ブルーモーメントの中で④
空はすっかり二色が折り重なった色になった。夜なのに透明な空は珍しい。ああ、夏が近づいているから……と野々花は目を細めた。
都会の空は切り取られてしまっていて、星座も星も黒い影が覆い隠す。恰も球体に閉じ込められたような気さえする。
「……霧灯さんを探さなきゃ」
「そうだね、優衣を探さなきゃ……ののちゃん」
「うん、探すよ、おにいちゃん」
ふわりとした風が野々花を取り巻いた……わけじゃない。野々花は目を凝らして、背にしていた柱を見詰めた。
「あの……」
おずおずと柱を見やる。フードを被った青年たち、化粧が濃すぎるゴスロリ衣装の女の子、キャップ帽子を深くかぶった青年、パーカーコートの似合う少年に、待ち合わせの女の子が走り寄る風景。
「……分かっていたけど、ゆうゆう来るよな。二時間の遅刻」
キャップ帽子をついと上げた見慣れた双眸に、野々花は息が止まりそうになった。その表情は結翔そのものだったからだ。
「似てるだろ、あいつに。朝起きたら、表情が変わっていたんだ。きみに逢いたい結翔に祟られたかな」
「あの……」
驚きで、さっきから「あの……」としか言えていない。優衣はさくさくと会話を憶測で進めていく。まるで手に取られたように、的確だ。
「椎名なら、水族館で、散々僕を怖がらせ、笑い転げて、高級ランチを食べて、服を買わせて帰ったよ。拍子抜けしたよ。……僕は、きみにも、椎名にも振られたってことだ。まあいいよ、目的はこれ」
のそっと出て来た小さな紙袋。野々花は呆然としながらも、受け取って、動作を止めた。可愛いラッピングが目に映る。どうみても、プレゼントだ。
どうして?
わたし、疑って二時間以上も遅れたのに。
なんで、笑って待ってるの?
お兄ちゃんじゃないからって、わたし、振ったよね?
どれもこれも、もう言えないだろう。お兄ちゃん、もうおにいちゃんへの言葉はないよ。
霧灯がしゃがみこんだ。ミリタリーのパンツがやたらに男の子チックで、斜めに被ったキャップ帽子がいたずらっ子らしい霧灯をよく見せている。
首元には、アリエスのペンダント。――ああ、わたしも自分の星座をもっと大切にしよう。
「そうそう、それね。きみが浮かんだから買ったんだ。買ったら渡さないと気が済まない性分で、待ってただけ」
出て来たのは、小さなクマノミのキーホルダーぬいぐるみだった。
「えっ……お魚嫌い」
「言うと思った。これだけは可愛かったから。他はなんだよ。大きすぎるよ。絵では可愛いのに、クジラも、いるかも、グロいって……おっと、時間が遅くなる。メニュー品は時間がかかるし……ともかく行こうか」
「お返しします」
言おうとして、霧灯のカバンに気が付いた。同じような、色違いのクマノミが揺れている。まるで、「コワくないよ」と言うように。
手の中のクマノミは、ちょうど野々花の手のひらに収まるくらいだった。
「魚座って、護られたい星座なんだって。きみはただ、護られたかっただけなんだよな……結翔に。ま、それだけ渡せたら僕のミッションは終わり……なんだけど」
むぎゅっと掴んだ霧灯のコートに涙を落として野々花は願った。
サカナが嫌いだとか、もう言わない。
わがままもしません。
神様、だから、もう一度、時間を戻してください。
あの、霧灯さんが嘘だよ、と泣いたあの瞬間まで――と。
心が熱くなる。こめんなさいも、ありがとうも言えません。
「嘘なんて、いやです」
「ののちゃん?」
「わたしを、好きなのが、嘘なんていやです」
「嘘だよ」
顔を上げると、生気に溢れた目が、野々花を捉えていた。
「僕は、過去の想い出に縋るより、現実に立ち向かうほうがいいと思う性格だ。このまま引こう……とも思ったんだけど、椎名にどやされるのも御免だし、僕は正直でありたい」
「うん……」
コートから、手のぬくもりに変わって、野々花はまた涙を浮かばせた。優衣の手は、結翔よりずっとずっと大きい気がする。手首に嵌めた時計も男の子らしくてかっこいい。背は少し低いけれど、霧灯なら「がんばろうね」ではなく、「がんばれ」と言ってくれるだろう。
覚悟を決めた口調で霧灯優衣はとうとう告げた。
「ののちゃん、結翔に逢いに行こう――……」
覚悟はしていた。野々花が優衣の気持ちを受け止めたら、過去の恋は終わるだろう。そして、霧灯優衣のシビアな考えなら、そうなると思っていた。
「霧灯は、本当にあんたが好きなのよ」
椎名の言葉を思い出す。過去を振り切らせて、歩くこと。霧灯優衣はそれを躊躇なくやるから、怖かったのかも知れない。
こんぺいとうが無くなる頃、また、逢えるよ――……。きっとその後ろには続きがあったのかも知れないけれど、逢いに行けば、結翔から聞けるだろうか。
「うん。逢いに行きます」
「その前に腹減らない? 泣かせたお詫びに奢らせてくれる?」
「え? わたし、面倒くさいですよ? アレルギー対応のお店……ああ、霧灯さんが食べたいんですね?」
「そんなはずないだろ」
霧灯は頬をかすかに膨らませ、腕時計を見ながら告げた。
「きみと行くつもりだったから、予約してあるんだ。僕はどんな手を使ってでも、連れて行くつもりだったから」
「……はい……」
今更ながら、暴走羊のパワーに圧倒される。同じ星座なはずなのに、どうしてこうも違うのだろう。そしてわたしはゆらゆら、水面を流れのまま泳いでいく。
サカナ、嫌いだけど、ここから始めよう。
霧灯優衣と現実を、歩こう。顔を上げた時には、霧灯はもう改札を通っていた。追いかけながら、野々花は取り巻いていた風が遠く消えるを感じていた。
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