第42話

 『それじゃあ、遊園地に行こうか?』

 『遊園地?』


 麻生が、くりくりとした大きな目で僕を見つめる。


 『うん。デートって言ったら、遊園地か動物園か水族館だろ?その3択なら、僕は迷わず遊園地を選ぶ。世間一般の人達にとってのデートスポットは3択かもしれないけど、僕にとっては1択。遊園地1択なんだ』


 『そもそもデートスポットって十人十色、無限大だし、君が何を言っているのか良く理解出来ないけれど、でも、君と2人で行く遊園地は、ちょっと悪く無いかもね。よしっ、じゃあ今日は遊園地に行きましょう』


 そう言うと、麻生は、とっても可愛らしい笑みを浮かべて僕に手を差し出す。


 『ほらっ、手、早く。ボーっとしてたら休日なんてあっという間に終わっちゃうんだから、グズグズしてる暇なんてないわよ』


 麻生の手は、相変わらず氷の様に冷たいのに、柔らかくて、温かい。


 冷たいのに温かいなんて矛盾していて、まるで禅問答ぜんもんどうみたいだけれども、でも、それでも麻生来未の手は、やっぱり冷たくて温かいのである。


 僕の住む街の隣の県にある通称【夢の国】は、日曜日という事もあり、蜂の巣をつついた様なにぎわいで、僕はちょっとだけ、いや、本当は、心の底からドン引きしてしまった。


 『すごく混んでるね』

 『そりゃそうよ。なんたって夢の国なんだからね』

 

 なぜか偉そうにふんぞり返った麻生が、フンッと鼻を鳴らす。


 『夢の国だから混んでる、っていうのはどういう理屈なんだよ?』

 

 夢の国とは名ばかりで、思いのままにアトラクションに乗る事も出来ないこの国は、ルールに雁字搦がんじがらめにされた現実世界のその一部、持てる者の富を増やす為のただの商業施設じゃないか。


 それでも人は夢の国に群がる。

 夜の蝶がネオンの放つ光に群がる様に。


 夢の国ってなんなのだ?


 なぜ人は夢の世界を求めるのか?


 『だってさ、現実世界はあまりにも残酷過ぎるから、平気な顔で生きていられる人なんて、ほんの一部で、その人達だって、本当は苦しいのに強がってるだけで、みんな現実世界では上手く呼吸が出来ないから、だから、息をする為に夢の国にやって来るんだよ』


 寂しげな微笑を浮かべた麻生が言う。


 本当にコロコロと表情が変わる女の子だ。


 とっても可愛いし、感情も豊かだから、女優になったら良いんじゃないかと思ったけれど、麻生が出演している恋愛ドラマを想像したら、なぜだか胃の所がズンッてなったから、口には出さずに思っておくだけにした。


 『でも、夢の国に来た所で、長い行列に並んで、高めに設定された夢の国価格のフード&ドリンクになけなしのお金を奪われて、家に帰ったら残るのは虚しさだけだろ?だったら現実世界の家でゴロゴロしながら漫画でも読んでる方がよっぽど賢いと、僕は思うよ』


 何の前触れもなく、鳩尾みぞおちに凄まじい衝撃が走り、僕は呼吸困難におちいって、その場にうずくまった。


 『まったく、男なんだから、夢の国に来てまで女の腐ったのみたいに、ぐじぐじと下らない御託ごたく並べ立てるんじゃないわよ。そもそも、【僕のデートスポットは遊園地ただ1択】って、間抜け面でイキったのは君じゃないのよ。君の情緒は一体どうなってるのよ?脳みそ沸いてるんじゃないの?』


 うずくまる僕に、麻生が容赦なく罵声を浴びせてくる。


 絵に描いた様な、麻生お得意の綺麗な死体蹴り。


 ここは本当に夢の国なのであろうか?


 暴力と暴言で溢れた修羅の国。

 こんな夢なら早く覚めたい。


 とはいっても、夢の国が放つ独特の雰囲気は悪くない。

 いや、本当の事を言うと最高だ。気を抜いてしまったら、今にも僕は口笛を吹きながら、スキップで駆け出してしまう事だろう。


 夢の国の中へ一歩踏み入れた瞬間、今までいた現実世界が、まるで虚構きょこうだったのだとでもいう様に、見える世界が色彩を帯びて光り輝くのであった。


 ジメジメと湿ったモノクロの現実世界では久しく見る事の無くなった、色とりどりの美しい風景。


 人に紛れて、頭に知識を詰め込まれ、右にならえの人生を送るうちに、僕の世界からは、いつの間にか色彩が失われていた。


 たかだか数千円を支払って、色彩を取り戻せるなら安いものだ。


 道理で人が集まるわけです。夢の国は、本当に素晴らしい。


 まさか、僕の暮らしている街から電車でほんの30〜40分の場所に、こんな素敵な世界があったなんて。


 デートスポットは遊園地1択のこの僕も、今日のこの日まで知らなかった。


 だって、僕、今日までデートってした事なかったから。


 きっとこの世界には、まだまだ僕が見落としてしまっている数限りない【素敵】が転がっているのだろう。


 僕は、この先の人生で、どれだけの【素敵】をこの手につかめるであろうか?


 視界を埋め尽くす程の、見渡す限りどこまでも広がる【素敵】に全身を包まれて、僕は目一杯息を吸った。

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