第43話
もっと、もっと、視野を広げなくてはと思いつつも、今は、僕の目の前に広がるこの素敵な世界を全力で楽しみ尽くそうと、僕は心に決めた。
そんな事を思いながら、夢の国の放つ光のあまりの
『何ボーッとしてるのよ?グズグズしてる時間は無いのよ。全アトラクション制覇するんだから。さっさとファストパス取りに行くわよ。あと、安藤君、何かさっきからキモイわよ、目を細めながらニヤニヤして、とっても、とぉ〜っても気持ちが悪いわよ』
何でか分からないけれど、突然、心を鋭利な刃物の様な
僕が、並の精神力の持ち主であったなら、心に一生物の傷が刻まれる所だった。
もし、そうなっていたら、そのトラウマが元で、中々女の子と会話をする事が出来ずに一生独身で暮らす羽目になっていたかもしれない。
危ない、危ない。
あぁ〜、僕のメンタルが強くって、本当に良かったと、心の底からそう思う。
『アトラクションなんか乗らなくても、この空間に立っているだけで十分楽しいんだから、そんなにせかせかしなくっても…ゔっ』
またしても、
『うるさいわよ。君の意見なんか聞いてないの。君は何も考えずに私についてくれば良いのよ。ほらっ、行くわよ』
水を得た魚の様に、生来の
お目当てのアトラクションのファストパスを手に入れた僕等は、今、世界中の子供達がこの世界の小ささについて、手を取り合いながら歌っている様を、ゆっくりと進む船の上から眺めるという、とても牧歌的なアトラクションに乗っている。
『ほらね。世界は一つなんだよ』
何がほらねだよ。と思ったけれど、もうこれ以上、
『そうだね』
と、当たり障りの無い
『君に何が分かるって言うの?世界を一つにまとめる大変さも知らずに、知った様な口を聞くんじゃないわよ』
僕の相槌が麻生の
この爆弾少女の無数に張り巡らされた導火線は、ほんのちょっとの刺激で簡単に着火するのだ。
このペースで爆発されたのでは、いくら日々トレーニングしているとはいえ、僕の体が壊れてしまう。
デートって、こんなに過酷なものだったのか?
そりゃあ皆、勝負パンツを履いてデートへ出陣する訳だ。
アトラクションに乗っていたから、大きく振りかぶらない分、先程よりは大分威力が落ちているけれど、それでも、やっぱり痛いものは痛い。
アトラクションに乗車中は人を殴ってはいけないのではないであろうか?
そもそも、どんな状況で、どんな理由があろうとも、人を殴ってはいけないのではないであろうか?
争いを避ける為に、人は言葉を持っているのだから。
世界は一つなのだから。
鳩尾が痛くて痛くて堪らなかったはずなのだけれど、子供達が世界は一つなのだと歌う光景が、あまりに綺麗過ぎるから、いつの間にか痛みを忘れてしまい、僕の目は、彼・彼女達に釘付けになっていた。
『こんなにも簡単そうに見えるのに、どうして人類は、未だかつて平和を手にした事が無いのだろう?どうして未だに世界は一つじゃないんだろう?』
麻生来未が尋ねてくる。
『それは、あれだよ』
『あれって?』
『現実世界に当て
とても悲しいけれど、人間は、やっぱりエゴの塊で、どんなに
『じゃあ、自分の幸せよりも世界平和を優先する心優しき安藤君は、明日から、あの歌を歌いながら通学する事にしましょう』
『やだよ。それに、僕は世界平和より自分の幸せを優先する。にんげんだもの』
『つまんないの』
頬を膨らませてむくれる麻生は、パンダの赤ちゃんと比べても少しも引けを取らない愛らしさで、僕に不平を垂れる。
『現実はつまらないくらいが丁度良いよ。その方が思う存分、心ゆくまで夢の国を楽しめるだろう?』
キメ顔で放った僕の言葉を、清々しいくらい綺麗に無視した麻生来未は、歌を歌う子供達の姿に、目を奪われていた。
