第13話

 僕の目と、僕に向けられた麻生来未の目が合う。

 こんな個性の塊の様な女の子との出会いを僕が忘れるとは思えない。

 いやっ、僕でなくとも、麻生来未との出会いを忘れる人間なんて、この世界に存在するとは思えない。

 僕が、この場所で麻生来未と出会った事実など、やはり、無いのではないであろうか?

 正確には、僕にとって出会いではなかったはずのそれが、彼女にとっては出会いであったのではないであろうか?

 だとしたら、いくら記憶の底に手を伸ばそうとも、何も掴み取れるはずもない。

 毎日、数えきれない程の人間とすれ違う、この人生の中で初めて見る人の一人一人を、

その一つ一つの瞬間を全て記憶しておくなんていう芸当は、少なくとも、僕が有するノミの様に小さな脳では、出来る訳がない。

 でも、過去に麻生来未と出会った瞬間が本当にあるのだとすれば、僕は、どんな手を使ってでも、その記憶を掴み取りたい。と、心の底からそう思うのであった。

 それでも、そんな僕の思いとは裏腹に、いつの日かの麻生来未との初めての出会いの記憶は、一向に姿を現してはくれない様子であるので、僕は、僕が今、この瞬間まで、麻生との最初の出会いだと信じて疑う事の無かった出会いの記憶を、心の中の特別な場所から、傷つけないように、慎重に取り出した。


 

 あれは、桜が綺麗に咲き誇り、柔らかなおひさまの光が優しく僕を包みこむ様な、そんな、のどかな春の一日であった。

 空は青く澄み渡り、雲一つない快晴であったのだけれど、僕の心模様は、そんな未来への希望であふれかえった桜色の世界には全くそぐわない、暗くてどす黒い、この世界の終わりの始まりに一歩踏み出す様な、鬱々うつうつたるものであった。

 そもそも、この世に生を受けたその瞬間が人間にとっての終わりの始まりであって、四苦八苦で溢れかえっている人生は、拷問ごうもんでしかなく、私は幸福だなんてのたまやからは、往々にして、人生という道を正しく歩めていない。

 常軌を逸した壮大な勘違いに気が付かずに、ただこの世界に生まれて来ただけで、【人間】になる事なくその生涯を無為むいに垂れ流だけの、【人間のふりをした猿】であると、相場が決まっている。

 僕が、その様な、世界に対する歪んだ考えを持つ様になったのは、母の責任に負う所が大きい。

 中学校まで放任主義で、【勉強しろ】等という、出来の悪い子供を持った世の母親の決まり文句を一度も口にした事の無かった僕の母親が、高校入学が近づくにつれて、まるで宇宙人にさらわれて、脳味噌をいじくられたとでもいう様に、全く新しい人格を有して、僕に、競争に勝ち残って優秀な遺伝子を残せ!と、バッキバキに決まった目で言ってくる様になったのである。

 自分は中卒であるというのに。(誤解があるといけないから言っておくけれど、僕は中卒を悪く思っている訳では決してなくて、自分の子供に、自分が出来なかった事、あるいはやろうとしなかった事を求める、そのメンタリティーが、どうかしていると思っているのであります)

 親って、大体そうでしょう?

 まるで、子供は自分の遺伝子を受け継いでいるのだという事実を忘れてしまったとでもいう様に、自分の子供は特別だ。何者にでもなれる無限の可能性を秘めているんだ。と、心の底から信じている。

 自分が何者でも無いくせに、自分の子供は何者かになれるだなんて、本気で信じちゃってるんだから、全く気の違い方が壮大過ぎて完全に僕の理解力の範疇を超えてしまっているのだけれど、でも、僕は親の事が大好きだから、なるべく彼等の期待には答えたい。と思っていたりするのです。

 そんな訳で、今まさに高校に入学しようという僕の心模様は、母に押し付けられた過度な期待と、それにともなう大き過ぎるプレッシャーのせいで、どこまでも暗い、暗澹あんたんたる黒雲で、塗りつぶされていたのであった。

 

 競争なんてしたくはないし、戦うのなんてまっぴらゴメンだ。


 負けたら惨めだし、勝ったら虚しいだけなのだから。


 僕はただ、僕のままで生きていけたら、それだけでいいのだ。

 でも、この世界で僕が僕のままで在る為には、誰にも何も言わせない程の圧倒的な力が必要なのだという事に、高校生になってようやく気が付いたのである。

 国語、数学、理解、社会なんてやってる場合じゃない。他者を踏み潰せる圧倒的な力を手に入れる為のノウハウを学校では教えるべきなのだ。(何者でも無い先生でくのぼうは、そんなノウハウを知ってるはずもないのだけれど)

 今までの様に、残酷な社会の摂理せつり等、全く意に介さずに、のんびりと自分のペースで生きていけたのならば、どれ程素敵であろうか。

 でも、一度気がついてしまったが最後、それを忘れる事等、決して出来ないのである。

 『あー、もぅやだ!』

 とつい口から飛び出した、僕の心の声に、

 『本当だよねぇ。桜ってとっても綺麗だけれど、めっちゃ毛虫が落っこちてくるもんね。やだやだ、桜の木が根絶やしになったって一向に構わないから、殺虫剤をきまくればいいのに。あっ、これ、さっき落っこちてきた毛虫です。よかったらお近づきの印に一匹いかが?』

 そう答えて、先っぽにうねうねする毛虫を乗っけた割り箸を僕に差し出してきたのが、麻生来未であった。


 うん。どう贔屓目ひいきめに見ても最悪の出会いだな。

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