第11話 二日目は剣を振って⑥
沙耶香に挨拶を終えた俺は、道着から私服へと着替えて外に出た。
「あー、暑いなあ……」
久しぶりに運動をしたおかげでじっとりと汗をかいてしまい、服が身体に張り付いてくる。
いつもなら清々しく感じる5月の晴天も、今日はやけにうっとうしく感じられてしまう。
「早く帰ってシャワーを浴びるか……防具があんなに暑くて重いとは思わなかった」
俺はやれやれとつぶやき、速足で家路を急いだ。
真麻に無理やり連れていかれた道場だったが、おかげでいくつかのクエストを達成することができた。
沙耶香と知り合うことができたのも幸運だ。
俺は別れ際に「気が変わったら連絡して欲しい」と渡された彼女のアドレスを握り締めて、ニマニマと顔を緩めた。
「おい! 待ちやがれ!」
「あ?」
上機嫌で家路を急ぐ俺だったが、背後から声をかけられて立ち止まる。
振り返った先に立っていたのは同年代の男子数名。いずれも沙耶香の道場で見た顔だった。
「君らはさっきの……」
「……このまま帰れると思ってんのか!? 沙耶香さんに色目を使いやがって!」
「素人が少し才能あるくらいで調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「二度とうちの道場の門をくぐれないようにしてやる!」
「……ありゃりゃ。わざわざ追いかけてきたのかよ」
彼らはいずれも俺と試合をして負けた門下生だった。
なるほど、どうやら剣道初心者の俺に敗北したことでよほどプライドが傷ついてしまったようである。
5人組のリーダー格、不良っぽく頭を茶髪にした男がずいっと前に出てきた。
「てめえ、さっき沙耶香さんからなにか渡されてたよな!? まさか携帯の番号とかじゃねえだろうな!?」
茶髪の恫喝に俺は首を傾げた。
「いや、違うよ。電話番号なんてもらってない」
「そ、そうか。だったら……」
「まあ、MINEのIDだったら教えてもらったけど」
「なあっ!?」
茶髪が目を剥いた。
他の4人もざわざわと驚きの声を上げる。
「あ、あの沙耶香さんが初対面の男に連絡先を……」
「俺達だって道場の番号しか教えてもらってないのに……!」
「身持ちの固い沙耶香さんが……嘘だ!」
どうやら沙耶香が男子に連絡先を教えるというのは相当に珍しいことのようである。
門下生らは絶望に表情を歪めて、両手を地面についている者までいた。
(ずいぶんと気軽に教えてくれたから、みんなに教えているもんだと思ってたけど……なんで初対面の俺に? そんな好感度を上げるようなことをしたっけか?)
なぜだかわからないが、俺は随分と彼女に気に入られたようだ。
嬉しくないと言えばもちろん嘘になるのだが、これまで恋人の一人もできたことのない俺にとっては嬉しさよりも戸惑いのほうが先に立ってしまう。
「ゆ、許さねえ……よくも俺達の沙耶香さんを……!」
茶髪がゆらりと身体を揺らして、血走った目で俺を睨みつけてきた。
さすがに理不尽を感じて、俺はぶんぶんと両手を振る。
「待て待て待て! 連絡先を聞いただけで何もしてねえだろ! 人聞きの悪いことを言うなって!」
「うるさい! 沙耶香さんは俺達、雪ノ下道場門下生の女神なんだよ! 門下生でもないやつが抜け駆けするなんて許さん!」
「そうだ! ファンクラブのメンバーでもない男が沙耶香さんに個人的に連絡するなど、万死に値する!」
「滅びろ! 女の敵め!」
「怖っ! お前ら頭おかしいだろ!?」
アイドルでもないタダの女子高生にファンクラブとか、ライトノベルの世界だけだと思っていた。
たしかに沙耶香の美貌を思えば大勢の男に好意を寄せられるのも納得できるが、いざそいつらを目の前にすると気持ちが悪すぎる。
「……とりあえずそのIDを渡してもらおうか? 大人しく渡せば、一人一発ずつで見逃してやる」
「渡しても5発は殴られるのか……お前ら、そんなことをして道場を破門とかされないのか?」
「ふっ、心配は無用だ。他の門下生男子がアリバイを作ってくれているからな。お前が俺達に暴力を振るわれたと訴え出たところで、誰もお前のことなど信じてはくれまい!」
「うわっ、タチ悪っ!」
こんなくだらないことに協力をする奴が他にもいるのか。
武道をやっている人間というのは礼儀正しくてストイックな者が多いと勝手に思い込んでいたが、どうやら俺の勘違いだったようである。
「……沙耶香さんが見たら怒るか泣くか。自分のとこの道場の門下生が心に闇を秘めているなんて思ってないだろうに」
俺は同情して溜息をつきながら、両手を上げて降参のポーズをとる。
「悪いけど、人に教えてもらった連絡先を他の人に勝手に渡すのはマナー違反だ。勘弁してくれよ」
「ほう? つまり俺らにリンチ……もとい粛清を受ける覚悟があるわけだ」
「……そっちも勘弁願いたいね」
俺は足元に落ちていた木の棒を拾った。50㎝ほどの長さの短い棒だ。
ブンブンと軽く振って強度を確かめ、よし、と頷く。
「俺は平和主義なんだけど……黙って殴られる趣味はないよ。そっちがそのつもりなら全力で抵抗させてもらうから、そっちのほうこそ覚悟してくれ」
俺は枝分かれした先端を茶髪に突きつけて、クエストボードに目覚めるまでなら絶対にありえないような強気な言葉を叩きつけた。
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