二話 和泉子
「もう和泉子ったら!わざとお兄様の話題を皆様に振ったでしょ!」
「だって灯万里が暇そうにしているのだもの。折角久々のお茶会なのだから楽しんで欲しいなと思って」
「余計なお世話よ」
茶会がお開きになった後、灯万里は和泉子と共に西園寺邸に足を踏み入れていた。
擬洋風建築の美しい西園寺邸は、一度迷うと最後、誰かに見つけてもらうまで出ることは出来ないと言われる程広い。
西園寺家は清華家と呼ばれる七つの家系の一つで、摂家に次ぎ華族の中でも位の高い家系である。もちろん要人の訪問も多く、もてなしの意味も込めてこのように豪華な西洋風なのだとか。
その長い廊下を進むと、屋敷の端に和泉子の部屋はあった。
和泉子は部屋に入るなり、何人分なのかわからない程大きなベッドの上にごろりと大の字で寝転んだ。
「ああ疲れた!」
これがさっきまで花がほころぶように振る舞っていた少女だと思うと、彼女の演技力にただただ感嘆するしかない。
「そりゃあ疲れるわよ。ずっと猫を被ってるんだもの」
灯万里は近くのソファに腰かけると、思わずため息をついた。
和泉子がごろりとこちらに体を向ける。形の整った眉は険しく歪められていた。
「だって外面は良くしておかなければいけないじゃない?」
灯万里の幼馴染である和泉子は、本来、生来きってのめんどくさがり屋だ。
人前では先ほどのように完璧な令嬢を演じているが、一部の気心知れた人間の前ではこのように怠惰な性格を隠すこともなく表している。
ではなぜあれほど淑やかに振る舞うのかというと、本人曰く、上に立つ者として威厳を保たなければいけないとのことだ。
灯万里も一応、伯爵家の端くれだ。外聞を良くしておきたいという気持ちは、わからなくもない。かと言って、あそこまで完璧に振る舞うのもどうかと思うが。
ふと、窓際に飾られている花が目に入った。
「あれが婚約者様から頂いたお花?」
「え?ああそうよ」
ごろりと寝返りを打ちながら、興味なさそうにそれを一瞥すると和泉子は再び布団に顔を埋めた。
縁側では硝子の花瓶に生けられた薔薇が、瑞々しく咲き誇っていた。近づいてみると、数日間前の花であるのに、まだ花弁が色鮮やかに染まったままだ。
(和泉子が毎日水を変えるなんてするわけないものね)
恐らく女給が毎日水を変えているのだろう。
「そんなに沢山の薔薇を寄こすなんて思わなかったわ」
和泉子は最近、三つ年上の同じ公爵家の子息と婚約を発表した。
西園寺家は世が世なら大貴族と呼ばれた家系である。名前は忘れたが、相手の婚約者も名家の嫡男だったと記憶している。
しかし、それは本人の意志で決められたものではない。互いの両親によって、または利害の一致によって決められたものである。
華族には珍しいことではない。むしろそれが一般的だ。しかしそれで本当に互いに幸せなのかというと、それはまた別の話だろう。和泉子はすんなり受け入れているというか、諦めている節があるが。
「そういえばさっきの質問」
「え?」
「どうするの?彼女たちまた聞いてくるわよ」
「あー…」
先ほどの令嬢たちが言っていた事を思い出し、灯万里は苦虫を噛み潰したような表情で頭を押さえた。
彼女達の言う伏見様、とは灯万里の兄である伏見
灯万里とは五つ歳が離れており、伏見伯爵家の嫡男である。容姿の整った両親の良いところをそのまま受け継いだ兄は、その整った顔立ちや物腰の柔らかさから女性に非常に人気が高い。
しかし、もう適齢期にも関わらず、婚約者がいない。かといって、恋人がいる様子もない。おかげで社交会では紬を狙う令嬢が後を立たないのである。
「お兄様と色恋の話をしても、本当に興味なさそうで聞いてくれないのよね」
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