第4話

 『おはよう、安藤あんどう。相変わらず暗い顔してるな。朝練、そんなに嫌なのか?』

 高身長で、がっしりとした体つきの爽やかイケメン。

 部活の先輩の坂上さかがみさんが、優しい微笑をたたえながら近づいてくる。

 『おはようございます先輩。僕、低血圧なんですよ。こう見えて、めちゃめちゃやる気に満ち溢れてるんですけど、体が気持ちに置いていかれちゃってるんです』

 『死んだ魚の様な目で、やる気あります!って言われても全然説得力ないけど、取り敢えず走ってこいよ。キャッチボールやろうぜ』

 『はいっ。ちょっと待ってて下さい。ちゃっちゃとアップしてきちゃいますから』

 僕は、坂上さんを尊敬している。

 本当に心から尊敬しているのだけれど、なぜだか、どうしても彼の事を好きになれない。

 いや、この心模様を正確に言い表すのであれば、畏怖いふであり、ねたそねみであり、そして、どうしようもなく溢れ出す、強さへの憧憬しょうけいである。

 あの人は強い。

 物理的にも、精神的にも。

 競争社会の中に在るというのに、坂上さんはちっとも焦らない。

 ちっとも焦らないくせに、あの人は、いつも誰よりも先を涼しい顔で走っている。

 他人の目を気にする事もせず、人を憎まず、人を妬まず、ただひたすらに自分との戦いに没入し、そのたゆまぬ研鑽けんさんの末に、誰よりも高い場所へと昇っていく。

 しかし、決して現状に満足する事はなく、その歩みを止める事も、また、決してない。

 『よう、どうした?眉間に皺寄ってるぞ!馬鹿なのに』

 僕の幼稚園からの友人、黒田が、牧歌的な笑みを浮かべて、近づいてくる。

 『おはよう。お前は相変わらず悩み1つ無い清々しい顔をしてるな。馬鹿だから』

 『ひどいなぁ。確かに俺は馬鹿だけど、馬鹿だって、馬鹿って言われたら傷つくんだぜ』

 『お前だって、僕に馬鹿って言っただろうが』

 『良いだろ?お前は傷つかないんだから』

 『傷つくよ!馬鹿って言われて気分がいい奴なんて、それこそ本物の馬鹿だけだろ』

 『えっ?お前、本物の馬鹿じゃなかったの?』

 黒田の心の底から投げ出された純粋な疑問が、僕の心を、容赦無く傷つける。

 『じゃあ、僕、もう行くから。坂上さんを待たせてるんだ。お前も、もっと練習頑張ってアピールしろよ!先生の目に留まりさえすれば、僕と黒田ならすぐにレギュラー取れるんだからさ』

 『アピール・・・・・・ね』

 『えっ?何か言ったか?』

 『いや、何でもない。早く行けよ!坂上先輩待たせちゃ悪いだろ』

 一瞬、黒田から氷の様に冷たいオーラが放たれた様な気がしたけれど、気にせずに僕は坂上の元へと走り出した。


 朝練を終えて教室に着いたら、窓際の自分の席からグラウンドをぼんやりと見下ろすのが僕の日課になっている。

 しかし、その、僕の大切なぼんやりタイムは必ず、麻生あそう来未くるみという女の子にぶち壊されてしまうのである。

 『おはよう。安藤は相変わらず間抜け面だね。そんなんじゃお婿さんに行けないよ』

 『悪かったな!間抜け面で、それに、僕は頼まれたって婿になんて行かないよ!嫁に来させる。当たり前だろ』

 『まぁ〜、間抜け面のくせに、時代錯誤の男尊女卑だこと、そんなんじゃ絶対にお婿さんにはなれないだろうから、私の所にお婿さんに来なさいよ。貰ってあげるから』

 僕に向かって差し出された麻生の手を軽くはたく。

 『だから、婿にはいかないって言ってるだろ!お前が嫁に来いよ』

 『はいっ、嫁がせて頂きます。嬉しい!野球部の未来のエース、安藤君にプロポーズして貰えるなんて』

 『プロポーズなんてしてないよ』

 『えっ?だって、今、嫁に来いって、その気にさせておいて、私を捨てる気?ひどい、民事訴訟起こすわよ』

 『お前なぁ』

 深いため息をつく僕に、麻生が手を差し出す。

 『何?』

 『何って、指輪!用意してないの?プロポーズするっていうのに』

 『だから、プロポーズじゃないって』

 『分かった、分かった、じゃあ高校卒業するまで待ってあげるから、とびっきりの指輪用意しておきなさいよ!婚姻届は私が用意しておいてあげるから。あぁそうだ、因みに私の薬指のサイズ6号だから、どうする?忘れちゃう様だったら額に6号って墨入れた方がいいかしら?』

 『旦那の額に6号って墨入ってたら、お前も恥ずかしいだろ?』

 『あらやだ、もう私の旦那になったつもりでいる訳?失礼しちゃう!私、見ての通りメチャメチャ可愛いくて、超絶モテるんだから、私と結婚したいのなら、私の心、卒業するまでちゃんと繋ぎ止めておかなくちゃダメなんだからね』

 堪らなく憎たらしい表情で、むくれながら言う麻生来未を、力一杯握りしめた拳で殴りつけてやりたい衝動に駆られたけれど、刑事訴訟を起こされて、夏の大会に出られなくなったら困るので、僕は、なんとか怒りを飲み込んだ。

 『問題です。私の薬指のサイズは何号でしょう?』

 『6号』

 『よろしい!じゃあ、とびっきりの指輪頼むわよ、ダーリン。私は安藤の為に高校生活の全てを懸けて、ついついむしゃぶりつきたくなる様なパーフェクトボディーを作り上げておくから』

 親指を立ててニヒルな笑みを浮かべる麻生は、認めたくはないけれど、堪らなく可愛い。

 彼女が、ついついむしゃぶりつきたくなるパーフェクトボディーを手に入れる日が来たならば、僕は、彼女に愛情や性欲を感じる事が出来るであろうか?

 もし、そんな日がやってくるのなら、とびっきりの指輪を用意して、麻生来未をめとるのも悪くはないな、等と思った事は、もちろん麻生には絶対に秘密である。

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