第9話

 『こんな可愛い女の子の手料理を毎日食べられるなんて、安藤君は本当に幸せ者だね』

 『こんな真っ茶色な料理を毎日食べさせられたら、2型糖尿病になって、あっという間に死んじゃうよ』

 『あら、儚い命程美しく咲き誇るものでしょう?あなたの美しい命の灯火は、しっかりと私の目に焼き付けておくから、安心して愛する嫁の手料理をバクバク食べなさい。ほらっ』

 バッキバキの目をひん剥いた麻生が、手に鷲掴みにした唐揚げを僕の口に無理矢理押し込んでくる。

 怖い。怖すぎる。でも、美味い。

 『美味しいでしょう?オールスパイスを効かせてあるのよ』

『ぶん。ぼいびい。べぼっ、おべばいばばば、びぶんぼべーぶべ、ばべばべべ』

 『へっ?何て?』

 僕の言葉など全く聞き入れる耳を持たぬ麻生は、鷲掴みにしたエビフライを僕の口に押し込んでくる。

 『あらあら、そんなに急いで食べたら、喉に詰まらせちゃいますよ。美味しいのは分かるけど、誰も取ったりしないんだから、落ち着いて食べなさいよ』

 鷲掴みにしたコロッケを僕の口に押しこみながら、落ち着いて食べろとのたまうコイツの感情は、一体どうなっているのであろうか。

 もう、あまりにも怖すぎるから、考える事をやめて、僕はただひたすらに、茶色い物を胃の中に流し込む事に専念する事に決めた。

 麻生来未あそうくるみは狂っている。

 それは間違いない。

 この天使の様に可愛らしい女の子は、間違いなく、この歪んだ現代社会が生み出したモンスターだ。

 でも、本当は、この世界に狂っていない人間などいない筈で、だとしたら、こんなにも分かりやすく狂っている麻生来未は、むしろ僕の人生の登場人物の中では、1番信頼するに足る人物なのではないかと、僕は密かに思っていたりする。

 茶色い食べ物との壮絶な戦いを何とか生き延びた僕は、生きている事の喜びを噛み締めながら、青空を見上げる。

 澄み渡る空は何故だか急にぼやけ始めて、僕の目から、何やら熱いものがこぼれ落ちた。

 『ねぇ、知ってる?』

 『何を?』

 麻生に気取られない様に涙を拭ってから、

僕は、彼女に向き直る。

 『人が死んだら星になるでしょう?じゃあ星が死んだら何になるでしょうか?』

 『星っていうのが質量の大きな恒星の事で、その死というのが超新星爆発の事を指しているのであれば、ブラックホールになったりするんじゃないの?』

 『はぁ〜っ、全然分かってないね!』

 『違うの?』

 『うん。違うよ。全く。星は死んだってなくならないんだから』

 『どういう事?』

 『ていっ!』

 麻生は、僕の鼻頭を指で弾くと、

 『自分で考えろ!答えっていうのは誰かに教えてもらうものじゃなくて、自分で勝ち取るものでしょう?君だって、一応は男の子なんだからさ、たまにはカッコいい所見せてよね!頼むよダーリン』

 ハニー。いや、麻生は寂しげな微笑を浮かべた後で、

 『そろそろ行こうか?午後の授業始まっちゃうし、それとも、このまま2人で授業さぼっちゃう?天気良いし』

 等とおどけてみせたが、彼女の笑顔は、やっぱりどこかうれいのある寂しげなものであった。

 『でも、やっぱり行こう!私はともかく、君には学校の授業をサボっていられる程の余裕は無いからね。ほらっ、早く!』

 そう言って、僕の手を取った麻生の手は、氷の様に冷たかった。

 きっと、彼女の心は太陽の様に暖かいに違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る