に答えてくれるものの、下心をもって話しかければまず間違いなく痛烈な皮肉を浴びせられることになる。
剣道以外の話題で男子と話していることなど見たことがない。
お堅い沙耶香が兄と気安く話している姿は、ガツンと頭を殴られているような衝撃があった。
「あり得ない……お兄がこんなに女の子からモテるなんて」
兄は決して容姿が悪いというわけではない。
そこそこイケてる……私は勝手にそう思っている。
しかし、怠惰なオーラが身体からにじみ出ているせいか、周囲に女性の影は全くと言っていいほどなかった。
それこそ、沙耶香とは違う意味で恋愛とは無縁なのだ。
そんなモテない男子代表の兄が、高嶺の花すぎる沙耶香と親しくなっている。
それは天変地異にも等しいことである。
「……やっぱりおかしい。絶対に何かあったんだ」
最近の兄からは以前の怠慢な空気が消え失せており、どことなく肌からやる気や自信のオーラがにじみだしている。
夢中になれるもの、人生を捧げられる何かを見つけた。
そんな空気を纏っているのだ。
「……むう。お兄が勝手に私の知らないところに行っちゃうなんて許せない! 絶対にお兄の秘密を暴いてやる!」
私は決意を込めてつぶやいて、右手で竹刀を握り締める。
ヘラヘラと顔を緩めながら沙耶香と話している兄に、今晩のおかずは漬物とおからだけにしてやると心に固く誓いながら。
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