『本当に、簡単そうなのにね。でも、絶対に叶わない、届かぬ夢。誰もが欲しいと願うのに、誰の手にも掴めむ事の出来ない平和。幸せに満ち溢れた勝者がいるなら、必ず絶望の底でうずくまる敗者がいる。誰にも平等に訪れる平和なんて、最初から、この世界には無いのかもしれないね』
寂し気な微笑を浮かべながら、笑顔で歌う人形を眺める彼女の目には、決して揺らぐ事の無い、強い決意の炎が揺れていた。
その彼女の瞳が、その揺らめく炎があんまり綺麗なものだから、僕はアトラクションには目もくれずに、船が終着点に着くまで、ずっと彼女の瞳を眺めていた。
『いやぁ〜、良かったね。やっぱり夢の国に来たら、このアトラクションに乗らなきゃ始まらないもんね』
満足そうなホクホク顔で、麻生が言う。
『うん。本当に、凄く良かった』
今度は、当たり障りの無い適当な相槌なんかじゃなくて、僕は、本当に心の底からそう思ったのである。
いつの日か、彼・彼女達の歌が、きっと世界を一つにしてくれるのではないだろうか?という気がしたから。
それだけの力が、あの歌には込められていたから。
『本当に?』
麻生が上目遣いで僕の顔を覗き込む。
『本当だよ。嘘じゃ無い。心からそう思ったんだ』
『本当かなぁ?だって、安藤君ったら、途中からずっと私の顔ガン見してて、とっても気持ち悪かったから、ひょっとしてアトラクションがお気に召さなかったのかしら?と思ったんだけど』
まさか、気づかれていたとは。
想像を絶する程の羞恥心が、腹の底から湧き上がってくる。
『まぁ、こんなに可愛い女の子が隣にいたら、ついガン見しちゃう気持ちも分からなくもないけどさ、程々にしておいた方が良いと思うよ。とっても気持ち悪いんだから』
なんとか視線を外そうと試みたけれど、どうしたって僕の目は彼女の瞳に吸い込まれてしまうのであった。
夢の国は、細部に至るまでキラキラと輝いていて、行き交う人々の顔も、皆一様に輝いている。
この国と、僕等の汚れた世界を隔てるものは何であろうか?
今、夢の世界の中で満面の笑みを讃えている人々が、明日には、また汚れた世界の中へと戻り、死んだ魚の様な目で、圧倒的な力を誇る世界に押し潰されない様に、必死になって足掻き続けるのだ。
神様の思うままに操られる、憐れなマリオネットとして、死んだ目で、通勤電車へと飛び込む。
彼・彼女達は皆、気が違っているのであろうか?
気が違っていないのだとすれば、人間という生き物は、生まれながらにして狂気に満ちた存在であるという事なのであろうか?
あまりにも残酷な競争社会で、勝って勝って勝ちまくり、その頂きに辿り着く事が出来たなら、その時僕は、どんな顔をするのであろうか?
自分で在る事を諦めて、世界に操られる道を選んだ
勝っても負けても虚しいだけ。
そこにはただ虚無が横たわっているだけなのかもしれない。
それならば、無難な程々の道を選んで歩いて、たまに夢の国へ出向いてインスタントな充実感を味わう。
そんな無意味な人生を送る事が、人間としての賢い生き方なのかもしれない。
決してどこへも辿り着けない、何者にもなれない敗北者の惨めな人生。
でも、勝利と栄光に満ちた道の果てにも、惨めな敗北者の道の果てにも、等しく死という終着点が待っているのだ。
あぁ無情。
絶望的なまでに無情で、救いがない。
それはもう、笑ってしまう程に。
でも、だからこそ美しいこの世界。
競争なんてしなくてもいい、夢の世界の住人になれたなら、どんなにか素晴らしいだろうと思う僕なのであった。
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