第五章 過去の夢と水族館の幻
*第五章ー1❇︎ 雨の日の過去夢
*1*
――雨、ざあざあ。
「行って来ます」野々花はお気に入りの傘をくるくる回して、雨空を見上げる。傘が邪魔をしているので、雨粒だけが大気を踊っている。
「もう、梅雨かな」呟きながら、学校への道を急ぎ、ぴたりと足を止めた。少し早すぎた。何をそんなに急いで起きたのだろう。
(霧灯さんの夢なんか見るからだよ)
野々花は雨が当たった小さな手を、じっと見つめた。わきわきさせると少し前の部室でのあれこれが浮かんでくる。
『君がそういうことをすると、止められないんですが』
――と、雨が強くなった。
「もうっ」物思いを遮るような大粒の雨に、あわてて校門に駆け込み、昇降口。今度は夜、遅くなった時に一緒に歩いたことを思い出す。
いちいちいちいち出て来る霧灯との時間に顔を顰めながら、野々花は上履きに履き替えた。いつもわいわいとしている昇降口は、まだ生徒の人気がない。
「どうしよ。本当に早すぎた」
いつもより一時間近くも早い。理由は色々あった。以下は朝の巻き戻しである。
***
まず、夕食後リビングでパパと映画を見ていて、転寝して、変な時間に昼寝になった。当然眠れないから、お風呂に入って、部屋でぼんやりと過ごして、勉強を始めたらすぐに眠くなった。しめしめとベッドに入ったら目が冴えてしまって、枕元にあった星座の本をめくっているうちに、おちた。寝返りを打っているうちに深い微睡みがやってくる。頬に厚紙があたった感触を最後に、野々花は夢に潜って行った。
季節は初夏。一番過ごしやすい、緑豊かなとある町。優しい風と、光。洗濯物が屋上にはためき、ゆっくりとした時間が流れる。病院へのワーゲンバスも、変わっていない。
――あ、懐かしい、ここ。みんなのいえ、だ。
野々花は過去に療養した「みんなのいえ」に居た。違うのは、今の野々花として、歩いているくらいで。健康になった自分を嬉しくおもいながら、少し光の強い世界を歩いた。
野々花の夢は、映画のようにしっかりとしている。
(うんうん、この場所知ってる。よく、結翔おにいちゃんと……あれ?)
窓辺に立っている人影は、どうみても霧灯だ。
『霧灯さんがどうしてここに?』
『ののちゃん、君が好きだよ、僕はずっと待っていたんだ。きみはきっとまた、ここに来ると』
『まるで、お兄ちゃんのような言い方』
『だって、僕はゆうとだよ? 本当は、遠い星からやって来たんだ。きみを追いかけて』
霧灯は野々花に歩み寄ると、頬を撫でて来て、光の中顔を傾ける。
『逃がさないよ。キスさせないなら、檻に入れちゃうから。かかれー』
空から大量の羊が降って来た。
「わ、わああっ、ちょ、運んでいかないで~~~~~~」
現れた大量の羊にわっしょいされて、お祭りのようになった。叫んだところで目が覚めたら朝の五時。
(な、なんなの……変な夢……!)
見れば、途中まで読んだ星座の伝承の本を枕にしていた。牡羊座は羊軍団だから群れたがる。その割に霧灯は一匹羊だな、とか思って就寝に入った。
原因はこれかと、野々花は無言で本を片付けて、息を吐いた。
途端に、のんきな腹が鳴った。
「ほら、早起きしすぎ」
母親も起きていないから、朝ご飯もまだ用意されていない。六時まで待って、リビングに降りると、すでにエプロンの母親が驚きつつも、野々花の朝ご飯を出してくれた。
卵白と、大豆がアレルゲンの野々花の朝ご飯は、ヴィーガン風味。野菜は食べられるので、野菜中心に、大豆のたんぱく質は代替品で賄う。一度、豆腐クッキーを食べたらぶつぶつが残ったので、お菓子類は諦めた。
野菜を柔らかく蒸したお皿に、タマゴの代わりに果物。しかし、アレルギー体質は油断できない。同じものを食べていると、過剰に反応して、また症状が出るからだ。
ヨーグルトもあまり糖がないもの、砂糖は糖質カットのもの、いちいち野々花の身体は注文多すぎ。いい加減食事療法には慣れた。幼少よりは改善しているが、まだ、食べられない品目がある。
羨ましいとは思う。でも、それ以上にみんなで野々花のために、と頑張ってくれている人たちを見ているから、精いっぱい笑顔でいる。
ああ、嫌な夢に、ドタバタの朝だった。
パフェ、クッキー、ケーキ、マシュマロ……霧灯がくれたマシュマロはどんな味で、どんなに美味しいのだろう。
食べてあげたら、喜んだかな。あの、羊さん。
考えていたら、いやしいお腹がくうと鳴った。朝ごはん食べたのに。
「そうだ、部室にあたしのお菓子があるのでした」
いそいそと部室に入る。と言っても、一見して「資料置き場」に見える西の端っこが我らが天文部の部室である。
玩具の土星がどうにもみすぼらしいが、伝統だという理由で丁寧に飾られている。もしかすると、結翔が作ったのかな?
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