三話 兄

「そりゃあ大好きな妹から色恋の話なんで聞きたくないでしょうよ」


和泉子は勢い良くベッドからずり落ちると、流れでそのまま床に着地した。


「紬様は昔から灯万里のことが大好きだもの。こちらが砂糖を吐きそうなくらいにね」


そう笑いながら、和泉子はその艶やかな長い髪をまとめ始めた。

砂糖。そんなに兄は自分に甘いのだろうか。


「うちは少し家庭事情が特殊だから。お兄様も少し過保護になっているだけよ」


不意に、脳裏に両親の顔が過ぎる。

もはや鮮明に思い出せないかんばせを、最後にはっきり見たのはいつだったか。その優しい声で、最後の自分の名前を呼んでもらったのは、一体いつだっただだろうか。

暗い色を落とす灯万里に申し訳なさそうに和泉子は口を開いた。


「…ご両親は相変わらず?」

「うん。でももう慣れちゃったから大丈夫」


半ば諦めたかのようにそう告げ、灯万里は再び花を撫でた。

最後に両親から花を貰ったのはいつだったろう。一年?いやもっと前だっただろうか。

すがる自分を一瞥することもなく過ぎ去っていく母の顔は、自分など見えていないかのように振り払う父の顔は、いつも能面のように眉一つ動かなかった。

その度に立ちすくみ、悲しみに泣き喚く自分を抱き寄せ、兄はいつも頭を撫でてくれたのだ。


「そうだわ灯万里、さっきのお菓子食べましょうよ」

「え?」

「誰一人口をつけていなかったじゃない?勿体ないなと思っていたのよね」


暗い表情で耽る灯万里にそう告げると、和泉子は部屋の入口に垂れていた紐を引く。するとどこか遠くでちりんと涼やかな音色が鳴った。


「私とお茶会の仕切り直しよ」


廊下でぱたぱたと複数の足音が響く。

和泉子は嬉しそうにかんばせを綻ばせた。

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