第24話

 『どうしたの?』

 世をうれう様な表情で、くうを見つめる麻生にたずねる。


 『何が?』

 『いやっ、何か悩み事でもあるのかなぁと思ってさ』

 『何で?』

 『何でって聞かれたら困るけど、とにかくそう感じたんだ』

 くる日もくる日も麻生来未あそうくるみを見ている僕には、彼女の些細ささいな変化は手に取る様に分かる。


 麻生来未は、くりくりとしたその目を見開いた後で、視線をあちらこちらへ泳がせる。

 『嫌なもの見たの』

 『嫌なもの?』

 『うん。でも、あんまり気持ちの良いものじゃないからさ、だから、出来れば君には言いたくないなって思っているの』

 『言いなよ』

 泳いでいた麻生の目線が、僕の目とピタリと合う。

 『猫がさ』

 『猫?』

 『うん。猫が死んでいたの。腸が飛び出していて』

 『車にでもかれたのかな?』

 野良猫の多いこの街では、猫が車に轢かれる事がしばしばあるのだ。


 『ううん。たぶん、殺されたの。いやっ、間違いなく』

 『どうして分かるの?』

 『その猫の腸がね、刃物か何かでカットされていて、【猫の命を大切に】って文字になる様に並べてあったの』

 『それは…。嫌なものをみたね』

 僕は、小刻みに震える麻生の手を握りしめる。


 彼女の手は、いつもより冷たかった。


 『どうして弱い者だけが割りを食うんだろうね?』

 麻生来未が、小さな掌をギュッと握りしめる。


 『奪われるのはいつだって弱い者。たださ、一生懸命に生きているだけなのに。別に誰かの血肉となる訳でもなく、どこかの、この世界に白旗を上げたみじめ敗北者の鬱憤うっぷんを晴らす為だけに、小さな命が奪われるなんてさ。この事について、神様はどう考えているのかしら』


 神様は、何も考えてなどいないのではないであろうか?


 神の全知全能の力がどれ程のものかは分からないけれど、この世界が、こんなにもお粗末な仕上がりになっている時点で、彼の力の程も知れたものだ。


 自分が想像した以上に、爆発的に増えてしまった多種多様な生物達に、もはや神様の目は行き届いていないのではないだろうか?


 きっと神様は、人々が自分の事をあがたてまつる声を聞くだけで、手一杯なのだ。


 どれだけ弱者がないがしろにされようが、神様には関係がない。


 神様は、自分を崇め奉り、自分の示した思想に盲従もうじゅうし、なおかつ、その思想を実際に体現するに足るだけの力を持った生き物だけに恵みの雨を降らせるのであろう。


 神様は【強い者】がとっても好きだから、つい彼らに依怙贔屓えこひいきしてしまうのであろう。


 『皆んな見て見ぬふりをしていたからさ、私は、あの子を小高い丘の上に埋めてきたの。きっとこの街の人達は、目の前で人が血を吹いて死んだって、見て見ぬふりをするんでしょうね。久し振りにこの世界の本当の姿を見せつけられて、ちょっとだけ、いえ、物凄く嫌な気持ちになっちゃったよ』

 『猫、埋めてから学校に来たんだ?よく間に合ったね』

 『何言ってるの?全然間に合ってないよ』

 『えっ?』

 『だって今、3時限目と4時限目の間の休み時間なんだから』

 『うそっ?』

 『本当だよ。そんなつまらない嘘ついてどうするのよ?』

 『だとしたら、何で誰も僕の事を起こさないんだ?』

 『きっと君は、私以外の人間には見えていないんじゃない?』

 『そんなはずないだろ!現に、さっきだって、ほんの一瞬だったけど、クラス中の冷たい視線が僕に集まったし』

 あのナイフの様に鋭い視線に、僕の心は傷つけられたのだ。


 『あらあら、自意識が高くていらっしゃる』

 『仮に、クラスメイト達が僕を放っておいたとしても、先生が起こすべきだろ。仕事なんだし、給料もらってるんだから』

 『君、モンスターペアレンツみたいな事言うのね。先生だって人間なんだから、見込みの無い生徒の1人や2人、切り捨てたって構わないでしょ』

 『僕は見込みないの?』

 『あら、知らなかったの?』

 麻生来未は、やれやれと肩をすくめる。


 『とにかく、君の透明人間問題は一旦置いておいて』

 『置いておかないでくれ』

 『とにかくね、今日から私と君は【猫の命守り隊】だから』

 『猫の命守りたい?』

 『うん。ちなみに【猫の命守り隊】のたいは戦隊ものの隊ね。まだNPO法人としては登録してないんだけど』

 『猫の命を守るって事?』

 『そう。言っとくけど、これマジだかんね』

 麻生の目は、久し振りにバッキバキに決まっちゃってて、この申し出を断ったら、何をされるか分かったものじゃない。


 まぁ、最初から断るつもりなんてないんだけどね。


 雨が降ろうが槍が降ろうが、目的地が地獄の底であったとしても、麻生来未が行こうと言うのなら、僕はどこへでもついて行くのだ。





 

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