第30話

 『そういえば、坂上さんと部活以外で喋るの、初めてですね』

 『言われてみれば、そうだな。でも、毎日部活で顔を合わせて、会話もしてるんだ、それで十分だろう?それとも、お前、もっと俺と一緒にいたいのか?だとしたらキモいな。とっても』

 坂上さんは、台詞せりふとちぐはぐな優しい微笑を浮かべている。


 この人は、いつだって【優しい微笑】を浮かべているのだ。


 『いやっ、まぁ、確かにちょっと、キモいかもしれないですね』


 坂上さんが、フッと笑う。


 『お前さ、今日のキャッチボールの時のあの球、良かったな。あれは、甲子園常連校の4番バッターでも、ちょっと打てないよ』


 坂上さんにおめの言葉を頂いて、嬉しい限りなのだけれど、残念ながら、あの球を投げた時の記憶は朧気おぼろげで、はっきりしないのである。


 『ありがとうございます。でも、あの球は投げろと言われて投げられる球ではないので』

 『でも、キャッチボールの時は、投げろと言ったら投げたじゃないか?』

 優しい微笑を浮かべながら、僕の矛盾を問い詰めてくる坂上さんに、

 『いや、あの時はまぁ、確かにそうなんですけども…』

 僕は口籠くちごもってしまう。


 やれやれ、と呆れた様なジェスチャーをした坂上さんは、

 『よく分からないけどさ、あの球を際限さいげんなく投げられた日には、俺のエースとしての絶対的地位もらぎかねないからな。まぁ、高3の夏までに、思い通りにあの球を投げられる様になりゃあ良いんじゃないのか?』

 と言った後で、やっぱり考え直したという様に首を振って、


 『いやっ、でもやっぱり、それじゃあ面白くないよな?よしっ、安藤。お前、死に物狂いで努力して、さっさとあの球を自分のものにして、そんで、俺が部活引退するまでに、俺を超えてみせろ』

 と、坂上さんには珍しく、熱のこもった言葉をかけてきた。


 いつかきっとじゃなくて、今、ここで、必ず超えると決めたんだ。


 こんなに身近に、全国屈指の大投手がいて尚且なおかつ、そんな凄い人が自分に目をかけてくれている。


 こんなにも恵まれた環境は、どれほど強く願ったって、どれほどお金を積んだって、おいそれと得られるものじゃない。



 坂上さんにもらったものを返すには、坂上さんを超えるしかないのだ。


 『はいっ!超えてみせます。必ず』

 『なめんなよ!お前なんかに、この俺を超えられる訳ねぇだろうが』

 子供みたいにムキになって、そんな事を言う。

 この人の情緒は一体どうなっているのであろうか?


 『自分で超えろと言っておいて、めちゃくちゃ言いますね。っていうか、坂上さんってそういう感じだったんですね』

 『そういう感じとは?』

 『なんか、こう、熱くなったり、子供みたいにムキになったり』


 『お前は、今まで俺をどんな感じだと思ってたんだよ?』

 呆れた様に聞いてくる坂上さんに、


 『他人に興味が無くて、どんな困難な状況も無感情に手際良く乗り越える。そんな完璧超人だと思ってました』

 と、僕が答える。


 『俺は、悲しき怪物か?はたまた殺人AIかよ?ちゃんと血の通った人間だよ、俺は。いつだって他人に興味津々きょうみしんしんだし、全然完璧なんかじゃない。当たり前だろ!俺は、呆れるくらいに凡庸ぼんような、17歳の少年なんだから』


 そんな発想はなかった。

 そうだったのか、と今更ながら、坂上さんが自分と一つしか年の違わない少年なのだという事実に思い当たる。


 僕は驚きを禁じ得ないのであるが、やはりどんなに凄かろうと、坂上さんは高校生であり、僕と変わらぬ一人の人間なのである。


 絶対に坂上さんを超えてやるんだ!と、珍しく僕の心が熱く燃えているけれど、不快感は全く無くて、心の底から湧き上がる愉悦ゆえつに、僕の顔は、自然とほころんだ。

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