第8話 二日目は剣を振って③

 真麻に竹刀を素振りしているのを目撃された俺は、昼食の後に彼女が通っている道場に行くことになってしまった。


 昼はソーメンとチンした冷凍食品の唐揚げを食べて、真麻に連れられて道場へと訪れた。


「失礼します。今日もよろしくお願いします!」


「……よろしくお願いします」


 神棚にお辞儀をして道場に入る真麻の後ろに続いて、俺は釈然としない思いで頭を下げながら足を踏みいれた。


 剣術道場というくらいだから殺伐とした雰囲気をしていると勝手に想像していたのだが、真麻が通っている道場は明るくキレイに整頓されていて小さめの体育館のようである。


 道場にはすでに10人ほどの門下生が竹刀を振っている。


 下は小学生、上は高校生まで年齢の幅は広い。


 真麻はキョロキョロと左右を見回して、一人の女性の下へと駆け寄って行った。


「沙耶香先輩、こんにちは!」


「やあ、真麻。ゴールデンウィークも練習に来てくれるとは熱心だね」


 真麻の挨拶に答えたのは、俺と同じか少し上くらいの女性だった。

 白い道着に身を包んだ彼女は、腰に届くほどの長さの黒髪をポニーテールにまとめている。

 瞳はつり目がちでいかにも意志が強そうだったが、真麻を見つめる視線は穏やかで優しそうである。


 意志の強そうな黒い瞳が真麻から俺へと移された。


「やあ、君が真麻のお兄さんかな? 電話で話は聞いているよ」


「えーと……今日は突然、すいません。よろしくお願いします」


 俺はやや緊張しながら、ボーイッシュな口調な女性へと頭を下げた。

 

「体験入学ならいつだって歓迎だよ。うちの道場は小さいから賑やかになるのは嬉しいな」


「うちの道場?」


「この道場は沙耶香先輩のお父さんがやっているのよ」


 真麻が隣から補足をしてきた。目の前の女性は沙耶香さやかというらしい。


「今日は父は留守にしているけど、ゆっくり見学していってくれ……ああ、名乗るが遅れてしまったね。私は雪ノ下沙耶香という」


「月城真砂です。妹がお世話になってます」


「ああ、よろしく。真砂君……真麻もいるから下の名前で呼ばせてもらうよ? 君はたしか高二だったね。私は三年生だから1つ年上になるのかな」


「あー……そうですね」


 にっこりと親しげに笑う沙耶香。

 時代劇に出てくる女剣士そのままの凛とした沙耶香の笑顔に、俺はなんとなく照れくさくなって視線をそらした。


「じゃあ、とりあえずその辺りに座ってみんなの練習を見ていてくれ。ああ、竹刀が振りたくなったらそこに置いてあるから自由に振ってくれて構わない。ただし、危ないから木刀には触らないようにね」


「わかりました」


「それじゃあ、真麻。早く着替えてきなさい」


「はい! それじゃあお兄、また後でね」


 廊下に消えていく真麻を見送り、俺は板張りの床に正座で座った。


「ヤアアアアアアアアアアアアアッ!」


「メンッ! メンッ! メンッ! ドウッ! ドウッ! コテッ!」


「…………」


 道場では門下生たちが声を上げて竹刀を振っている。


 汗を流して運動する彼らは全員が道着やら防具やらを身に着けている。

 私服なのは俺一人、正直言って居心地が悪い。

 運動部独特の結束した空気というものは、部外者には馴染みづらいものである。帰宅部の俺であればなおさらだ。

 スポーツにせよ武術にせよ、選手が練習している場には彼らだけの独特の空気があるものだ。

 そういった空気の中に自分が割って入り、その一部になるというのが昔からどうも好きになれない。

 冷めてるというか、基本的に集団行動に向かないのだろう。

 自分のペースでなにかをするのは好きだが、周りにやらされたり合わせたりしてするのは好まない。

 それが俺、月城真砂という男なのだった。


「……我ながら面倒くさい男だと思うけどな。とはいえ、せっかく来たし。剣術スキルの勉強になるかもしれないから、じっくり見学させてもらおうかな?」


 やがて道着に着替えた真麻が入ってきて、練習の輪に加わった。

 俺は竹刀を振る門下生……特に真麻と沙耶香を中心に動きを観察した。


 先ほど剣術スキルを使って竹刀を振ってみたが、やはり本物の動きは別物である。

 剣筋が鋭いというか、動きが洗練されている。


「なるほど……綺麗だな」


 俺は沙耶香が竹刀を振る姿に、そっと溜息をついた。

 門下生は経験年数の違いなのか一人一人に上手い下手があったが、特に沙耶香の動きはずば抜けて研ぎ澄まされているように見える。

 やはり道場主の娘というのは伊達ではないのだろう。

 その熟達した剣技からは、幼い頃から竹刀に触れてきた経験の厚みがうかがえる。


 沙耶香が竹刀を振るたび、若鮎が跳ねるようにポニーテールが揺れる。

 凛とした眼差しはまっすぐ前を向いていて、先ほど話していた時の穏やかな様子とは打って変わって鋭さを増している。

 防具をつけていない沙耶香の額には玉の汗が浮かんでおり、竹刀を振るたびに滴となって宙に飛ぶ。


 もしも剣の女神というものがいるのなら、きっと目の前の女性こそがそれに違いない。

 そんな風にらしくもなく詩的な気分になってしまうほど、竹刀を振る沙耶香は美しかった。


「…………」


 ちなみに、沙耶香に目を奪われているのは俺だけではなかった。

 いつの間にか20人ほどに増えた門下生の何人か。特に同年代の男性がチラチラと沙耶香に目を向けていることに気がついた。


 おそらく、彼らの何人かは沙耶香目当てで道場に通っているのだろう。運動とは違う意味で顔を赤くしている。

 無理もないことだ。あの美貌で、そして――あの胸である。

 沙耶香は防具をつけずに竹刀を振っているため、豊かに膨らんで道着を押し上げる胸がこれでもかと上下している。

 彼女の動きに合わせて揺れる乳房はまさに眼福で、これを見ることができただけでも道場に来た甲斐があると思わせるものだった。


「いい眺めだなあ、マジで…………はっ!?」


「じい~~~~」


 俺はふと背筋に悪寒を感じて沙耶香から視線をそらした。

 練習の合間、少し休憩をとっているらしい真麻が俺の方をじっと見つめていたのである。

 恐る恐る妹の顔を見ると、真麻の唇がわずかに動く。


『へ・ん・た・い』


 遠くからでもはっきりとわかる。

 完全に沙耶香の胸を凝視していたのがバレていた。


「うぐ……やばい、後が怖いな……」


 真麻を怒らせると、その機嫌がその日の晩御飯へと直結してしまう。

 はたして、俺は今晩ちゃんとした食事にありつくことができるのだろうか?


「うーん……しかたがない。真面目に練習してみるか」


 俺は真麻を誤魔化すため、立ち上がって壁にかけてある竹刀を手に取った。

 真面目に練習しているところを見せて、妹の機嫌が直ることを祈るしかない。

 俺は渋々ながら素振りを始めた。

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