*第二章ー5❇︎優しくするって難しい!
ドアを閉めて少し待つ。微かな布が動く音を耳で確認して「1.2.3.4.5」五秒数えて、ゆっくりとドアを開けると、椎名の姿があった。気づいた椎名はぱっと逃げようとしたが、野々花のほうが早かった。
「ちょっと! 帰ったんじゃないの!」
「星、嫌いなんですか? 違いますよね」
「……」としか言いようがない、無言に滲んだ焦り。野々花は続けた。
「土星って傾いているのが普通でした。みると、この部室には古い天体模型がいっぱい。部員を追い出すより、捨てちゃいますよね、嫌いなら」
「何がいいたいのかわからない」
籠った声に、野々花は構わず語り掛ける。
「椎名さん、天文部にいたいんじゃないですか?」
椎名は心底驚いた顔になってまたカーテンに逃げ込んだ。
「…………ごめんなさい」またしゃくりあげた声に、野々花はほ、と息を吐いた。
「瓶が空っぽになっちゃったの、椎名さんのせいで」
それはまるで、詰めておいた大切な何かが飛び散ったに等しかった。貰った時はたくさんこんぺいとうが詰まっていた。色とりどりの想いがたくさん。
でも、それはやっぱり結翔がいたから……ということは?
まるで、今までずっと寄り添っていた結翔がいなくなったかのようだ。なのになにかの引っ掛かりが解れる気がする。
野々花は唇を噛み締めた。また椎名がカーテンに隠れた。
「その中のひとつ 詰めていいわ!」
この中に詰めたいと思う駄菓子は二度と現れない。椎名の手で、想い出を奪われた気がして、野々花は焼け付いた腹のまま、カーテンに手をかけた。
「だからごめんなさい! あたし、あんなに大切なものを....! でもちゃんと最低だと言われたわ! 霧灯容赦ないのよ」
椎名は、腕で自分を庇うようにして、しゃがんでいた。その顔は真っ赤で、頬も擦れて汚れている。相当泣いたのか、目も腫れていた。その表情に野々花の怒りもゆっくりと消えていく。
「綺麗なのに……こんなほこりっぽいところにいないで、一緒にお菓子食べませんか」
「い、いらないわっ……甘いの超嫌い!」
「えー? 美味しいのに」こりこりとキャンディを齧った途端、頬を引っ張られた。
「なによ! この、幸せで健康そうな頬!」
――たくさんの誉め言葉があるが、野々花は健康が一番うれしい。ずっとずっと願って来た願いだからだ。
普通に生きたい。誰かと笑い合って。喧嘩して。
「拍子抜け」椎名はようやくカーテンの貼りつき虫を辞めて、すっくと立ちあがった。ずっと洟を啜って、真っ赤になった頬を押さえて見せる。
「――女子なら、わかってるでしょ」
ぐす、とまだしゃくりを残す椎名に首を振ると、椎名は「霧灯が好きだから!」とヤブレカブレ口調で吐き出した。
「好きだから、全部気に入らないの。どうしようもなかったよ。方法がなかったのよ」
――覚えがある。好きだから、怖くて拒絶したくなるのだ。本当は分かって欲しいのに、だから、幼少に、あんな我儘を言った。
毎日、どんな気持ちで結翔は菓子を作って(こんぺいとうで飾っただけだけど)励ましに来たのだろう。自分が我儘をしている間に、どれだけのお金と、時間をパパとママは費やしただろう。
決心して、いい子になって、頑張ろうの約束をこんぺいとうに詰めて。でも、そのこんぺいとうは砕けてしまった。
でも無くして気がついた。野々花はずっと結翔が好きだったのだと。トラベラーの今の霧灯優衣よりあの時の結翔が好きだった。
無くなっちゃったのに会えた気がする。
「……これで、終わりにしてください。部員居なくなったら寂しいです」
野々花はそれしか言えなかった。ただ。これ以上椎名を苦しませるのは間違っていると思った。
――こんぺいとうは、戻らない。でも、それでいいよね、結翔おにいちゃん……。
「うん」椎名はかすかに笑って、頷く。
空っぽの瓶は、少し青みがかかっているせいか、夕陽が当たると銀光して見えた。流石に寂しく思う前で、椎名が「それ、かして」とまた手を伸ばす。
「もう投げたりしないわ」の言葉に預けると、椎名はドロップキャンディの蓋に爪を掛けた。
「あ、開かない……」と美人な顔をゆがめてお腹に抱えると、「ふんす!」と蓋をこじ開けた。ザラザラと口の大きな瓶に詰めて、「ほら」と満足そうに返してくる。
野々花は唇をへの字にした。
「可愛くない……」
「いいのよ。そのくらいで!」
「それに、これ、池に落ちたままで洗ってないし、わたし、薄荷は食べられなくって」
「飾っておけばいいのよ」椎名はつんと言うと、肩をすくめた。
「ほら、優しくするって難しいの! 無茶言わないで。人は優しくするより、傷つけるほうが簡単。望んでなくてもそうなるのよ」
椎名の言葉は、哀しかった。野々花は首を振った。
「優しさって、瓶にキャンディ淹れることじゃないと思います」
「なに?」椎名は「聞こうじゃない」と野々花を真正面から睨む。
「そうよ、あたしの秘密を聞いたのだから、あなたも言うべきだわ。霧灯が好きなのは知っている。あの男は女子全員にそういう感じ! みていてイライラ」
「ちょっと、違います。ただ、昔と変わらなくて……わたしも混乱しているんですっ」
椎名に、野々花はにじり寄った。腕をがすっと掴んだ。
「な、なに.....よ.....」
野々花の剣幕に椎名は怯えるように身を軽く引いた。
思えば思うほど必死で誰かに言いたくなる。これだけ野々花があたふたしているのに、けろりと忘れている結翔。それなのに手を繋ごうなどとーーー
ああ お腹の中で何かが喚く。
頑張ろうののちゃん? ええ頑張っちゃうからね。忘れてるなんて神様の意地悪!
「タイムトラベラー信じますか? 奇跡を信じていいんですか?」
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