第15話

 『僕と麻生が初めて出会ったのは、この春、この高校へ向かう途中の道でだったと、僕は記憶しているんだけれど、ひょっとして、もっと昔に会った事があるのか?』

 『さぁ、どうだろうね?でも、もし君が、昔話に興味があるというのなら、ある女の子の昔話を聞かせてあげましょうか?』

 麻生が、意味有り気な目つきで僕を見つめる。

 『うん。聞かせてよ。ある女の子の物語を』

 『それじゃあ、話しましょうか。昔々の物語を』

 空を見上げて、大きく深呼吸をした後で、麻生来未は、二度とは戻れない遠い世界に思いをせる様な表情で、ある少女の物語を語り始めた。

 『昔々、あるところに、可愛らしい女の子がいました。

 女の子には、優しいお母さんと格好良いお父さん、そして、とってもキュートな妹がいました。

 生活は何不自由なく、とても幸せな日々を送っていた女の子は、そんな日々が、いつまでも続くものだと、信じて疑いませんでした。

 しかし、物語の常で、その幸せな日々がいつまでも続く事はありませんでした。

 もし、そこに、魔王や悪魔の様な分かりやすい悪者が登場したのであれば、復讐ふくしゅう心をかてに、生きる力に変えていくという事も可能であったのかもしれませんが、女の子の家族から、幸せな日々を奪っていったのは、

 冷酷無惨れいこくむざんな競争社会という、実態の無い怪物であったのです。

 資本主義社会は、人間の懇願こんがん等、聞く耳を持ちません。

 どんなに情けを求めたって、その者の力が生きるに値しないと見るや否や、情け容赦なく切り捨てます。社会は、弱者を認めないのです。

 生きる基準に達する力を持たぬ者達は、生きる資格が無いばかりか、生きているだけで、強者の足を引っ張っている、とみなされてしまうらしいのです。

 笑うにも、泣くにも、怒るにも、愛するにも、力を持たなければ、その権利は与えられません。社会的人間で在る為には、人間らしく生きる為には、少なくとも、人の足を引っ張らない程度の力を持たねばならず、女の子のお父さんとお母さんは、精神的にも、物理的にも、競争社会についていく事が出来なくなってしまい、女の子と女の子の妹を連れ立って、情けに溢れた神様の世界へと旅立つ事に決めたのでした。

 しかし、意地悪な神様は、お父さんとお母さんと妹だけを連れて行ってしまい、女の子が地獄の様な世界から抜け出す事を許してはくれなかったのです。

 女の子は、母の姉である所の伯母に引き取られるも、この世界と神様のあまりの残酷さに絶望して、心を完全に閉ざしてしまいました。

 同年代の子供達は、下らない事でいちいち悩んだり、面白くも無い事で声を立てて笑ったりします。

 本当に目障りで、皆んなが消えるか、さもなければ自分が消えてしまいたいと心から願っていた女の子は、毎日、寝る前に【どうか、明日こそは目が覚めませんように】と、心を込めて願うのですが、それでも明日はやってきて、その明日が終われば、また新しい明日がやってきます。

 生きていればいつの日か必ず死ねるのだ、という事が唯一の救いだったのですが、この命が、あと5〜60年も続くと思うと、何とも名状めいじょうし難い、途方もない絶望に心が押し潰されてしまうのでした。

 そんな日々を送る中、ある晴れた日の昼下がりに、ふと立ち寄った公園で、女の子は、ある男の子に出会いました。

 その男の子は見るからに間抜けそうで、この世界を憂う事など、決して無いであろう、恵まれた子供に違いなく、それは、まさに女の子がこの世界で一番嫌いなタイプの人間でした。

 だけれど、これもまた、物語の常で、嫌いなタイプの人間程、こちらの気持ちを察せずに、近づいてくるものなのです。

 間抜け面の男の子もその例にれず、図々しくも、女の子に話しかけてきました。

 【どうしたの?】と聞かれたので、女の子は【別に】と答えました。

 でも、【何かあったんでしょう?】と、しつこく話しかけてくるので、【ほっておいてよ。私の事、何も知らないくせに】と言って、女の子が男の子を突き飛ばそうとすると、【たしかに、僕は、君の事何も知らないけれど、でも、君がとっても悲しそうな顔をしているから、話しかけずにはいられなかったんだ。僕も辛い時には、ほっといてよって言うけれど、でも、心の中では、そばにいてよって叫んでいるから、誰かがそばにいてくれるだけで、悲しい気持ちや不安な気持ちがどっかに消えちゃうから、だから、僕は君のそばにいるよ。絶対にほってなんかおかない】と、男の子が言うものだから、【君本当に自分勝手だね】と女の子が言うと、【うん、そうだよ。僕は自分のしたいと思った心に嘘はつかない】と言って、男の子はさっきよりも5割増しの間抜け面に、満面の笑みを浮かべるのでした。


 力を持たないくせに。


 親に守られてぬくぬくとぬるま湯の中で生きているだけのお子ちゃまのくせに。

 世界の冷酷無残な暴力の恐ろしさも知らないで、僕は自分の心に嘘はつかない等とのたまう。

 その男の子は、やっぱり、女の子の、本当に、ほんっとうに、嫌いなタイプの人間でした。

 でも、【もしかして、迷惑だったかな?僕がそばにいるのは】と聞かれた時に、【迷惑じゃないから。だから、お願い。私のそばにいてよ】と、なぜだか、つい口から心にもない言葉が出てしまったのです。

 それを聞いた男の子は、【うん。分かった。僕は君のそばにいるよ】と言って、女の子の手を優しく握り締めました。

 男の子の手は氷の様に冷たかったので、きっと心がとっても温かいんだろうな。と思ったのだけれど、間抜け面の男の子が、もし調子にでも乗ったりしたら、面白くないので、女の子は黙ったまま、男の子の冷たい手を握りしめていたのです。


 何故だか子宮がキュンとしました。


 女の子は、その男の子となら、冷酷無残な競争社会の中でも、笑って生きていける様な気がして、もう一度だけ、前を向いて歩いてみようと、人知れず心に決めて、新しい旅立ちの一歩を踏み出しました。つづく。』

 『続くの?』

 『うん。ていうか続いてるよ。この世界のどこかで、現在進行形でね』

 麻生来未が、挑む様な表情を僕に向けてきた。

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