第10話

 午後の授業を終え、憂鬱な放課後がやってきた。

 いつもなら、鼻歌混じりにグラウンドへと向かう所なのだけれど、今日は麻生と手を繋いで街に向かい歩いている。

 雨の日も、風の日も、夏の暑い日にもきっと休む事のない部活を、こんな何でもない日に休むなんて、昨日までは全く想像する事も出来なかったけれど、いざ放課後に、麻生と2人きりで歩いてみると、2人で過ごすこの時間も悪くはない。いや、むしろ心地良いと感じ始めている自分がいた。

 何でもない日だ。と今まで捨ててきたありふれた日々も、ちゃんとその時、その瞬間にしっかりと目を向けていれば、かけがえのない特別な日々になっていたのかもしれない。

 今日の、この素敵な一日の様に。

 これは、いわゆるデートというやつなのであろうか?

 麻生は、どういうつもりで僕を連れ回すのだろう?

 僕が、後ろの席の男の子だから引っ張り回されているというだけの事なのか?

 今まで、考えた事も無かったけれども、麻生は本当に僕と結婚したいのであろうか?

 あれは、彼女なりの冗談か何かだと思っていたのだけれど、本当に僕の嫁になりたいのであろうか?

 だとしたら、何故僕なのだろう?

 僕は何者でもないし、きっとこの先どれ程努力を重ねた所で、何者にもなれない。

 僕がこの世界の登場人物になる日など、いくら待った所でやって来ないのである。

 なのに、どうして麻生は僕を選ぶのか?

 もし彼女が本当に僕を選ぶつもりなのであれば、僕は全力でそれを阻止しなければならない。

 僕は、彼女には幸せでいて欲しいから。

 いつも笑っていて欲しいから。

 あわよくば、その笑顔を、遠くからでもいいから眺めていられたらいいのになぁ等と考えてしまうのは、やっぱり僕が欲張りな人間だからなのであろうか?

 『ねぇ、安藤』

 『何?』

 『安藤ってさ、やっぱり絵に描いたような間抜け面してるよね』

 『何だよ、急に。傷つくからそういう事言うのやめてくれませんか?』

 『えっ、何で?褒めてるのに』

 『だとしたら、僕と君は持って生まれた価値観があまりにも違い過ぎる』

 『あら、価値観が違う方が、燃える様に情熱的な恋が出来るんだから、私達にとって価値観が違うというのは、とっても喜ばしい事じゃない』

 『僕は同じ価値観を持っている女性と家庭を築いていきたい』

 『それってつまり、お前を俺色に染めてやる!って事?安藤ってむっつりさんなのかと思ってたけれど、とんだ肉食男子だったのね』

 大袈裟おおげさなアクションで驚きを表現する麻生は、小ちゃな子供の様に澄んだ目でしげしげと僕を見つめる。

 『あのさ』

 『何?』

 『麻生はどうして僕の嫁になりたいの?』

 『えっ?そんなの決まってるじゃない』

 麻生は優しい微笑を浮かべると、少し間を置いてから口を開いた。

 『私には君なんだよ』

 『えっ?』

 『私には君なの。一足す一はニになるのと同じ様に、私には君しかいない。君にとってどうかは分からないけれど。私には君なんだよ。残念だけれど、私を振り解くのは中々骨が折れるから、もうあれこれ考えるのは諦めて私を嫁にするのが賢いと思うよ』

 そう言う麻生来未の微笑みは、相変わらず天使の様に可愛らしくて、僕は何とも言えない、柔らかくて温かい幸福感に包まれる。

 

 

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