ブルーモーメントの中で⑤
「隣町なんだけど、その後ちょっと遠出の都電だから、ののちゃん、急ごう」
野々花と霧灯優衣の住んでいる街は割と小さい規模だ。電車でいうと、副都心扱いで、新幹線やJRの本線からは外れている。しかし、隣町まで出ると、可愛い都電がある。
色々聞きたいことはあるが、霧灯は変わらずの笑顔で、野々花を連れて、隣町までやって来た。
可愛い柄の都電には、見覚えがあった。あれに乗ると、「みんなのいえ」への方面の駅に行ける。思った以上に近かった。それでも、子供の頃は、とても遠く感じていた。
大人になった、ということだろうか。
ととん、とたたん、ととん……。
小さな二両ほどの電車が、カタカタとやって来た。ホームは外に設置されているので、空がちらりと視界に入る。
バスと同じ、スイカを霧灯はピースサインで払ってくれて、横並びの席に野々花だけを座らせた。すぐに腰の曲がったお婆さんがよっこらせ、と重そうな動きで野々花の隣に座って、杖に手を載せて、呼吸をした。
「すいませんねえ」お婆さんに笑って、霧灯は野々花を見下ろした。
「言っただろ、星座カフェ。そこに相談したんだよ」
「え? 相談?」
横並びの電車で、7駅。夜に吸い込まれるように、電気が増える。田舎に帰るような気持ちで、電車の音を聞いた。
都電はレトロで、窓からはもう階調になった空が見える。
「この時間の空って、不思議ですね」
「ブルーモーメント」
3駅目でお婆さんが「ありがとねえ」と降りたので、霧灯は野々花に並んで座った。
「夜と、昼の間のグラデーションだって、結翔に聞いたことがあるよ。星座の魔法、とか言いながらボロボロの星座盤で説明していたけど、ボロ具合が気になって、頭に入っていなかった」
5駅を越えると、乗客は減り、野々花と霧灯だけになった。ユッコユッコ、とたたん。あの頃が甦って来る。
この電車が嫌いで、母親の膝に頭を寄せていた自分が、今は霧灯と手を繋いで、電車に乗っている。あの頃の自分に見て欲しい。
生も死も、わからずに足掻いていた須王野々花に。
死を選んだ、霧灯結翔に……ストンと何かが、心に落ちた。どうして霧灯は、「みんなのいえ」に向かっているのだろう?
*****
「みんなのいえの保養所への入り口は――」案内に、霧灯が立ちあがった。
「降りよう、ののちゃん」
「霧灯さん、どうしてこの場所、知ってるんですか?」
霧灯はスマートフォンで地図を見ながら答えた。
「看板は出していない隠れ家レストランがあったんだ。聞いてみたら、アレルゲンの対策のメニューが作れるんだって聞いてさ。近くに保養所があったから、もしや、ときみのお母さんから、詳細を聞いたんだ。僕も興味があったし」
「いつの間に……ママ、お兄ちゃんの時も何も言わないんだから」
「それだけ、ののちゃんが可愛いんだ。ののちゃん、可愛いから無理もない」
「アリガトウゴザイマス」
ついつい霧灯の直球は透明になって避けたくなってしまう野々花である。だいたい、可愛いをこんなに連発されたら、困惑するだろう。
椎名の、「あら、ありがと」と言える神経が羨ましい。考えて、野々花は椎名のことが気にかかり始めた。忙しい心だ。
「どうした? アレルゲンなら」
「椎名さん……泣いてないかな」
「…………どうぞ」
霧灯は自分のスマートフォンを差し出して、「最新履歴」と背中を向けた。
「ええ?! 電話しろってことですか?!」
「君が食べられそうな、デザートプレート。それに、プリンアラモード」
ごくり。
「マシュマロいっぱいのココア」
ぱきっと言って、霧灯は親指を出して見せた。どうやっても、電話させたいらしい。どうあっても、どんな手を使っても、霧灯優衣は押し切って来る。そしてそんな勢いがとても好きになった。
「……お借りします」
大きいスマートフォンを耳に翳して、野々花は(電磁波……)と思いながらも、通話を待った。
通話の音がした。なんて言おうか、などと考える必要はなかった。
「霧灯! あんたのサメの怯え方、チョー面白くって!あんたに買わせたサメのぬいぐるみみて、笑ってたところよ! もしかして、聞こえた? 幼馴染って嫌よね!そうそう、デートとは言えなかったけど、楽しかった! あたしはやっぱ、あんたが好きだわ。うん。それが聞きたかったんでしょ! 野々花を泣かせたら、サメの餌食にすっからね! 返事は!」
「はい……」
「やあね、野々花みたいな声音で誤魔化して! 部の存続はまた考えましょ。お風呂行ってくるわ。兄貴が上がったみたい。じゃあまたね」
つーつーつー……。
呆然としてスマートフォンを差し出すと、霧灯は分かり切ったように息を吐いた。
「前に進む人間は強いんだよ。ののちゃん……過去も、前も見ている人間はもっと強い。僕が椎名の唯一好きなところだ」
「あの、それは単純と言うのでは……椎名さん、全く会話にならないんですけど」
「あいつは、あれでいいよ。人それぞれ、良さは違うんだよ」
あ。
野々花はちろっと霧灯を上目で眺めた。
「もしかして、わたしに、霧灯さんの良さ、聞いてますか?」
「…………聞いちゃ悪いかよ。ここだよ。ほら、小さく看板が見える」
オーガニック星座スイーツ隠れ家レストラン。
アレルゲン相談はご予約で承ります。
「霧灯さんのいいとこ」
「いいよ、言わなくて」
耳を赤くしたままで霧灯はすたすたと階段を上がると、ガラス扉をゆっくりと押した。たちまち拓けた可愛いインテリアに、野々花の頬がほころぶ。しかし、頬をほころばせて勢いに飲まれている場合ではない。
「あの、霧灯さん」
「この子なんだけど、専用プレートをお願いしておいたと思う。霧灯ですよ。なに、ののちゃん」
当たり前のようにお婆さんに席を譲り、当たり前のように椎名にも接して、心配している野々花に聞かせる。
この人は、どれだけ人を強く信じているのだろう。
どれだけ、自分を信じているのだろう。
「すごいなって……」
「すごい? ああ、アレルゲンを対応するレストランはなかなかないよな」
そうじゃない。
野々花は言葉を押し込めた。
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