第34話

 すっかりと夜も更けた街を、僕は一人、ひた歩いていく。


 心地の良い静寂せいじゃくに包まれて【作り物の僕】を脱ぎ捨てると、ようやく肩の重い荷を下ろす事が出来た。


 本当の自分をひた隠し、人の顔色をうかがいながら、【相手の求める僕】を演じ続ける。


 心が感じるままに、自由に生きられたならと願いながらも、その願いは決して叶う事はないのだと、僕は知っているから。


 だから、僕は、いつからか心に仮面を被らなければ人前に出る事が出来なくなってしまったのである。


 夜の闇と孤独は、僕が僕に還る事が出来る唯一の大切な場所なのだ。


 夜風に吹かれながら歩を進めていると、街灯の光に照らされた【それ】が、僕の目に飛び込んできた。


 生物の持つ温かさを失い、物に成り下がってしまった【それ】のかたわらには、鮮やかなピンク色の腸で、【猫は私の友達です】という文字が作られている。


 また猫殺しが現れたのだ。


 彼または彼女は、誰かに何かを伝えようとしているのか、はたまた、小さな命をもてあそび、そのむくろはずかしめ、歪んだ性癖を満たしているのか。


 どちらにせよ、そんな事の為にかけがえのない命が奪われるなんていう事があっていいはずが無い。


 どんなにそれらしい理由を並べ立てた所で、自分よりも弱い者を傷つけるなんて、許される訳がないのだ。


 彼・彼女が、どれ程の苦しみを味わっているのか、どの様な地獄の中で、もがいて足掻いているのかなんて、僕は知らないけれど、その苦しみの果てに、善良な、か弱き命を摘み取ってしまったのならば、同情の余地は全く無い。


 苦しいのなら、悲しいのなら、痛くて辛くて堪らないのならば。


 その痛みや苦しみは、絶対に他者に与えてはならない。


 自分が今、深い地獄の底に居るのなら、その痛みを知っているのなら。


 その痛みを優しさに変えて、他者を愛し、いつくしむ事が出来るはずなのだ。


 いつも思う。


 誰かの命の終わりを目にする度に、僕は、【生きられなかった人】の分まで生きなければならないのだと。


 明日を生きたいと強く願いながら、【死】という絶対不可避の終幕を迎えた、おびただしい数の命を差し置いて、僕は明日を生きるのだから。


 苦しいだとか、辛いだとか、悲しいだとかそんな言葉を吐く権利など無いし、ましてやか弱き命を奪うなど有り得ない。


 今、この世界の上に立っている者達が、その命の全部を懸けて【生きられなかった人】の分も今日を精一杯生きるのは、当然の義務なのだから。


 なのに、この世界のには、自分よりも弱い者の命を摘み取る者がいる。


 今を命懸けで生きている者は、決して弱い者をしいたげたりはしない。


 あれやこれやと、聞こえの良い言い訳を並べ立てて、全力で生きる事から目を背けている【人間の振りをした猿】は、この世界のから一匹残らず絶滅してしまえばいいのにと、僕は、心の底からそう思うのであった。

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