第28話

 『おいおい、どうしたんだよ安藤?今日のお前の球、全部死んでるぞ。ぼーっとしてねぇで、練習に集中しろ!お前は今、俺とキャッチボールしてるだぞ』

 『あっ、はい。すいません』


 そうだ。


 そうなのだ。


 僕はバカだから、何事かを考えながら練習に打ち込むだなんて、そんな器用な芸当はとても出来ない。


 だから、今は猫の事だとか、世界の事だとか、神様の事は一旦忘れよう。


 でなきゃ、とてもじゃないけれど坂上さんについていく事なんて出来ない。


 坂上さんが認めてくれたのだから、僕は、坂上さんの期待を裏切る訳にはいかない。


 そして何より、僕自身が、坂上さんの期待に応えたくて、その期待の更に上へと辿り着きたいと思っているのだから、今は、この瞬間に、意識の全てを傾けなければならない。


 パンッ!!


 何だろう?


 今、全集中力を傾けて坂上さんの球と向き合ってみると、それには重さや正確さといった物理的な力以外の【何か】が込められている様に感じられる。


 何だろう?


 【とても強い何か】でも、それが何なのかは分からない。


 もっと神経を研ぎ澄ませて、もっと深く。どこまでも深い海の底の様に、静かで穏やかな場所へ行かなければ。


 坂上さんと同じ目線で、同じ風景を見る事が出来なければ、きっと坂上さんの球に込められた【何か】を受け取る事は出来ない。


 今、この瞬間まで気づかなかったけれど、坂上さんは、ずっと僕に、その【何か】を伝えようとしているのかもしれない。


 だけれど、今の僕の力では、どれ程神経を研ぎ澄ませた所で、残念ながら、その【何か】は受け取れそうもない。


 だから、せめて今の自分の持てる力を出し切るんだ!という気概を持って、僕は、全力で坂上さんに食らいつく。


 『安藤』

 『はい』

 『ここに、今のお前が出せる【最高】を叩き込んでみろ』

 坂上さんは、胸の前にグローブを構える。


 『全力の球を投げろって事ですか?』

 『そうだ。お前は何故だかかたくなに全力を出そうとしないからな。大方の見当はついているが、一度、お前の全力を測っておきたいんだ』

 『そう言う坂上さんだって、全力出さないじゃないですか。それに、これは野球に限らず人生全般にわたる話ですけど、とっておきは隠しておくものでしょう?手札をさらしてポーカーをやるバカはいませんよ』


 『嫌ならいい。別に無理強いをするつもりは無いんだ』

 坂上さんは、相変わらずの人当たりの良い微笑を浮かべている。


 『嫌じゃないですよ。あくまで一般論を言っただけで、僕は全力を出すのに抵抗はありませんから。それに、たまには全力を出しておかないと、いざという時に全力の出し方を忘れちゃってたら困るので、お言葉に甘えて、先輩の胸お借りします』

 あーだこーだ言うつまらない理屈なんてどうでもいい。


 今の僕はただシンプルに、坂上さんに、自分の持てる【最高】を、思う存分ぶつけたいのだ。


 僕の視線のその先で、坂上さんが、先程までの人当たりの良いそれではなく、不敵な笑みを浮かべた様な気がした。

 

 

 


 

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