第27話

 歪みに歪んだこの世界。


 圧倒的な力で押し潰されて狂ってしまった人間が、猫を虐殺ぎゃくさつして、その死体をもてあそぶ。


 はたして、被害者は猫であるのか、それとも、冷酷無残れいこくむざんなこの世界に押し潰された、あわれな狂人の方なのか?


 ない頭をいくらひねったところで、答えはいつまで経っても出てこない。


 何が正しくて、何が間違えているのかなんて、僕には知るよしもないのである。


 でも、たった一つ確かな事は、僕は弱い者が強い者にしいたげられている姿を見たくない。という事だ。


 この世界の価値観、倫理観や道徳なんて関係なく、僕は、ただひたすらに、弱者を依怙贔屓えこひいきせずにはいられない。


 まぁ、依枯贔屓した所で、かくいう僕自身も弱者であるのだから、彼・彼女達を救う事なんて出来ないのだけれど。


 あれやこれやと巡らせていた僕の愚にもつかない思考は、


 『よう、安藤。今日はちゃんと来たか。今度から休む時は一声かけろよ』

 という、人当たりの良い微笑を浮かべた坂上さんの言葉に断ち切られた。


 『すいません。ちょっと、急用が出来てしまったもので』

 『まぁ、いいさ。さっさとアップ終わらせて来いよ。キャッチボールするぞ』


 もうアップを済ませたらしい坂上さんは、面白くも無さそうに硬式ボールをいじくっている。


 この人は、いつだってアップを済ませているのだ。


 よくよく思い返してみると、僕は坂上さんがアップしている姿を見た事が無い様な気がする。


 誰よりも上手いのに、誰よりも早くグラウンドに来て、誰よりも遅く家路につく。


 そして、きっと家でも自主トレをしてるのであろう(あくまで僕の想像)、どこまでもストイックな坂上さん。


 努力を努力と思わずに、修羅の様に自己研鑽じこけんさんの道を黙々と歩き続ける事の出来る天才。


 この人は、一体どれ程の高みへと昇り詰めるのであろうか?


 きっと、そこから見下ろす景色は、どんなにか美しい事であろう。


 もしも、この世界中の人全てがそこに辿りつけたのなら、きっと、この世界の全ての争いはまたたく間に消し去る事が出来るだろう。


 とっても簡単な様に見えて、果てしなく難しい。


 今の調子で先人の作った下らないルールにのっとって、倫理や道徳や法律や政治を原始人の様な野蛮さで振り回していたら、人類が終わるその日まで、争いが終わる事はないだろう。


 どうして神様は、全ての人間が思うままに生きられる世界を創って下さらなかったのであろうか?


 全知全能の神様が創ったのだから、僕の目にはお粗末極まりなく見える、この1%の勝者と99%の敗者で構成されている、いびつな競争社会も、きっと正しい形なのだろう。


 でも僕は、もし自分の我がままが通るのであれば、皆んなが勝者で、皆んなが自由な世界が欲しい。


 敵も味方も無い。


 皆んなが手を取り合って、笑顔で生きていられる世界が、僕は見たい。


 その為に、たった一人、敗者が必要だというのなら、僕は敗者でいい。僕の世界はずっと地獄で構わない。


 だって、そこから見上げる自由の空は、きっと最高に美しいはずだから。


 そんな愚にもつかない事を考えながらアップを終わらせた僕は、グローブを手に取り、坂上さんの元へと駆けていく。


 『お待たせしました』

 『本当にお前は俺をいつも待たせるよな』


 よしっ、やるか。と言った後で放たれた、坂上さんのずしりと重たいボールは、相変わらず、僕の構えた場所に寸分違わず収まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る