Epilogueー3 星空の魔法
***
「お兄ちゃん……無事でよかった……な」
霧灯は口を噤んだまま、野々花から距離を置いて、夜空を見上げている。ぽつんと立っている姿は、まさにぽつんと残された羊を思わせた。
「連れて来てくれてありがとうございます」
「うん……それは良かった。死のうとしたり、目的に目を輝かせたり。バカでピュアなんだけど、自慢の従弟なのは変わらないな。天文部、なんとかしないとな」
「ピュア、は血筋でしょうか」
「え?」
「霧灯さん、背中にくっつき虫……」
「なんだって?! あの野郎! ののちゃん、取ってくれる?」
きっかけを作ったよとばかりに、霧灯の背中にくっつき虫がふんぞり返っている。くっつき虫とは、とげとげしていて、弾くとくっつく植物だ。田舎ならではの風景でもある。
「取れました」
指ではじいて追い払うと、野々花は霧灯の背中に手を当てた。
「ののちゃん、あのさ」
「なんとなく、くっつき虫がくっついていたのが、気になって」
――きっかけは作ったよ? くっつき虫にそんな結翔の思念がくっついて見える。
「そうじゃなくて。君、僕の背中が好きなのかなと」
「震えてる気がして。霧灯さん、強いからわからないのかな」
「――嘘の日生まれの子供に何を言うんだか」
霧灯が振り返った。どうして霧灯が気になるのか、やっと分かった。そのピースは、結翔が持っていて、野々花が成長するまで、分からなかった心のパズルだ。
「あたし、責めてないですから。――本当に、良かった……」
涙を拭って、野々花は霧灯をゆっくりと観る。景色がぼやけてクリアになる。何度も何度も、霧灯のために、涙を流した。けれど、結翔のために、泣いたことはなかった。それが答えだ。
うお座らしい。涙の中、泳ぐ小さな魚も悪くない。
「でも、サカナのわたしが羊の霧灯さんと出会うには、羊が暴走して落ちて来てからなのかな」
「きみは、時折何を言い出すんだ」
野々花はふわっと笑った。心から、やっと笑える。
「そうしたら、羊さん、気が済みましたか? って聞いてあげられるなあって……」
「僕が暴走して、海に飛び込むことが前提なんだね。もうしないよ」
霧灯はようやく顔の強張りを解いて、笑った。
「――結翔のことだけど。結婚するんだって。でも、逃げようなんて言ったせいか、どうしても気になる。あの子はどんな風な人生を……ってそれできみの親御さんを思い出した。そこでノートは終わったんだ。それをまさか、僕が見つけるとは……僕は奇跡は信じないんだけど」
ずっと繋いだ手を時折揺らしながら、霧灯は大切そうに、野々花を引き寄せた。大切にされることの嬉しさを、厳しさを一番教えてくれたのは霧灯優衣だ。
「見つけた時に、まさかと思って。結翔に言ったんだ。あんた、ボロボロの星座盤と、こんぺいとうを持った女の子、知ってるって。そうしたらあいつ、「それは星座の魔法だよ」なんて言うんだ。イミフだろ。それから嫌気が射して聞いてない」
らしい答に、くすっとなった。
でも、結翔に逢いたかったのはきっと優衣も同じだろう。兄弟のようだった。一人っ子の野々花には分からないけれど、絆というのは視えないものなのかもしれない。
それなら、野々花の恋も視えなくて当然だ。
「どうした?」
「二人とも、同じ牡羊座なのに……どうしてこうも違うのかなって……」
霧灯は「なんだそんなこと」とあっけらかんと応える。
「二人とも、同じ女の子を好きになったじゃないか。結翔だってある意味暴走してただろ。変わらないよ。ただ、きみが繋いだ奇跡は信じてもいいと思う。QRコードが読み取れなくて、冷や汗かいてた女の子。このきょとんとした目が、どんなに綺麗な星空を映しているのか、興味があった。そこはきっと同じだよ」
「ろくなもの見てない目です」
「いや、きっと、綺麗なものを見ている目だと思ったよ。ボロボロの星座盤、もう古ぼけてラベルが読めないこんぺいとうの小瓶を抱えて……さ」
なんでここまで言えるのだろう。
野々花はいよいよこみ上げたものを、口にした。言葉は知らず、編みだされて行く。
「だって、おにいちゃんの代わりに霧灯さんを……っ」
「ああ、そこは許せない。なんであんな卑怯な男に重ねられたのか……そんなだめな目に星空のま……お仕置きを」
今、魔法、と聞こえたけれど、気のせいかな?
「お仕置き」
「僕らしいだろ?」
片目を伏せたままの柔らかい唇が目元をそっと掠った。くすぐったくて、泣きたくなる。
「うん、らしいです」
「で、きみはいつ、僕に好きだと言うの?」
夜空はいつしか雲に覆われてしまったけれど、霧灯は「少し涼しくなって丁度いい」と火照った顔を夜空に晒す。
きっと、結翔だと、星が隠された、と言うのだろうけれど。
いつ、言おう。
まだ、野々花は返事が出来なかった。心だけが走っていった。霧灯の影響か。
「ぶ、部員が揃って、ちゃんと椎名さんとお話したら」
「ああ、約束だよ?」
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