*第四章ー12*素朴な銀河

「またののを泣かせて! あんた、いつまですりすりしてるの」


 窓から椎名が顔を見せた。「や、これは不可抗力」言い訳をしながらも、野々花が泣き止んでも、霧灯は野々花を離そうとしない。


 愛おしい。


 一方通行の想いにさすがに、困惑してきた。



「あの、さすがに……もう……」

「こう、泣いているきみをみていたら沸々と……」

 すーりすりすり。まるで生まれたての赤ちゃんにお父さんが頬ずりするような図である。


 好きって、すりすりし続けること?


(わたしは、ぎゅっとしたけど……あれは?)


「いいから、ちょっと見て。ののも、いちいち霧灯に翻弄されない!」

「いや、されるよ。この子は僕には適わないだろ」

「霧灯! そういうところ!」


 叱られ慣れしている霧灯は、「せっかく触れられたのにね」とまた悪びれもなく、教室に戻って行き。


 ぼさぼさになった頭を手櫛で整えると、外はねは「とってもたのしかったね」とばかりに元に帰っていた。


「あんた、寝ぐせ治ってるわね……ああ、霧灯が押しつぶしていたからか」


 すりすりのお陰で落ち着いた能天気な髪を揺らして、野々花も戻った。


「大丈夫? なんだったら霧灯を部活停止に」


 本末転倒な言葉を出す椎名に首を振った。


「それじゃ、また部員が減っちゃうから」


 霧灯のカバンの上に、あのノートがあった。暗黒ノートとでも名付けようか。2度と観たくない。泣いて遠くなったけれど、人の悪意は怖い。


 途中から「ののちゃん」になるまでは「あのガキ」それは知りたくなかった……また泣きたくなった。


 でも、きっと、悩んで書いたのだろう。


 野々花は自分のアレルギー・アレルゲンがどれだけ大変かを分かっていないまま、「おやつちょうだい」と言ったわけである。


 それでも、毎日会いに来た結翔と、ノートの中の結翔はどっちが本物……。


 あの優しさは嘘だったのだろうか。



「つけるわよ」


 ぱっと部屋が暗くなって、LEDが煌々と部屋を照らし始める。短いものではあるが、部屋に銀河がやってきたような臨場感に、天の川が走る映像は、目をくぎ付けにした。


「わあっ……」

「全体的に、ミラーボールみたいな感じを重ねてみたの。こいつら二人のアイデアで、出費も出してくれたわ」


「……うーっす……」


「部費が上がったら返すって約束っすよね。部長」


 くるくる回るミラーボールが後ろを支えているお陰で、映し出した星空に、数多に色が加わっている。白く染め上げたシートに、くるくるのミラーボールのライトが絶え間なく当たることで、動いているようにも見えた。


「考えたな。後ろで支えてるわけか」


 手を伸ばすと、野々花の手にも、銀河が映る。初めて、星空を掴めた。じーんと感動する野々花の前で、「どうよ」とふんぞり返った椎名に、げっそり疲れた男子二人の親指立て。「間に合ったな」の霧灯の言葉に、また野々花は涙を浮かべてしまった。


「わたしの案、作ってくれたんですね……」

「助かったよ。きみがいなかったら、まだ天井にドーム貼ってた」


「いいえ、もうあたしが辞めさせて解散だったわよ。先生にも最終通告されていたしね」


 霧灯が目を剥いた。


「聞いていないんですが。いくらきみが強いと言っても、そんな重責」

「あとは部員を呼び戻せるかよ。それで、一年生を増やせるか」


 映された銀河は、いつか見た満天の空には程遠い。自然の星空とはクオリティも何もかもが違う。それでも、自分たちが星に憧れ、好きだという想いは伝わるだろう。


 素朴で、わたしたちらしい。


 宝石なんて言葉より、こんぺいとうのほうが、よりしっくりくる。


「結翔にも、見せたかったな」

「はい」


 霧灯は、もう隠すこともない、と静かに語り出した。


「この高校の天文部は、結翔が作ったんだ。そんなに歴史はないけれど。制服は変わっていない。だから、つぶしたくないんだ。でも、適当な人数集めでは意味がない。本当に星が好きで、天文学を目指す。そういう生徒に来てほしい」


 銀河を教室に再現する試みは、まだまだ続く。

 霧灯が一番言いたかった言葉は、「結翔にも見せたかった」だったのだろう。


 そのために、霧灯は嘘の想いだとまで口にして、野々花の心を守ってくれた。



 ――触れたいって思う気持ちは、初めてだよ。



 野々花はそそっと手を伸ばした。また、霧灯が狼になるかも知れないと思ったが、恐れていても何も始まらないから。


 ちらっと霧灯が野々花を見た気がするが、照明が下げられているので、さだかではない。


 机に隠れた二人の指は、遠慮がちに触れては離れ、やがて霧灯がしっかりと捕まえた。


 繋いだ手は、遠慮の強さから、確かに力強くなる。


 まだ、分からないけれど、この手の強さは嫌いじゃない。



 この日、野々花は過去にさよならを告げた――はずだった。


 第四章 了。

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