*第四章ー11*生存白紙の恋

「お兄ちゃんの家は複雑で、気持ちも分からないでもない。それはこっちの話だから伏せるけど、その悪意ある文章がさ、ガキの奴隷になって変わって行くんだ。きみの喜ぶ顔がいいとか、見たい、とか……最後は「ガキの前で泣いた。だから、僕はここで」で終わってるあたりがらしいけど」


 確かに、そのあとは白紙だ。きっと、ここで終わったのだろう。


 苦しみから逃げたい。俯いた横顔の答だ。


「ののちゃん、少しは、前が向けるか?」


 自分の過去への初恋も終わった気がした。長い長い迷路からやっと出られたような気分で。


「逃げちゃったのかな……」


 野々花は小さくぼやく。


「頑張ろうって言ったのに……お兄ちゃんは、頑張れなかったの……」


 霧灯は「おしまい」とノートを取り上げると、背中を向けた。


「きみに託したのかもね。告白は、冗談。このノートを見せるための詭弁だった。心を玩具にしたバツに、ちゃんと僕は地獄に行くつもりだから心配しなくても、閻魔様の前で申し開きなどはしない」


 こうなると、もう、何も言い返せない。


 一言「死んだ」と言えば良かったのに、霧灯はそれが出来ないのだ。ノートの結翔のような、ダークな部分はもてないのだろう。


 野々花は溢れる涙を零して、俯いた。ノートの無機質な冷たさが涙で温められていく。霧灯の想いはこんなにも温かい。


「慰めはしない。安心して、泣くといいよ。卑怯者の結翔のために今だけは泣いてやって」


 心から、色々な感情が沸き上がって来た。

野々花を好きでいてくれる霧灯の叫びも、もう届かない。霧灯は、野々花の初恋を知っていて、結末も知っていた。


「そんな辛い結末、要らないです……」


 こんぺいとうが、無くなったら逢えるよ。


 確かに、こんぺいとうはカラになって、本物のカレに逢えた気がする。

 でも、そうじゃない。

 過去は過去で、そっとしておいてほしいとも思えなかった。霧灯の心を掴みあぐねて、椎名まで飛び火して。


 ――恋なんて、もう、いやだ。


 可哀想に、僕がいてあげるよ。そう言えば野々花は頷いたかも知れないのに、霧灯優衣はそれが出来ないし、しないのだろう。それは、野々花の為だ。


 野々花に、軽々しく頷かせないために、冗談だよ、と……。


 野々花は泣いた。でも、結翔を通して、霧灯の悲しい嘘のためにも泣いてあげたい。


 生存の白紙の恋。


「冗談だって言葉が……泣かせるのに……」


「きみは、鋭いよね。あんまり人の内側を覗いちゃだめだよ、ののちゃん」


「うっく……」


 嗚咽は小さいモノから、大きいモノへ変わっていく。「のの」と霧灯が腕を広げた。後ろから抱きしめられて、「ぷにゃー」と泣き声をあげる。回された手を掴んで、ただ、顔を上げて泣いた。


 ――ごめんなさい。わたしは、霧灯さんの気持ちに応えられません。それなのに、泣きます。ずるい子です。まだ、結翔お兄ちゃんの代わりにしちゃうんです。


 ガキの奴隷、なんて書かれていても、やっぱり……


「ゆうとおにいちゃん……死んじゃ、いやだ……」


「きみは、頑張り過ぎなんだよ。そういうところ、好きだよ――、でも、僕はきみを放置する。冷たくて、ごめんな」


 すり、と頭に霧灯の引き締まった頬が触れる。野々花は小刻みに震えて嗚咽を堪えた。それでも、すり、とされると、もっと泣いていい気がする。


「また泣かせる……」

「きみのお陰で、最後、結翔は、らしく、生きたんだ。ありがとう、ののちゃん」


 ののちゃん。そう呼んでくれた優しい声音は、どんどん遠くなるだろう。今度こそ、さよならだ。心に風穴があいたみたいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る