競争社会って疲れますよね？あれっ、僕だけですかね？

第32話

　『お前はさ…』

　坂上さんは、遥（はる）か遠く、こことは全く違う空想の世界に憧憬（しょうけい）の思いを馳（は）せる様に遠い目で、瞬く星を見上げている。

　まるで、決して手にする事の出来ない理想の世界に何とかして触れようとでもするかの様に、坂上さんは、その手を星に伸ばす。

　坂上さんは、この無情（むじょう）な現実を受け入れているという様に、また、決して受け入れるつもりは無いという様に、悲しい微笑を浮かべた。

　『お前は、誰もが貰える訳じゃ無い特別なギフトを貰って、この世界に生まれて来たというのに。そのギフトは、この時代のこの競争社会を生きる上で大きな武器になるというのに、そのアドバンテージを、どこか快（こころよ）く思わない節がある』

　相変わらず、悲しい微笑で星を眺める坂上さんは、フッと笑う様に息を吐き出す。

　『大人しくその力を最大限に発揮（はっき）すればいいのに、無意識にそれをセーブする。まぁ、セーブした所で充分超人の域に達している訳だから、それでもお前は、こと野球に関して言うならば、苦労せずにある程度の高みへ辿り着けるだろう。でも、ギフトを授かった者には、それ相応の義務が生じる。お前には、ちゃんと英雄（ヒーロー）になる責任がある』

　坂上さんは、遥か遠くの瞬く星に向けていた目を僕に向ける。

　『お前のその生き方が、いつか誰かを、いやっ、もう既に誰かを深く傷つけているかもしれない。才能だとか力ってのは、それを持った奴の周りにいる【持たざる者】達を情け容赦（ようしゃ）無く傷つけるんだ。お前にその自覚が無くてもな』

　『なら、僕はどうすればいいんですか？』

　心からの叫びであった。

　別に、ギフトをくれと望んだ訳じゃない。

　言ってしまえば、この命だって望んで手に入れた訳じゃない。

　なのに、生まれてきたから。才能をもらったから。

　僕はその責任を取って、肺が上げる悲鳴を無視して、命が終わるその瞬間まで、全力でこの人生を走り抜けなければならないとでも言うのであろうか？

　そんなの、あまりにも残酷過ぎるじゃないか。

　今にも泣き出しそうな僕の気も知らずに、坂上さんが口を開く。

　『それは、お前が決める事だからな。お前には義務があると言ったって、それを果たさなくちゃならない義理はない。あくまで俺の個人的な意見だからな。国民に選ばれた政治家だって責任を果たさないこの御時世だ。お前が俺の言葉をうるせぇと思うなら、無視すればいいさ』

　坂上さんが浮かべる笑顔は、相変わらず爽やかで、僕がいたいけな少女であったなら、一瞬で恋に落ちてしまいそうな程に素敵だ。

　『でもさ、ただ義務だからってだけじゃない。神様からギフトを授かった者しか見る事の出来ない風景を見ずに死ぬのは、俺は、勿体ないと思うけどな。きっと、綺麗すぎてショック死するくらい、美しいんだろうから』

　僕のこの人生の道の果てに、その様な景色が待っているのなら、命の一つや二つ懸けるのは苦では無い。

　だけれど、そこに辿り着くまでには、どれ程の人間の夢を叩き潰さなければならないのであろうか？

　その景色は、きっと夥（おびただ）しい数の敗者達の上に立つ、ほんの一握りの勝者にしか見る事の許されないものなのだろう。

　だとしたら、その景色がどれ程美しかろうが、僕は、そんなものは見たくないのだ。

　皆んなで分かち合う事の出来ない幸せを心の底から喜べる人間になるくらいならば、僕は舌を噛み切って死ぬ道を選ぶ。

　そんな事を思いながら、歯を食いしばって見上げた空は、なぜだか急にぼやけて、水で溶いた絵の具みたいに混ざり合った。