第37話

 『ギリギリだけれど、なんとか間に合ったわね。まぁ、よしとしましょう』

 麻生来未あそうくるみは、その天使の様に可愛らしい顔に、満足そうな笑みを浮かべている。


 人の休日をぶち壊しておいて、なぜだか上から目線の彼女に対して、全く怒りを感じない僕の心はどうなっているのだろうか?


 そして、なぜ僕は、部活の無い日曜日の早朝に、普段の野球の練習の時以上に必死になって息を荒げているのであろうか?


 頼んでなどいないし、勿論望んでなどいないのに、平和なはずの日曜日の朝が、僕に世界の無情さを教えてくれた。


 日々これ勉強なり。


 僕はまた一段、大人への階段を上ったのである。


 溜息混じりで混雑した満員電車に揺られるサラリーマンの気持ちが、なんだか少しだけわかった様な気がした。


 出来るだけ長く【子供】でいたいと、心からそう願う僕なのであります。


 『でっ、こんな朝早くからどこに出掛けるんだよ?』

 日曜日の早朝に開いている店なんて、コンビニか24時間営業のファミレスやバーガー店くらいだろう。


 『なに寝ぼけた事言ってるのよ、そんなの言わなくたって分かるでしょう?』


 日曜日の朝早く、僕が麻生来未と向かうべき場所は……。


 『いやっ、分からないんだけど』

 『まったく、ダメな隊員を持つと隊長は苦労するものね』

 ハァ〜ッと麻生が大袈裟おおげさに溜息をついた。


 『ダメな隊員って僕の事?』

 『そう』

 『じゃあ、苦労している隊長っていうのは麻生の事?』

 『違う』

 『えっ、違うの?』

 『いやっ、違わないけれど、【麻生】じゃなくて【来未】でしょう?』

 『どっちでも同じ……』

 ドスッと鳩尾みぞおちにとんでもない衝撃が走った後で、そのあまりの痛みと苦しみに、僕は道端にうずくまる。


 『まぁ、君は思春期をこじらせちゃってる男子高生な訳だから、もし恥ずかしいなら【ワイフ】または【つれ】って呼んでくれても構わないわよ』

 『お前はそれで恥ずかしくないのかよ?』

 『全然。むしろ子宮がキュンキュンしちゃうわよ』


 彼女の思考回路を理解しようと、この数ヶ月、僕は度重なる努力と試行錯誤を繰り返してきたけれど、僕の理解の大きく外をいく彼女特有の思考は、僕の手では掴めそうもない。


 まるで自然災害。天変地異の類いである。


 それでも、彼女の側を離れないのだから、僕の思考回路も相当にぶっ飛んでいるのだろうけれど、まぁ、要するに、人間って誰しもぶっ飛んでるものだよね?っていう結論に至った訳でございます。


 『隊長だとか、隊員だとかいうのは、この間言ってた【猫の命守り隊】の活動をするって事?』

 『そう。【猫の命を守り隊】の初任務に、これから出動するのであります』

 教科書通りの綺麗な敬礼をする麻生のバッキバキに決まっちゃってる目と、僕の目が合ってしまった。


 怖い。夢に見そうに怖い。


 『それで、初任務ってのは、具体的に何をするんだよ?』

 恐怖心と、その恐怖心からくる体の震えを無理矢理抑え込んで、僕は尋ねる。


 『とりあえず、今から丘の上の公園に行きましょう。細かい事は着いてから話すから、あなたみたいな末端の隊員は、何も考えずに黙ってついて来ればいいのよ。ダルいから質問はなしね』

 『休日の朝にアポなしで押しかけて来て、黙ってついて来いって、メチャクチャいいますね?隊長』

 『なんか文句あるの?殴るわよ』

 『いえっ、文句はありませんので、殴るのは勘弁してください』

 『それじゃあ、公園に向けてレッツゴー‼︎いくぞっ、安藤隊員……。おいっ、返事は?』

 『へぇ?返事?』

 『へぇ?返事?じゃねえよ!寝ぼけてんのか?返事と言ったら、イエッサーだろうが』

 『あっ…、はい。イエッサー』

 『よぉぉぉ〜し!!』

 麻生来未が、バッキバキの目で睨み付けながら、人差し指を僕の鼻先に突き立てた。


 やばい、怖過ぎて逆になんか笑けてきた。


 こうして、僕の気持ちなんか置いてけぼりにして、麻生来未プレゼンツ、地獄の日曜日の幕が開かれたのであった。

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